第12話 ストレス side築(1)


 ペコペコみたいな独特の通知音が鳴ったので俺はテーブルに置きっぱなしのスマホ画面をチラッと見た。今、東屋は風呂に入っているので部屋にいるのは俺だけだ。


 RINEを開かなくても送られてきたメッセージが画面の通知に表示されている。


 匠先輩:寝た?


 また匠か…


 興味を失った俺はやっていた仕事を再開する。

 携帯は前働いていた会社を辞めてすぐに解約してしまった。なので現在、仕事の連絡先は東屋のスマホを借りている。

 東屋は特に見られて困ることは無いと俺にスマホを共有してくれたが、俺は見たくないものまで見させられている。


 ペコペコ


「……。」


 匠先輩:今週金曜日時間ある?


 ペコペコ


 匠先輩:いつもの所で待っといて


 ペコペコ


 ペコペコ

 ペコペコ

 ペコペコ


 ……っるせええぇーー!!


 用件は纏めて送れッ!

 鬱陶しいッ!

 

 俺はこのRINEとかいうやつがどうも苦手だ。一行ごと、一言ごと送ってこないで電話かメールしろよ、と思ってしまう。

 もはや弟が遠隔操作で俺に嫌がらせしているようにしか思えない。通知を切りたいがやり方が分からない。仕方ないので最終的に消音にすると、ようやく耳障りな通知音は止んだ。


 匠先輩:デート楽しみだな


「……。」


 画面に表示された最後のメッセージを見て複雑な気持ちになる。身内が女を口説いてる所なんか見たくない。コイツの名前を見るだけ、聞くだけで心が荒む。なんでよりによって東屋なんだ。頼むから俺達のことはそっとして置いてくれないだろうか。


 お気楽なコイツが羨ましく、腹立たしい。


 アプリを消してしまいたい。



◆◆◆



 仕上表  …二枚

 天井伏図 …二枚

 平面詳細図…四枚

 断面詳細図…三枚

 建具表  …六枚

 展開図  …六枚


 今回俺の書かなくちゃいけない図面のおよその枚数のリストを見て溜息をついた。こちとら二年ブランクがあったのにいきなりぶっ飛ばしてる気もしたが、意外と体に染み付いているもんでソフトの操作には問題無かった。これを続けていけば、生活する分の金は稼げるに違いない。借金を返せる目処も立った。


 しかし、俺の最終目標は直接施主から仕事を貰い、それで食っていくことだ。


 これはまだ始まりに過ぎない。


 勿論、弟子の家庭教師としての役割も果たしていかなければ。


 一番やりやすい天井伏図を東屋に任せてみたが、やはり四苦八苦していた。たった一枚の図面をもう十回以上訂正させているが、それでも彼女は泣き言は言わなかった。


 俺の生徒は眉間に皺を寄せてテキストとパソコンを何度も見比べていた。若干とろくさい気もするが初めてならまぁこんなもんだろう。締め切りに余裕のある仕事なので、まだ充分時間を掛けてもらって構わない。


 東屋は変な見栄は張らずに分からないことを分からないと言える奴だ。

 この素直さを俺の弟も見習って欲しいくらいである。


 一番問題が有るとすれば俺の精神面の部分だ。


 俺は例の如くエアースモーキング(深呼吸)を繰り返してイライラを落ち付けようと試みた。幾ら好きな仕事でも過度な摂取はストレスになる。


 さらに、狭い部屋、節電して暑い室内、座りっぱなしで血行の悪くなる身体、長時間のデスクワーク、それはもう拷問のようだ。


 なんていうか溜まるのだ。


 ドロドロとしたヘドロを体内に少しずつ溜め込んでいくような不快な感覚。それを上手く発散の出来る人間なら良かったが、机に座ったまま発散しようとすると俺は煙草に頼るしか無かった。今はそれが出来ない。


 東屋に借りた金で煙草や酒の類の嗜好品を買うことは躊躇われた。


 これでも一応、彼女の思うであろう『理想の大人』をめいいっぱい演じているつもりだ。


 紳士的で、厳格で、誠実な大人。


 でもよく考えてみてくれ。


 そんな奴が無職ニートになるか?

 早く彼女の目が覚めてくれるといい。

 俺は、打算的で、臆病な、だらしがない大人だ。


 そんな無茶も俺にストレスを与えていた。


 何か良い発散の方法は無いだろうか。


 俺はギャンブルは一切しないが、昔同業者にパチンコ、競馬、麻雀、宝くじエトセトラ、をやっている奴が一定数いたのを思い出す。今ならその気持ちも分かる。


 さらに追い打ちをかけるように隣には暑いからと丈の短いレギンスパンツにキャミソール一枚の東屋が居た。


 よく分からないんだけど、それって下着じゃないの?


 これが所謂ジェネレーションギャップってやつか?


 首を振る扇風機が彼女に当たるたびに、前髪がなびいておでこがチラチラ見え隠れする。その様子ですら今の俺にとって目に毒だった。


「……拷問だ」

「?」


 俺の独り言に彼女が反応してこちらを向いた。セミロングの髪がしっとりと汗ばんだ肌に貼り付いている。


 だ、だめだ、だめだッ


 仕事に集中しろ俺ッ!


「すーはーすーはー」

「…大丈夫ですか?」


 側からみたら頭のやられてしまった奴にしか見えないだろう。

 彼女は怪訝な顔をして、それから壁の時計を確認した。


「えっもう三時半?集中してました。」


 凄いな。俺なんか三十分も前に切れていた。


「少し息抜きしに行きませんか?」


 昼間の一番暑い時間帯に外に出るのは躊躇われたが、それでもこの空間にいるよりかは幾らかマシに思えた。首を鳴らしてから立ち上がる。


「よし、行こう!………でもその前にちゃんとした服装をしてくれ」

「?」

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