第4話

「降りだしそうだね」

その言葉に窓の外へと目を向ければ、確かに黒い雲が空を覆い始め、加えて遠くから雷の音が聞こえてきていた。


「そうですね」

答えると同時に、叩きつけるような雨が降りだした。


「残念。 降りだしちゃった」

降りだす前に着きたかったねと長い足を組み、麗しのご尊顔で俺を見ながら穏やかに笑う。


「……そうですね」

決してお前のせいだなどと口が裂けても言えない。

俺の隣に座る彼の従者殿は、ずっと無言を貫いていた。彼の眉間に寄るその皺が、おそらく同じことを考えていたことを物語る。


激しい雨に、安全のため馬車の速度を落とさねばならない。ただでさえ、予定より時間が遅れているのに更に遅れることになる。より一層、従者殿の眉間の皺が深くなっていった。


微笑みの貴公子は「大丈夫、大丈夫」と暢気に笑い、沈黙の従者殿は、主人に苛立ちをぶつけられず眉間に皺が寄り続けた。


そんな二人に俺は、ひっそりと深いため息を吐いた。





事の起こりは数刻前に遡る。



俺の家は、商売好きの伯爵家で有名な「ヒルデバール家」である。

伯爵家の歴史は古く、かの公爵家と並ぶくらいの古さである。

何代か前の当主が商売の魅力に触れ、自分もやってみようと始めたところ、商人としての才覚に目覚めたようだ。

伝えられている話では、その目覚めは雷に打たれるくらいの衝撃だったとかなんとか。

うちが潤えば、市井で暮らす民や領民が潤う。民や領民が潤えば、国も潤う。国が潤えば、多国への牽制にもなる。すべては繋がっている。

その考えのもと、邁進すればいつの間にか資産は増え続けていった。増えた資産は、溜め込むのではなく出資などで使い循環することを心がけていた。

今では、王都にある半分以上の店が、うちが何らかの形で関わっているほどである。



そんな王都の一角にある、母の出資している店に俺は来ていた。


「そっかぁ。 ジェーンさん、引退するんだ」

連絡を受け店へと駆けつけてみれば、自分が幼い頃から知り合いの、ぬいぐるみ作家の引退話だった。

「はい。 2日ほど前にご連絡があり、こちらをお預かりいたしました。 ルーカス様が、ご覧になられてからの方がよろしいかと思いまして」

そう言うと店主のジャックは、持っていたぬいぐるみを優しく置いた。

テーブルの上には、柔らかく触り心地の良い白猫の可愛らしいぬいぐるみが置かれていた。首には、鈴のついた赤いリボンが結ばれている。それは、作家の愛情が込められた素晴らしい作品だった。


寄る年波には勝てないよとよく冗談で言ってはいたけど……。

ぬいぐるみ一つ作るのにも、なかなか難しいくらいに、最近はよく体調を崩してしまうそうだ。



「この子が最後の作品かぁ」


白猫を見れば本当に可愛らしく作られている。一点物のジェーンさんの最後の作品。


どうかこの子が優しい子のところに行って可愛がってもらえますように。

そう願いをこめてぬいぐるみをそっと撫でた。



ジェーンさんには、今までのお礼と会いに行きたい旨を綴った手紙とともに、ジャックと選んだオルゴールとレースのハンカチをさっそく届ける手配をした。


「喜んでくれるといいな」

「きっと大変喜ばれますよ」

ジャックの言葉に「そうかな」と俺の頬が緩んだ。




ふと外を見れば、道を挟んだ向い側でなぜかお祭りの時のような人だかりができていた。


「いつの間にあんな人だかりが……」

俺がこの店に来たときは、あそこには数人が並んでいただけだったはず。

最近できた人気の菓子店とはいえ、ここまで人が増えるのは異常ではないだろうか。

何かあの店であったのだろうか。

危険があったことを考え、すぐに対応できるように観察し続ける俺に、恐ろしい光景が飛び込んできた。




「げっ!」

人混みをかき分け現れたのは、見覚えのあるピンク色の頭。

そのピンクが向かう先にいたのは、見目麗しい青年。

あの微笑みの貴公子がピンクに突撃されていたのだ。

そして、祭りのような人混みは、かの人を一目見ようと集まった、乙女な婦女子の集団だった。


ピンクが何か言うたびに貴公子の微笑みは深くなる。

しかし、よく見れば貴公子の目はまったく笑っていない。ピンクが何かやればやるほど、鋭くなるばかり。あんな貴公子は初めてだ。

周りの婦女子はそれとなく気がつき、道を開けるがピンクはまったく動じない。むしろ他がいなくなったことに、これ幸いと、ぴたりと張りついて離れない。

ピンクよ、鈍感にもほどがある。




その光景を安全地帯で、俺とジャックは無言で眺めていた。

「……あれ、助けなきゃだよなぁ」

「さようでございますね」

「……えーと。 迎えに行ってもらってもいい?」

ジャックは心得たとばかりに、武装するかのように満面の笑みを浮かべ、かの地へと救助に向かって行った。




この店は完全予約制である。時間を気にせず選んでもらいたいと一日一組の予約だけしか受けてつけていない。

予約者のみが入店できるよう配慮されている。

しかも、店に取り付けられている窓はすべて特注品であり、外からは見えないが中からは見える仕組みになっている。

外は気になるが中は見られたくはない、そんな方々が相当数いるようで、この造りも好評のようだ。



扉が開くと、貴公子と従者殿が入ってくる。

「アルフ様、私も一緒に……」そこで扉は閉まった。もちろんピンクは、弾かれたのだ。

予約もしていない、予約者からの許可もない。そんなピンクが何をしても扉は開くことはない。

二人が店に入れたのは、予約者の俺の許可が出たからである。




「ありがとう。 助かったよ」

その笑顔は、先ほど見たものとは比べものにならないくらい晴れやかだった。


彼は、アルフレド・グランバルド殿下。

王弟でもある、レイク・グランバルド大公のご子息だ。


艶やかな黒髪。

王家特有の金眼。

細身ながら鍛えられた体躯。

彼のつくりものめいた整った容貌は、冷たさを感じさせるが、常に絶やさない穏やかな微笑みが甘さと色気を醸し出し、その冷たさを覆い隠している。

「微笑みの貴公子」そう呼ばれる彼のすべてが、芸術のように美しかった。





俺と対面するようにソファーに座ると、アルフレド殿下は全身の力を抜くように深く息を吐いた。


「まさかここで会うなんて……」

それは、確実にピンクのことだろう。

外には窓に張りつくように、必死で中を覗きこむピンクがそこにいる。

こちらからは見えないことを知っているアルフレド殿下は、あきれたようにピンクを眺めていた。そして「疲れた」と再び深くため息を吐いた。



疲れきって憔悴している殿下へ、追い討ちをかけるように従者殿は「殿下、もうお時間がございません」と無情にも告げていた。

殿下は、従者殿をしばらく無言で見つめていた。「ふっ」と穏やかな微笑みを浮かべながら彼へといい放った。


「ラウル。 君、さっき私のことを見捨てたよね」

「!」


やはり殿下は気がついていた。

そうであろう。俺もジャックも気がついたのだから。

ピンクに絡まれる殿下から、人の流れに押し負けたように装いながらそっと離れ、遠くから見つからないよう息を潜めていたのだ。彼は殿下を生贄に、ピンクから逃げることを選んでいた。

なぜなら彼も、かなりの確率でピンクの被害にあっていたからである。


笑顔の殿下は、従者殿改めラウル殿のお小言を止めることに成功した。

しかし、残念ながらラウル殿の復活は早かった。


「そもそも、殿下があっちへうろうろこっちへうろうろしていたから、あんなおかしなピンクが湧いて出てきたんです。 しかも、迷いに迷ったあげく菓子の一つも買うことができないなんて、もう時間がないのにどうするんですか……」




「よろしければこちらを」

そんな二人へとジャックがそっと差し出したのは、向かいの菓子店の手提げ袋だった。

「こちらには、殿下がご覧になっていたものを包んでいただいております」

驚きの表情で目の前の手提げ袋を凝視する。

固まる二人に、うちのできる男ジャックはまだ止まらない。

「御者の方には、裏口に回るようにお伝えしてあります。 裏口と言いましても外からは業者の搬入口にしか見えませんので、あちらのピンクの方が気づくことはないはずです。 どうぞご安心くださいませ」


ジャックの対応は言わずもがな素晴らしい。しかし、あの菓子店の対応も目を見張るものがある。

あのお祭り騒ぎの中でありながら、 殿下が見ていたものをきちんと把握し、用意するなんてただ者ではない。

これは、協力しあえばお互いに更なる発展のチャンスではないだろうか。

そうジャックを見れば、彼はゆっくりと頷いた。

さすが、できる男である。



固まりから解けた殿下は、姿勢を正すと俺へ真っ直ぐ視線を向けた。

「本当にありがとう。 この店にいてくれたのが君で良かった」

そう言うと少し俺から視線を外すし「大変あつかましいお願いなんだが」と躊躇いながら話し出す。

殿下の横では時計を見ながら、ラウル殿が眉間に深く皺を寄せていた。

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