第5話
殿下のお願いはあつかましいとは程遠く、ピンクの突撃にあったことを一緒に来て証言してほしいということだった。
それくらいならお安いご用だと、あまり深く考えず「いいですよ」と了承してしまった。
その間あれほど何度も「時間がありません」と口うるさく言い続けていたラウル殿は終始無言だった。
その間あれほど深く刻まれていた彼の眉間の皺は消えていた。
「ほんとに! 良かった。 私が、時間にちょっと遅れるとユリウスはすごく怒るんだよね。 しかも、私たちはユリウスに信用されてないから、こんなタイミング良くあれに会ったなんて言っても絶対に信じてくれない」
一緒に来てくれてありがとうと嬉しそうに言う殿下に、すかさず横から訂正が入った。
「ユリウス様に信用されていないのは殿下だけです。 そこに私を含めないでください。 それから遅れているのは『ちょっと』ではありません。 ここで話をしている今この時間こそがユリウス様とのお約束のお時間です」
「は?」と衝撃に固まりながらも俺は、ラウル殿をゆっくり見る。彼はゆっくりと俺から視線を外していった。
ユリウス・リンドヴェイル。
彼は、現宰相のご子息であり、次期リンドヴェイル公爵家当主である。
以前は「氷の貴公子」と殿下のように貴公子呼びをされていたが、先日起きた「悪夢の氷結事件」から「氷の魔王」と呼ばれ始めた。
彼もまた整った顔立ちをしていた。
輝く白銀の髪を持ち、透き通った氷のようなアイスブルーの瞳は美しく、見るものを惹き付けてやまない。
几帳面で真面目な性格であり、時間に関しても正確に行動する人物である。
そんな彼との約束を、怒られることを知っていて遅れるなんて……。
行きたくない。
必死にすがる思いをこめて再びラウル殿を見つめれば、彼は静かに首を横に振る。そして、一緒に行きましょうと輝く笑顔を向けてきた。
後悔先に立たず、その言葉が身に染みた。
そこで俺はふと気づく。
証言だけならば、ジャックの方が適任ではないだろうか。彼ならば、言葉巧みに殿下にとって都合良く証言を伝えられるはず。百戦練磨の商売の達人だ。そうだ!俺よりジャックの方が絶対にいい。
急いで横を見れば、そこにジャックの姿はなかった。
……。
さすができる男である。
最早一刻の猶予も許されなかった。
時間に遅れているのではない、時間が過ぎているのだ。
早く行こうと歩を進めようとする俺たちに待ったをかけたのは殿下である。
ティアナ嬢にプレゼントを渡したいと駄々をこね始めたのだ。ちなみにティアナ嬢とは、ユリウス殿の年の離れた妹である。
ここで争うだけ時間の無駄である。
ラウル殿はお小言を言うのを飲み込んで「急いでください」と言いながらため息を吐いた。
「大丈夫、大丈夫。もう見つけてあるから」と殿下は迷うことなくそれを手に取った。
殿下が選んだのは、あの白猫のぬいぐるみだった。
ジャックが丁寧に包装し終わると、それを受け取った殿下はそれは嬉しそうに微笑んだ。
今日こそまだ一度も会うことの叶わなかったティアナ嬢に会えるかもしれないと、期待に胸がふくらんでいるようだった。
期待する殿下を眺める俺とラウル殿の意見は一致している。
絶対無理だろう、と。
こうして俺は証言をするためだけに、怒りを湛えた人が待つ公爵家へと連れて行かれた。
王都の東側。
王城より絶妙な距離の場所に、リンドヴェイル公爵邸は建っていた。
窓の外を見ながら「あぁ、もうすぐ着くね」と殿下は言った。そうなんだとつられて外を見れば、窓に血の気のない顔が張り付いていた。
「っ!」
狭い馬車の中で悲鳴をあげなかった俺はかなり頑張った。
すぐにそれは消えたが、驚いた俺の心臓のドキドキは消えやしない。
並び立つ木々の間を馬車は進んでいく。
その木の一本一本に複数の顔が固まり蠢いている。それは、列をなすように一つの場所へと向かって行っていた。
あれらが進む先にあるのは公爵邸だった。
白で統一されたという美しい邸が真っ黒に染まっている。それはまるで、ホラーハウスのような仕上がりになっていた。
帰りたいと切に思う。
「雨の日に見るとこの庭って、更におどろおどろしいね」
友人宅の整えられた庭園に、この方はなんてことを言うんだろう。
しかし、その意見には同意せざるを得ない。
庭園では、所狭しと黒いものが蠢いている。ここにいるのは先ほどとは違い顔はない。
列をなし進む先はやはりホラーハウスな公爵邸だった。どうやら正面から見て右側の場所へすべてが向かっているようだった。
(あそこに何があるんだ?)
俺のその疑問の答えはあと少しで知ることになる。
馬車が玄関前へと止まった。
そして、ラウル殿、俺、殿下の順に降りれば公爵邸の大きな扉がゆっくりと開いて行く。
そこへ殿下を先頭に進んで行けば、髭をたくわえた高齢の執事がにこやかに出迎えてくれた。
「アルフレド様、お待ちして」
バン。
勢いよく扉が閉められた。
閉まるその瞬間、憤怒の形相をしたユリウス殿がそこに見えた。
しかし、そこはさすがの殿下である。
おそらく殿下にも見えたであろうユリウス殿をまったく気にすることもなく、重い扉を自分で開け「酷いじゃないか、ユリウス」と言いながら、ずかずかと中に入って行ったのだった。
「……。」
「……帰ってもいいですか?」
眉間に皺を寄せるラウル殿は、無言で俺の左腕を掴んで離さなかった。
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