第11話 師匠と弟子(3)


 今までずっとサークルに入るべきか悩んで過ごしてきたが、こうして彼の元で弟子として働くことになったので、早まらなくて良かったと思う。


 私は講義の時間と週三回のバイトがある日以外を、彼の仕事の手伝いをすることになった。


 どうやら市内にある建築事務所からCADオペとして仕事が貰えたらしい。彼が早々仕事に復帰出来たことに私は素直に喜んだ。


 築さんはノートパソコンと外付けハードディスクをローテーブルの上に置いてセッティングを始める。

 私の家にやってきた時は着の身着のままだったのに、そんな物何処に隠していたのだろうか。


「友人のツテで県内の公共施設を主に設計している建築事務所を紹介してもらったんだ。そこの所長にオペじゃなくて、ちゃんと正社員として働かないかと言われたけどそれは断ってきた。俺は独立するのが目標だからな」

「頑張って下さい。応援しています」

「うん、まぁ地道にね」


 彼が会社を立ち上げて事務所長、つまりは社長になっている姿を想像する。数年後には建築雑誌などに顔写真が載ったり取材を受けたりしているかもしれない。


「何、にやにやしてんだ。お前も手伝え」

「あ、はい!」


 築さんはそんな妄想に浸る私そっちのけで、事前に打ち合わせしてきた資料をテーブルに並べながら説明する。


「平面図、立面図、断面図はここにある。この図面を更に詳細に書いていくのが俺の今回の仕事だ。CADを使ったことは?授業でやったか?」

「講義は受けている最中で、基本的な操作しか出来ません!」

「……素直でよろしい。じゃあこれ」


 そう言うと、彼は使い古した本を数冊私の前に置いた。

 表紙には【誰でも出来る!CAD教本 201◯年度版】【CAD完全攻略 201◯年度版】と書いてある。


「古い本だが、中身はそんなに変わらない。どうしても分からない時だけ俺に聞け。但し、初めに言っておくが図面が書けるのは基本中の基本。線を引くことが目的じゃないことだけ覚えておけよ。そのうち意識しなくても操作出来るようになってくれ。」

「わ、分かりました。」


 口ではそう言ったものの今はまだ線一本引くのさえ躊躇ってしまうレベルの超初心者である。


 私はふと疑問に思う。


「その、築さん……じゃなくて……先生も知っての通り、私、建築士の資格どころかまだ学生なんですが、私のような初心者が実際に建つ建物の図面を描いてもよいのでしょうか?」


 描いた絵がそのまま現実になるのだ。私のような経験のない者が責任を負えるのだろうか。違法にならないのだろうか。素朴な疑問だった。

 築さんはキョトンとした顔をしてから私の質問の意味を理解したのか「あぁー」と気の抜けた声を出した。


「勿論、基準法にも書いてある通り資格の無いやつは図面は描けない。ただこの描けないって言うのは便宜上の話で実際には資格が無いやつも描くんだ。……確かに俺も昔、東屋と同じこと考えたなぁ」


 そう言うと彼は辞書のような厚さの本を一冊だしてペラペラと目繰り出した。私の使っているものとは出版が異なるがそれは『建築基準法令集』だった。建築基準法などが載っている建築に携わる人なら必ず一冊は絶対持っている本である。


「一級建築士になるためには、『資格試験合格』とは別に『大学卒業後二年の実務経験』その両方が無いと免許が取得できないのは知ってるだろう?」

「はい」


 法規の授業で一番初めらへんに習った。


「つまり逆を言えば、実務経験に携わる二年の間は無資格のやつが何らかの業務をしなくちゃいけない。」

「はい……確かに」


 《資格が無いものは設計をしてはいけない》、《実務経験を二年積まなければ資格を取れない》その二つの決まりは矛盾している気がする。


「最近、法改正があってその実務にあたる業務内容の緩和がされたが、俺の時代は誰か他の建築士の下にくっついて経験を積むのが当たり前だった。丁度今のお前みたいにな。」


 今度は製本された冊子を一冊取り出して開いてみせた。年季の入ったその図面には細かな書き込みがいくつもあった。今回貰った仕事とは別の過去の物件の図面らしい。


「ここ、図面一枚一枚に俺の名前が書いてあるだろう?それと、この番号は登録してある建築士番号だ。これが建築士が描いたという証明でもある。」


 築さんが指差した所を見ると確かに名前、登録番号、そして印鑑が押してあった。


「それでお前の話に戻るが……実際にこの図面を描いたのは俺じゃない。勿論俺が描いたのもあるが半分くらいは他の別の奴だ。」

「そうなんですね、全部先生が描いたのかと思っていました。」


 書いてある名前とは別の人が描いた図面、それは違法にならないのだろうか?


「はは、俺一人がこんな何十枚に及ぶ図面を描けると思うか?時間が幾らあっても足りない。基本的に分業だ。但し、最終的な責任を負うのは担当建築士なんだ。図面に名前を書いたらそれは全て俺が描いたことと同等になる、責任を負わなくちゃいけない。これは単なる名義貸しに当たらず、違法にはならない。」

「そうなんですね」


 分かったような分からないような…。


 とにかく、築さんが私の代わりに責任を負ってくれるようだ。


「だからお前は俺の胸を借りるつもりでどんどん描いていってくれ」

「はい!」


 そういう彼はとても頼もしくみえた。

 今すぐその胸にダイブしたい。


「だが、俺はスパルタだからな。俺の満足のいくものじゃあ無ければ簡単には名前は貸さない」

「は、はい」


 私に釘を刺してから持っていた図面をこちらに向けた。


「先にこれをお前に貸してやる。昔、俺がまだ二級建築士だった時に担当した住宅の図面だ。参考にするといい」

「ありがとうございます!」


 彼の書き込みのある世界に一冊だけの本。それはとても特別なもののように思えた。

 私はパラパラとページを巡りそして大事に抱きしめた。


 きっとこの図面に描いてある建物も実際に何処かにあるのだろう。図面の概要部分に住所が書いてあるのを見つけた。


 今度、こっそり行ってみよう。


 彼がどんな建物を造るのが知りたい。ちょっと前を通るくらいなら迷惑にならないだろう。


 築さんはテーブルに肩肘をついて、


「お前もいつか卒業して、就職して、だれかいい上司に巡り会えるといいな」


 と、言った。


 彼と同じ建築士としての道を進みながらも、やはりいつかは別れがやってきてしまうのだろうか。

 私はその時を想像して少し悲しくなった。

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