第2話 六年前(1)
六年前
「高梁築、三十二歳、二年前に仕事を辞めてそれからずうっと無職だぞ……本当にお前の探している奴であってんのか?」
私はもう何度目か分からない問いに頷くと、反対にもう何度目か分からない質問を繰り返し訊ねる。
「築さん……本当に仕事辞めちゃったんですか?」
隣に座る髪を明るく染めた青年はバツの悪そうな顔をして頷いた。
白樺市内の大学に通う私は、先輩である『高梁匠』に連れられて大学のある市街地から郊外へ向かうバスに乗っていた。
田舎の市バスはおばあさん一人と私達二人だけを乗せて、広い海沿いの県道をもう十分近く道なりに進んでいる。
残念ながら海の見える席は反対側だったらしく、仕方なく車内のディスプレイの広告を眺めていたが、それも見飽きてしまった。
普段あまり乗らないバスに揺られながら隣に座る先輩を盗み見る。彼は窓枠に肘をつき手の平に顎を乗せて窓の外の殺風景を黙って眺めていた。
昼過ぎの明るく日が高い初夏の日差しとは対照的に、薄暗い車内は彼に影を落としていた。
……見れば見るほど似ている気がする。
匠の面影、特に切れ長の目元が彼の兄で十年前に出会った私の初恋の人、築さんにそっくりだ。
小さく溜息を吐く。
心臓が誤作動を起こしている。
私の好きな人は匠先輩では無くて、築さんの方なのに。
まるで十年前の当時から時間が止まったままの想い人が、今になって再び現実として現れたみたいだ。
その時の長い夢から醒めたような不思議な感覚を今でも覚えている。
築さんに出会い、憧れて建築を勉強したいと思った時のこと。
両親の転勤で一度は離れてしまったこの街に何となく戻ってきたこと。
心の何処かで彼の住んでいる同じ街で建築士を目指していれば、またいつか再開出来るのでは無いかと淡い期待をしていたこと。
大学生活に慣れ日々の忙しさからその気持ちを忘れかけていた頃に、偶然誘われた飲みの席に居合わせたのが匠先輩だった。
彼と出会った瞬間に、長い年月と共に霞のかかっていた記憶が再び鮮明に思い出されたのだった。
『たかはし』という読み方の名字はよくあるが漢字が珍しいので、連絡先を交換して苗字を知った時にそれは確信に変わった。
関係のない匠先輩にしてみれば大変迷惑な話だと重々承知しているが、その時私は必死だった。運命の出会いとはこういうことを言うのだろう。
この機会を逃せば二度と築さんとは再開出来ない。そんな気さえした。
◇◇◇
匠先輩は始め『兄弟は居ない』と嘘をついていた。
嘘をついた理由までは分からないが、私にはそれが嘘だとバレバレだった。
学年も専攻も違う彼の元へ何度も何度も通い問い詰め、先週ようやく年の離れた兄がいると白状した。
どういった心境の変化かがあったのだろうか、彼は更に築さんに合わせてくれる約束までしてくれた。
そして……今日はその兄の住むアパートまで連れて行ってくれる約束の日。
普段は着ないスカートを履いて慣れない化粧をしてきた。
「東屋がスカート履いてるの珍しいな」
気がついた先輩が指摘する。私はあまり他人の服装なんて気にしたことのないのでよく見てるなぁと感心した。
「普段は動き易さを重視しているので……今日は特別です」
「特別?」
「築さんに会うから…あぁ!早く会いたいなぁ」
「あっそう」
少し期待を孕んだ彼の瞳が一瞬で死んだ魚のような燻んだ色に変わった。
「どうして最初、築さんのこと隠したりしたんですか?」
ずっと気になっていた理由を訪ねると彼は心底嫌そうに眉間に皺を寄せた。
「自分の身内が無職だなんていいにくいだろ。只さえ兄貴とは元々仲良くないんだ。……今日も本当は合わせたくない。」
「えっ」
匠先輩は驚いた私を見て苦笑する。
「大丈夫。ちゃんと約束は守る。」
「なんだ…びっくりした。」
安心して息を吐く。
一目会いたいとクドい私の為にわざわざ実家に電話をして兄の居場所を訊ねてくれたらしい。
匠先輩は薄く微笑むと膝に乗せた私の手の上に日に焼けた大きな手をそっと重ねた。
「それより……兄貴紹介してやるんだからちゃんと俺との約束も守れよ。RINE無視したら今度は俺がお前んとこ通うからな?」
「……分かってますってば……」
私は重ねられた彼の手をそっと除ける。
私は築さんを紹介してもらう交換条件として、夏休みに匠先輩とデートをする約束をこじつけられてしまった。
でもまぁ、築さんに会えるならデートのひとつやふたつお安い御用である。…デートしたことないけど。
「…日時はまた追って連絡しますね。」
「どこ行こうかなぁ~。日帰り?」
「初デートで何時間拘束するつもりですか。日帰りです。……先に言っておきますけど、心変わりはしませんよ?」
「はいはい。でも、現実を見たら変わるかもしれない。」
デートで何処へ出かけるか、あーでもないこーでもないと話していたらあっという間に目的地へ到着した。
乗っていたおばあさんは私達が話が盛り上がっているうちにいつの間にか居なくなっていた。
運賃を支払いバスから降りると、それは誰も乗せないまま遠くに小さくなって消えていった。
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