彼女の理想になりたい

第14話 誰かの製図台


 1/100スケールの人形、これはまた次の模型に使い回せるだろう。

 模型の上に立っていたそれをプツンと取り外して手の平の上で転がす。


『あー暇、数日休み貰ってもやることねぇ。東屋、まだ事務所居るなら今からどっか飲みに行こうぜ。もう流石に休みなんだろ?』

「いや、今日はもう予定があるので……良かったじゃないですか、正月休めて。匠さんもたまには部屋の掃除したらどうですか?」

『はぁーやる気起きねー。東屋ウチ来て掃除してー』

「やりません。掃除はもう結構です」


 電話が掛かってきたのでこんな時期に誰からだろうと思い出ると匠からだった。

 彼は卒業後も地元の建設会社に勤めていてプライベートだけでなく、仕事の付き合いとしても度々交流があった。


『てかさぁ、覚えてる?俺と仲良かった皆実ってやつ』

「覚えてます。びっくりですよね、まさか陽子と結婚するなんて」


 私の友人と匠の友人が近々結婚するらしい。

 つい先日届いた結婚式の招待状を思い出す。


『アイツら学生時代に四国のダムをバイクで廻って制覇してたよな?あん時はバカだなぁ~って思ってたのに、それきっかけで付き合って結婚するなんて……』

「ふふ、その時の旅動画まだネットに全部ありますよ?」

『あれ、全部で百本超えてただろ?イチャラブ長編旅動画なんて誰が見るかッ、クソッ、爆発しろ!』

「あははッ」


 模型を砕く手を止めて廊下の壁に寄り掛かりながら匠と学生時代の友人について語りあう。


 匠はどうやら友人に先を越されたことが悔しいらしく愚痴を言うために連絡をよこしてきたようだった。

 彼は相変わらずで話していて気楽だ。


『でさぁ~、東屋はどうやって式場まで行く?タクシーで迎えを寄越してくれるらしいから、俺と一緒に乗り合わせるか?家近いし』

「そうですね……」

『あと、余興も考えないと。あの恥ずかしい動画を流してやろうぜ』

「えぇ~⁉︎それはちょっと……やっぱり一度集まった方がいいかも、匠さんいつ空いて……」


 と言いかけた時、倉庫の扉が開いて顔を出した先生と目が合った。彼は文句を言いたげな目で私を睨んでから再び部屋の中に戻っていった。


「あー……その話はまた今度しましょう」

『……ふーん……分かった。じゃあ、具体的な話は年明けてからにするか』

「はーい。良いお年を」


 通話を切り、スマホと小さな人形をポケットにしまって倉庫へと戻る。


「言い出しっぺがサボるんじゃない」

「ごめんなさーい」


 先生は私が匠と話しているだけで拗ねてしまう。

 いい加減、兄弟喧嘩はやめて欲しいのに、匠さんは匠さんで彼に喧嘩を売るのでいつまでも平和にならない。


「私が間に居るから余計に二人の関係が悪化しているような気がします」

「自意識過剰。お前が居なくなっても仲良くはならない」

「そういう意味では無くて……私がいなければ二人は殆ど接点が無くなる訳ですし、二人の距離を置くという意味でも、一度私が二人から離れた方がいいのかも」

「訳わからないこと言ってないでさっさと終わらせてくれ」

「はぁい。名案だと思うんだけどなぁ……」


 さてさて、先生が倉庫の奥で作業しているので私は手前から整理して行こう。測量機器を一旦廊下に出そうかな?


「ん?」


 三脚を担いでふと、私は疑問に思う。


「先生?」

「なんだ?」


 先生は作業する手を止めないまま反応する。


「この測量機器一式っていつ購入しましたっけ?」


 かなり今更だがいつの間にか事務所の一員になっていた気がする。


 今時、どこも電子だったりオートだったりするのに事務所のは一番アナログな水泡で水平を測るティルティングレベルを使ってる。オートなら自動で水平を出してくれるのに、これは自分で水平を出さなくちゃいけない。高低差を測るのも目視だ。

 最初は不便に感じていたが、しかし慣れるとそれが当たり前になり、その不便さに愛着すら感じている。


 記憶の限り、初めてコレを使った時から既に使い込まれた年代物だった気がする。先生の私物だろうか。


「借りパクしてる」

「ちょっと⁉︎返さないと駄目じゃないですか」


 予想通りというか何というか…。

 だとしたら一体いつから借りているんだろうか。先生は気にする様子もなくしれっとした表情のままだ。


「返したくても、もう返しようがないんだよ。持ち主が何処にいんのか分からないんだから」

「ひょっとして……先生が昔働いていた……」

「……。」


 彼はその質問には応えず、その代わりに倉庫の奥から黒い鞄を出して見せた。


「ほらこれ、出てきたぞ。これこそもう要らないだろ?」

「あっ駄目!」

「ったく……お前こそ物減らせよ」


 私は先生からそれを受け取ると床に置いてチャックを開ける。


 A2サイズのデカくて重くて嵩張るそれは試験用製図台だ。

 建築士の試験は筆記だけでなく、実技の試験もある。これは、実技試験を受けるのに必須の道具だ。


 しかし、この製図台ぶっちゃけ実技試験の時にしか使わない。少なくとも私はそうだった。今は図面を手書きで書く方が珍しいだろう。


 建築士の受験を受けるためには、単純に受験代だけでなく、資格取得の為に資格学校に通っている人もいたり、法令集は最新の物を使ったり、製図台が必須だったり、何かとお金が掛かる。


 そんな中、この製図台は先生からのお下がりしたものだった。当時金欠だった私にはありがたいことこの上無かったし、なにより先生が試験を合格出来た実績のある御守りみたいなものだった。

 かなり嵩張る御守りだけど、そのおかげもあって私も合格することが出来た。


「そんな、捨てるなんて勿体ない。まだどこも悪くなかったし使えますよ?」

「いつ使うんだよ。もう一生使うことないだろ?」

「ひょっとしたら、新入社員が入ってくるかも知れません。そしたら、お下がりしてあげたいんです。だから一度綺麗に拭いてまで保管してるんですよ?」

「こんな零細企業に誰も来ないだろ」

「所長がそんなこと言わないで下さいよ…」


 いつか、この製図台を誰かに譲りたい。

 必要としている人に使って欲しい。

 それまでは倉庫の肥やしになってもらおう。


 この製図台も私が大事にしているマグカップと同じヴィンテージみたいな物だ。


 あのマグカップのように受け継いで、使って、そしてまた知らない別の誰かに渡る。

 反対に私の前にどんな人が使っていたのか想像するのも楽しい。


 だって、黒い鞄のタグに油性のマジックで書かれたイニシャル『K・M』は先生のじゃない。


 この製図台は私で三代目だ。



《誰かの製図台》

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