第6話
玄関先で取り残された俺たちに、執事のセバスさんは申し訳ない顔をしながら扉を開けてくれた。
いえいえ、こちらの方こそ殿下のせいでと申し訳ない気持ちでいっぱいになる。
エントランスで騒ぐ二人をそのままに、俺とラウル殿は談話室へと案内された。
部屋に入ると殿下から解放されたからなのか、ラウル殿の眉間の皺が消え始めていた。そして、俺の左腕も解放された。
「疲れましたね」
「えぇ、本当に」
ソファーに向かい合って座りながら、俺の体から一気に力が抜けていく。
ラウル殿は、手で目を押さえたまま動かない。
俺は、セバスさんが用意してくれた紅茶をゆっくり飲む。とても、おいしいなぁとほっと息を吐いた。「お時間がかかりますので」と出されたサンドイッチもとてもおいしかった。その後もなぜかいろいろな食べ物が運ばれてきたのでおいしくいただいた。沢山の食事でのおもてなし。これが公爵家の常識なのかもしれない。
テーブルいっぱいに並べられた食事を見たラウル殿がぎょっとしていたのだが、なぜだろうか。
いつになっても二人は姿を見せない。
そんな中どちらともなく、ぽつりぽつりと会話を始めた。
普通の当たり障りのない話をしていたはずだったのだが、話の中でラウル殿の殿下に対する愚痴が段々と増えていった。
吐き出すことでスッキリとしているのだろうか。
話すたびに彼の眉間の皺が消えていく。
それを見ながら俺は、ひたすら並べ立てられる愚痴にうんうんとただ頷いていた。
眉間の皺がなくなったラウル殿は、顔の整った好青年だ。
青みがかった黒髪に、濃い青色の瞳。本来の彼はとても穏やかな優しい風貌をしていた。
しかも、彼は侯爵家の三男ではあるが、殿下の従者である。将来は安泰だ。これなら世のご令嬢方は放ってはおかないはずだった。
しかし、そこで邪魔をするのが眉間の皺である。それがあることによって、彼の見目が穏やかな好青年から気難しい威圧感たっぷりの青年へと変えてしまっていたのだ。
殿下によって彼の眉間の皺がこれ以上寄ることがないよう、俺は祈るばかりである。
気がつけば、あんなに激しく降っていた雨はもう止んでいた。
黒い雲の隙間から、太陽がこんにちはと出て来てくれたが別れの時間は早そうだ。できれば、月がこんばんはと挨拶に来る前に帰りたい。
そんなことを思っていたら、突然ノックもなしに部屋の扉が開いた。
殿下だった。
万が一、中にいるのが俺たちじゃなかったらどうするつもりだったのだろうか。しかも、ここは人様のお邸である。
横目でラウル殿を見れば眉間の皺が復活していた。
案の定、殿下は怒られた。しかし、そんなことはどこ吹く風と聞き流している。
それほど、殿下は浮かれていた。
今なら、あのピンクのお誘いでも、二つ返事で受けてしまうのではないかと思うくらいに浮かれていた。
ユリウス殿がとうとうティアナ嬢に会わせる決断をしてしまったようだ。
ちらりと彼を見ればあきらかに渋々といった顔だった。二人の間でどんな話がされたかわからないが、ユリウス殿にとって会わせるのはかなり不本意のようだ。
そんな浮かれる殿下を放置し、俺はきちんとユリウス殿と挨拶を交わしていた。
とても素敵なおもてなしをしていただいたことにも心から感謝を伝える。
するとなぜかユリウス殿もテーブルの上を見て驚いた表情をしていた。彼が驚きのままセバスさんを見ると満面の笑みを返されていた。
そのセバスさんの笑顔で何かに思い至ったようで、ユリウス殿がふっと柔らかく笑った。
それは直視できないほど麗しい笑顔だった。
その恐ろしいほどの破壊力に、俺はユリウス殿からそっと目をそらした。
そんな時、ティアナ嬢を呼びに行っていたメイドが血相を変えて戻ってきた。そのメイドがセバスさんの耳元で小声で話せば、彼の顔色もみるみると変わっていく。
そして、セバスさんがユリウス殿に、
「ティアナ様がお部屋からいなくなりました」
と言った。
「じゃあ、邸の中にあまり詳しくない私たちは、外へ探しに行ってくるね」
ユリウス殿へ笑顔でそう言って、殿下は颯爽と駆け出して行った。
「えっ?」「は?」 俺とラウル殿の驚きは重なり、その場で呆然としてしまった。
なぜ、殿下は一人で先に行ってしまったのだろうか。
深いため息とともに俺たちは、急いで殿下の後を追った。
静かだった。
あんなに溢れていた黒が全て姿を消していた。しかし、公爵邸は黒に覆われたままだった。
まずは建物の周りから見ることを決めた。
その際、くれぐれも突然駆け出していかないことを、殿下はラウル殿にしっかりと約束させられていた。
俺たちが進む方向は、あれらが集まっていた真っ黒な場所だった。
近づけば近づくほどに黒が濃くなっていく。
まだ、太陽は沈んでいないのに明かりのない夜のように暗い。
「大丈夫だよ。 走ったら見落としてしまうかもしれないし。 ゆっくり行こうね」そう言っていたはずの殿下が、再び駆け出して行った。
そこには花壇があった。
不思議なことにその周りには黒がいない。
花壇に横たわる小さな体が見えた。
殿下は、その小さな体の傍らに膝をつき呼吸を確認している。
ほっと安堵の息を吐くと自分の上着を掛けそっと抱きかかえた。
「あそこか」殿下が見上げたそこには、崩れたバルコニーがあった。
「ラウル! ユリウスに知らせを」
「はい!」
ラウル殿は踵を返すとエントランスへと向かい駆けて行った。
この場所からエントランスまではかなり遠い。
本来ならば駆けて運びたいが、なるべく動かさないようにと殿下は足早に歩いていく。
殿下が抱えた時に少女の左足が見えた。
左足には、赤黒い手の痕があった。その痕から何本も伸びたものが蔦のように絡みつき少女の心臓へと向かっているのが視える。
ここに向かって集まっていたのかとそう思った。
「どう思う?」
「呪いですね」
「……そうだよね。 ちなみに、彼女の左足かなりやばいよね」
「はい」
「私には、赤黒い痣にしか見えないけど、何が視える?」
そう問われたのでありのままに視えたものを伝えた。
聞き終えると腕の中の少女を見つめ、痛々しそうに顔を歪めた。
「呪具を壊すか、術者を見つけるか」
「もし、呪具に『魔女の心臓』を使われていたら壊すのは自殺行為かと」
「となると、術者一択か」
歩く速度はそのままに会話をしながら進む。緊急時の情報交換は大事である。
呪いについて怖くはないのかと尋ねれば、ふと何かを思い出したように俺を見ながら、ニヤリと笑った。
「今は、一度に10体の英霊を喚んだ稀代の死霊術士殿が一緒だからかな」
俺は盛大に顔をしかめた。
ある日、とあるところの白髪の呪術師に死霊術の研究を手伝ってほしいと請われた。
「英霊を喚びだせば実体化できるものもいるし、君を守ってくれるよ。」
死霊術と聞いて一瞬尻込みしたが、毎日あちこちで視るものに恐怖していた俺は、その甘言にまんまと乗った。
そしてすぐに間違いに気づく。
喚んだ10体全部実体化などしなかった。
英霊とはすなわち幽霊。
実体を伴っていないのなら、そこらにいるのと変わらない。むしろ自分の部屋に住み着くし、いろんな場所につきまとう、こいつらの方が厄介者だ。
還す方法を白髪の呪術師に聞きに行けば「ん~、でも死霊術の研究がさぁ」とのらりくらりとかわすばかり。
こいつは駄目だと自分で調べあげ1ヶ月後にやっとお還りいただいたのだ。
やっべぇの一体残して。
「えっ? 一体残ってるの?」
「……できる男なので」
顔色が悪いと指摘されたのは、やっと玄関に近づけた頃。
痣に当てられたと伝えれば、家に帰るようにと進言される。「ルーカスは、公爵邸では休まらないだろう」と。
ちょうど視界に捉えたのは、こちらに駆け寄るユリウス殿と玄関先で待つジャックの姿だった。
「ちょうどだな。 ここに来るように伝えるからそのまま動かない方がいい」
馬車が近くで止まる音がした。
「ルーカス様、大丈夫ですか?」
「……当てられた」
動けなくなった俺に対して、深いため息が吐かれる。
「失礼します」
そう言うと彼は俺を肩に力任せに担いだ。
「ジャック、苦しい……」
「よろしければ、リンドヴェイル嬢のように抱きかかえましょうか?」
「……このままでお願いします」
俺は、ジャックによって荷物のように馬車へと乗せられた。
ジャックが御者にノックで合図をすれば、馬車はゆっくりと走り出す。
そして、俺たちは公爵邸を後にした。
「さて、君は相変わらずおかしなものに好まれるな。 うんうん、やはり君の側は実に面白い」
「ジャック、俺眠いんだけど」
「ああ、寝ていてくれていいよ。 こちらはこちらでやっておくから」
「……じゃあ、頼んだ」
「頼まれてあげよう」
俺は、そのまま馬車の揺れに身をまかせながら眠りについた。
翌日、殿下からティアナ嬢が、とりあえず無事だと連絡が届いた。
ただ、熱が下がらないらしい。このまま高熱が続くようならば危ないと、予断を許さない状況のようだ。
花壇に横たわる小さな体が思い出される。殿下に抱えられても動くことがなかった。
早く元気になりますようにと、今はそう願うことしかできなかった。
数ヵ月後、元気になった少女へ向ける殿下の微笑みが砂糖菓子にはちみつをたらしたようにどろどろに甘くなることも、
「ルーカス様、微笑みの貴公子って甘いのですね」
「……君限定だと思うよ」
「?」
元気になった少女と学園の怪異とかいうおかしな現象に、二人で追いかけ回されてしまうことも、
「ルーカス様、大変です! 速度を上げてきました」
「なんで?!」
「わかりません。 でも、きっと、アル様のせいです」
それはまだ少しだけ先の話である。
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