第15話 ヴィンテージ (1)
ーー私達は度々『純喫茶 浪漫』に訪れるようになった。
毎日通うのは難しいので、築さん…もとい『先生』の様子を見て訪れるようにしている。
店内はクーラーが程よく効いていて、天井のシーリングファンが静かに回転している。店長のお気に入りのジャズがBGMだ。日が傾き始めると店内に居た客は私達だけになった。
「良い店だな」
ようやく彼の眉間の深い皺も消えて、今は他に客が居ないことを良いことに子供のようにキョロキョロ店内を見渡している。
「私もそう思います」
大学生になったばかりの頃に、水希と一緒に訪れてからとても気に入って二人一緒にバイトを申し込んだのがきっかけだった。
道を一本逸れただけで学生の殆ど通らない隠れ家的な店だ。看板が小さ過ぎて気付かれないのかも知れない。
でも、私が今日彼をここに連れてきたのはもう一つ理由があった。どうしても聞きたいことがある。この和やかな雰囲気を利用したい。
「あの……」
「ん?」
グラスに口を付けながら窓の外を眺めていた先生は首の向きはそのままに目線だけ先にこちらへ寄越す。
「あの……ちょっと聞きたいことがあるんですが」
「なんだ?」
彼はグラスを置くと私を真正面から見据える。
彼の黒い瞳が真っ直ぐに私を見ている。
「えぇと、その……」
正面から目を合わせられない。
三秒ぐらいで耐えれなくなりグラスの中の氷に視線を落とした。多分彼はまだ私の目を見てくれている。
「仕事で何か分からないことでもあるのか?金か?無茶してるんだろ?生活苦しいんじゃないか?」
「いや……そうじゃなくて、私……」
確かに先生に心配されてることも合ってはいるが、今一番気にしていることはそこじゃない。
「……私……いつまで先生と一緒に居ても良いですか?」
彼の握るグラスの氷がカランと音を立てた。
「先生がお金返してくれるまで?それとも私が大学を卒業するまでですか?先生が一人でも生活出来るようになったら、私はもう不要でしょうか……」
息を呑む音が聞こえた。
見なくてもわかる彼は困っている。
「不要ってお前……『利用』とか『不要』とか俺はお前を道具だとは一度も思ったことは無いぞ。そういう風に感じてしまったなら謝る」
そうじゃない。
それは答えになっていない。
ずっと彼に言いたかった言葉。
「私、卒業後もずっと先生と一緒に働きたいです。働かせてくれませんか?」
「……俺と?」
この一ヶ月彼のアシスタントをして分かったことがある。
私は何も知らない。
何を知らないのかも分からない。
知らない言葉、知らないルール、知らない常識が多すぎる。
毎日大学へ行って勉学しているというのに、何も役に立たない。
「それはまだ二年生だからだろ?あと二年で付く知識もある」
私は首を振った。
先生に出会わなければ私はこのまま気が付かないまま社会に出ていた。
私は中身が空っぽだった。
まるであの白い模型のように形だけで中身はスカスカだ。
「私を雇って下さい。お願いします」
私はその場で頭を下げた。
これが正しい頼み方なのかも分からない。
「役立たずなのは分かっています。あと二年、卒業するまでに先生の役に立てるよう頑張ります。だから……」
「……。」
暫くの沈黙の後、私は顔を上げた。
先生は今までで一番の深い眉間の皺を作って顎を撫でていた。
「……俺の勝手なプランを話しても良いか?」
「はい」
「俺は……お前が思ってるような立派な大人じゃない。それこそ本当は弟子を受け入れる程の甲斐性も器量も持ち合わせていない。……だから……金を返したらさっさとお前の所から居なくなるつもりだった」
「駄目です」
「即答かよ……別にお前から逃げるつもりは無いよ。俺が出て行かなくてもお前が卒業して勝手に居なくなるもんだと思ってた。」
そうだなぁ、と呟いて斜め上を見た。
「その話はちょっと保留にして欲しい。少し時間を貰ってもいいか?」
そう言って彼は自嘲気味に笑う。
「いつか、答えをくれるんですか?」
「ん、そのうちな」
「分かりました。待ってます」
彼と私の間にある差を埋めたい。
三十二歳と二十歳、十二歳差。
1秒分でも彼に近付きたい。
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