第5話 これから(2)


 四日前、築さんが自身のアパートで首を吊っているのを発見した時は驚いたというか、今思い出しても肝が冷える。


 幸いにも首を吊ってからの時間が短かったらしく、人工呼吸をするまでもなく匠先輩の渾身のビンタで蘇生した。しかし、彼はかなり衰弱していて、殴られたことに対して怒ることもない。それどころか会話をする気力さえも無かったのだ。

 彼はずっと上の空で真っ黒い瞳は何処か遠くを見ていた。


 異常だと感じた私は慌ててタクシーを呼び内科の病院へ連れて行った。が、そこで医者に診察してもらった結果、「精神的なものだ」と診断され点滴だけを打ってその日のうちに返されてしまった。

 病院から出た後、弟の匠先輩はいい大人なんだから放っておけば良いとわざと明るく振る舞っていた。やはり兄弟仲は良くないのか、彼は築さんより私の方ばかり気遣っていた。


「東屋が心配しなくていい。コイツは俺が実家に送って行くから…」

「実家には帰らない」


 突然した声に、私と匠先輩はハッと声の方を見た。

 ここまで一言も話さなかった彼が「実家」というワードを聞いた瞬間、初めて反応し言葉を発した。


「帰る」


 彼はハッキリそういうとサンダルの踵を引きずりながらその場から去ろうとした。


「築さん!待ってください」

「…東屋!」


 私が急いで後を追おうとすると、匠先輩に手首を掴まれて引き止められた。彼と目が合う。その視線にはありありと「行くな」という強いメッセージが込められていた。

 私はにっこり笑んで手首に絡んだ指を一本ずつ優しく引き剥がす。


「…匠先輩、今日はありがとうございました。また、大学で会いましょう」


 そう言い残して築さんの後を追いかけると、匠先輩はそれ以上引き止めることはなかった。その日はそこで彼と別れた。


「築さん!待って!えっと………家に来てください!私の家!……ご飯作ります!お腹すいているでしょう?」

「…」

「築さん、子供舌だって昔言ってましたよね?オムライスとか、ハンバーグとかが好きだって」

「…昔?」

「私、一人暮らしまだ始めたばかりで料理とかあんまり得意じゃないけど、オムライスとハンバーグは上手に作れますよ!」


 私は築さんの腕を掴むと自分のアパートの方角へとぐいぐいひっぱる。弱っている彼は成人男性だか抵抗する力は殆ど残っておらず。私ごときに簡単に引き摺られていた。


「…お、おい。だ、誰か…!」


 男性が女子供を誘拐するならともかく、若い女が三十過ぎの男を引っ張っていくことに関しては誰も一切興味を持たず、むしろ引きずられる様子はかなり滑稽に映っていたことだろう。


 こうして私は無事、彼を誘拐することに成功したのだった。彼も私がご飯を作ったり、風呂を貸したり、布団を提供すると、悪いやつではないと理解してくれたのか、もしくは、もうどうにでもなれと観念したのか、今はこうして私のアパートで何をするでもなく養生している。


 始めの二日ほどは死んでるかのように気力も体力も無く、声を掛けても殆ど返事が無かった彼も、四日がたった今ようやく会話をしてくれるまでに回復してくれたのだった。


 …そして今、私は彼の風呂上がりに鉢合わせしてしまったところだ。まるで拳銃を突きつけられた人質のように、壁の方を向いて両手を肩まで挙げる。


「なななんで今頃お風呂に入っているんですか⁉︎まだ昼過ぎですよ⁇」

「今起きた。……声が聞こえていたんだが風呂場から声掛けるのも変だと思って……」

「律儀に出てこなくていいですから!てか、早く服来てください!」

「いや、それが……パンツ忘れた。リビングから取ってきてくれないか?ついでに服も」

「何で⁉︎」


 何故風呂に入るのに着衣類全てを忘れるんだろうか。

 どう考えてもまだ家主は帰ってこないだろうと油断していたに違いない。


 彼を見ないようにリビングへ移動して畳んだまま床に置きっ放しにしている洗濯物の中から彼の下着とTシャツ、スウェットを引っ張り出しぞんざいに渡す。

 暫くして間もなく着替えた彼は濡れた頭を拭きながら悪びれることもなく脱衣所から出てきた。


「……髭、剃ったんですね」


 改めて顔を見ると彼の無精髭は綺麗に剃られて年相応かそれより若いように見えた。


 やはり少し弟の匠に似ている。特に目元はそっくりだ。二重の少し目尻の上がった切れ目に彫りの深い鼻筋の通った顔。イケメンというより、男前といった表現の方が正しいのかもしれない。


「今日は帰ってくるの早いんだな」

「木曜日と金曜日の講義は三限までなんです。」

「ふうん」


 築さんはあんまり興味がなさそうに相槌を打つと鬱陶しそうに伸びた前髪を何度も搔き上げた。


「あぁ、そうだ。」

「?」


 渡したいものがあったのを思い出して手を叩くと彼は訝しむようにこちらを見た。玄関に置きっぱなしだったリュックのチャックを開けて中から白い封筒を取り出てそれを渡す。


「何だこれ」


 封筒の中身を確認した築さんは目を最大まで丸くして封筒と私を交互に見比べた。


「何でこんなもの……」

「何って……お金です。先立つ物が無ければ何も出来ないと思ったので……」


 少しでも彼の役に立てればと大学の帰りに近くのコンビニへ寄ってお金を降ろしてきたのだ。

 一日の引き出し限度額が決まっていたので取り敢えず引き出せる最大まで引き出してきた。それを全て彼に渡した。


「借りてる奨学金とは別にバイトをして貯めたお金です。少ないかもしれないですけど…足りなければまた明日引き出してきます。」

「受け取れない。ていうか、つい最近出会ったばかりの奴に金を貸すな!」


 築さんは封筒を突き返してきたが私は手を後ろにまわして隠した。


「私は築さんのこと十年前から知ってます。それで取り敢えず散髪でもして来てください。あと、再就職に必要な物も揃えて下さい」

「……」


 しかし気に食わなかったのか、札束の入った封筒をテーブルに置くと無言で玄関へ向かいだす。


「ちょ、ちょっと待ってください!何処に行くつもりなんですか⁈」

「……世話になった」

「これからどうするつもりなんですか?部屋も追い出されて所持金も無いのに今日何処に泊まるつもりなんですか?」

「お前には関係ないだろ」


 急に人が変わったかのように冷たい。

 いきなり大金を渡したら誰でも不審がるだろう。分かってはいたが、上手い金の渡し方というものが分からなかった。今まで彼以外に恋愛したことのない私は、好きな人への好意の伝え方も分からない。

 私は先回りをして玄関に立ち塞がりドアを塞いだ。彼はようやく会えた私の想い人だ。せめて、連絡先を教えてほしい。


「ぅおぉいッ!邪魔だ退け!」

「逃がしません…!」


 築さんは目を剥いた。


「逃がせよ…!女子大生が無職のおっさんを軟禁しようとするな!大体なんなんだお前は!誰だ?十年前?俺はお前なんか知らない!」

「わ、私は……築さんの大ファンです!追っかけです!」

「つまりはストーカーってことだな⁉︎……いや⁈だからってニートで一文無しのおっさんをストーカーするとかお前にメリットあんのか?ファン?まずはその金でお前が病院に行ってこい!」


 何とか彼を引き止めようと説得したが逆効果のようだ。


 もはや物理的に抵抗するしか無い……!


「だ、抱きつくなぁあぁ!」


 それから約十分程格闘を続けて体力的にも精神的にも限界を感じていたが、それより先に築さんの方が根負けして玄関前に私諸共倒れ込んでしまった。

 いきなりひっくり返るものだからバランスを崩して形的にはまるで私が彼を押し倒したような体制になる。


「おか……しい……ぜっっ…っったい……裏があるだろッ……!あれだな?金を受け取ったが最後、脅して内臓を売るつもりだな?」

「違いますよ!寧ろ私を騙して利用して下さい!

「何でだよ!意味がわからない。お前の目的はなんだ!」


 目的?


 そんなのは決まっている。


「……私は……ただ……ただ……」


 仰向けになりこちらを睨み付けている彼を見る。


 私の記憶の中の彼と、今の彼は随分と変わってしまった。


 私の腕と比べると彼の肌の色が青白いのがよく分かった。髪はいつから切っていないのか前髪は目にかかるほど伸び、身体は痩せて頬は痩け、目には濃いクマが出来てしまっている。そして、数日経った今も首にはロープの跡が生々しく残っている。


 やつれてしまった彼を見ていると色々と我慢していたものが溢れ出してきた。


「……」


 ぽた、ぽた


 熱いものが勝手に目から溢れて彼の頬に落ちる。


「最終的に泣き落とし⁉︎卑怯だぞ!」


 構わず私は彼の胸に額を付けて静かに泣く。


「……築さん……また、お会い出来て嬉しいです」


 私のワガママだと分かっている。


 けれども、これ以上彼の苦しむ姿を見たくない。


 変わらないで欲しい。


 夢を見る彼が、私の夢なのだ。


 もう一度図面を描いて欲しい。


「……き………好きです。」

「……」


 呟くと彼はそれ以上抵抗することなく、私が泣き止むまで黙って待ってくれた。

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