死ぬのは気持ちいいだろ
辺伊豆ありか
第1話
どうして今まで、こんなにくだらない人生を送ってしまったんだろうと後悔した。
目が覚めた。窓が無く明かりも差し込まず、充電ケーブルにもちょうど手が届かない。こういう時は、決まって朝の4時半頃だ。
クイーンサイズのベッドの上。厚い毛布のせいで、ひどく寝汗をかいた。シーツは湿っぽく、髪も身体もべたついて、シャワーを浴びようかとさえ思った。
しかし隣で四肢を広げて寝こける親友を起こすわけにはいかない。仕方ないか。
気だるい。仮病でも使って学校は休もう。そうすればあと3時間は眠れる。
11時のチェックアウトで出たとしても、クラスメイトたちはまだ学校だ。渋谷駅で出くわすことはないだろう。精一杯作った掠れ声で学校に欠席の連絡をして、まだ乾かない布団に潜った。しとりと冷たい。
今はこのラブホテルの、なんとも言えぬ温い空気と、少し歪でも許される空間に甘えてしまおう。
目を開けても何も見えないから、少し思い出で遊ぶことにした。
小さい頃から、お笑いが好きだった。
お笑い番組を見て笑うというより、喋る、動く、それだけでこんなにも人を幸せにできるものかと感心していたような気がする。
特に司会やラジオをやる芸人さんに憧れて、脳内でいくつも番組をつくった。近況について喋った。頭の中で喋る時間が多い故に、実生活での口数はあまり多くなかったけれど。
大学受験の時に、芸人を目指すか大学を目指すかで悩み、1人涙をこぼしては日記に苦悩を書き殴ったこともある。どちらを選んでも後悔するだろうと思った。芸人としてお金をもらえる見込みなんてない。しかし話すことも、考えることも楽しくて仕方がなかった。その未練を引きずって生きていくのかと思うと、未来が暗くて憂鬱になった。人生で初めて、死のうかな、と思った。
死よりも、暗いと分かりきっている未来へ足を踏み出すのが苦しかった。
熱い志をもつ尊大な人々は、やる前から諦めるなんて阿保のやることだと言うだろう。しかし私には努力が、かけた時間数が、結果になったことは一度としてなかった。運動部にいた時は、身長や足の遅さが、予備校にいた時は、そもそもの場数・知識の圧倒的な少なさが、大学に入ってからは、先生のいう「素晴らしい」の基準が要領よく飲み込めなかったことで、一度たりとも成功したことはなかった。毎日ランニングしても、テクニックを磨いても、部活、2年半という短い時間では、身体能力を技術でカバーできるほど成長はできなかった。しかしそれだけに打ち込むこともできなかった。勉強が好きだったし、読書も、絵を描き小説を書く創作活動も、数分だっていいから大切にしたかった。好きなことをする時間を極限まで減らし、いや、消してまで練習に励んでも、50メートルを9秒でしか走れない私は活躍するどころかお荷物にしかなれないのだ。救急箱の整理だけが私の居場所を作ってくれた。高校では、一年から塾に通い詰め、三年になり朝四時から受験勉強をしても、眠らなくても、点数が伸びることはなかった。
それでも先生方、教授にはやればやるだけ上手くなると耳元で怒鳴られていたので、とにかく時間を割いて練習に励んだ。
結果、3年間で試合に出たのはたった20分、大学は入学式3日前に補欠で合格した。
大学卒業の際の成績も、1日12時間学校で真面目にやっていたにもかかわらず、下から3番目であった。
そう、私は要領が悪く、元々の能力も極めて低いのである。そして何より、何か大事なことに気づけぬままここまで馬鹿のまま生きてきたのである。
過去を振り返ると、真っ黒に塗りつぶされていてよく見えない。友達とくだらないお喋りをすることや、笑い合うのが好きだったので、きっとたくさん楽しいことがあったんだと思う。しかしいくら手で黒いヘドロのようなものを払っても、輝いていた思い出が出てこない。思い出そうとする程、後悔ばかりが手にぬめりとまとわりつくのだ。気持ちが悪い。一度手についたそのヘドロは酷い油汚れのように落ちなかった。落とすには洗剤みたいなものが必要だった。いつしか腕を切ることが洗剤として役立つようになった。痛みは簡単に自省した気になれて良い。周りには厄介な、爪の鋭い子猫に懐かれたと嘘をついた。
大学を卒業後、専攻していた分野を活かしてまずは仕事についた。形態はアルバイトだが、社員の人曰く、ここではアルバイトから社員になっていくらしい。あまり雇用についての話は頭に入ってこなかった。システムは理解したけれど、社員になれるほど役立てることはないだろうなと視界が少し霞んだ。自分がどんな小さな社会の中でも役立つとは思えないし。まあ、細くともまじめに長く続けていれば、気まぐれで正社員として雇用されるのかな、そうだったらいいなあとぼんやり思った。
だが、今の時代、この職場だけでは危ういとも思った。一つの収入に頼るなんて怖かった。流石に今まで打ち込んできたものはことごとく砕かれただけあって、何かに賭すのは少し怖いと学んだ。きっとまたどこかで上手くいかなくなるだろうし。大きい会社じゃないから、急に解雇にあうかもしれない。今はバイトの身だ、副業が許されるなうちに、オンラインでできる仕事に手をつけておいた方がいいはずだ。選択肢を増やしても損はないと踏んだ。
そうして、一年かけてそんなことができそうな資格を取った。その年が半分過ぎたころに、どうやらその資格を活かし仕事に就くには経験もかなり必要と分かり、来年、手っ取り早く同じ分野の大学院を受けてしまおうと決めた。たかだか一年で社員になれるわけもない。どうせならお金を払って知識と経歴を手に入れよう。
まあ、卒業後の一年目はバイトと勉強、それだけの一年間であった。芸人のラジオを聞いて長い時間勉強していれば、時間はかかれど飽きることなくテキストを進めることができた。あとの時間はバイトに費やし、そうしてお金はある程度溜まった。ウイルスの蔓延により友達とショッピングに出歩くこともままならなかったし、大学時代の貯金も合わせるとかなりの額になった。
私はその数字に浮かれた。院には奨学金もある。好きなことをある程度するだけのお金があるのではないかと思った。欲に眩んだ。学ぶことにはお金がかかる。今まで親の金で学ばせてもらっていたが、今なら、1年間だけ自分の金だけで勉強ができるそのくらいには貯まっていた。なんのプレッシャーもなく、好きに学べる。そう思ってしまった。翌日には1年間専門学校に行くことを決めた。3日後には願書を出していた。後悔こそないものの、欲に溺れた自覚は大いにある。翌年から、働きながら学校に行くことにした。シフト制の職場に就けてよかったと思った。ほんの少し、運の良さに心が躍った。
しかし、卒業と同時に世界中を巻き込んだウイルスが、「社会に出た」という実感をことごとく奪った。
3月中には研修こそ出社して行えたものの、4月からは休業、テレワーク、時短営業となんだか不安定な日が続いた。
本当に、それがよくなかった。
有り余る時間に、学生時代には時間がなく頭の隅に押しやっていたことに手をつけることができてしまった。
読書、映画鑑賞、散歩、そして創作活動。
緊急事態宣言が解除された時には、1人で旅行に行った。歴史にハマり、生物学を掘り下げ、考古学に手を出した。知りたいことがいくらでもでてくる。得た知識が繋がっていくのが気持ちよくて仕方がない。そしてそこから生まれる物語や絵、曲、詩などが私の頭の中を駆け巡った。本当に毎日が一瞬で過ぎさった。椅子に座って、考え事をしているだけで何時間も経った。スマホのメモにはいくつもの短編小説ができ、長編にまで手をつけた。漫才やコントのネタも書いた。簡単なものだけれど服も作ったし、イラストも、水彩画も描いた。漫画だけは、どうにも苦手だったが。ひとコマに時間が掛かりすぎて、描き上げる前に挫けてしまうのだ。こんな勉強や創作に入り浸って、この上休業補償もあるのだから、本当に夢のような時間だった。人生の夏休みという言葉を思いだす。絶対に今がそうだと思った。
友達と話す時には、遊べないことに嘆く友達に話を合わせたが、微塵も同意の気は起こらない。オンライン飲み会中には図鑑を眺めていた。挙げ句の果てには、Wi-Fiの弱さを言い訳ににカメラを切って、書き物をしながら友達の惚気に相槌をうった。この時間だけは、少し心地のいい世界になったなと思った。
一方で、私が図鑑やらを読み漁り始めたと同時に、知ったことについて誰かと話しあいたいという欲が抑えられなくなるのを感じ始めていた。
コスメや恋愛の話を友達としていても、どうしても脱線しかかってしまう。そういった話題について思うことがなくなっていく。
恋愛について話していたのだが、いつのまにかナポレオンフィッシュのコブについて話していたことに気づいた時、なんだかもう自分はダメだと思った。横にいた友達はInstagramに夢中になっていた。私はこんなにも協調性を失っていたのか。ああ。相槌が無機質になっていく。数分前の話の内容を思い出せない。聞いている時に別のことを考えてしまっているのだと思う。
友達の中で、自分だけが色褪せて、朽ちていくような気さえした。世の早さに追いつけなくなった。めまぐるしいと感じた。
そんな中、話の合う親友が1人だけいた。
吉岡群青という。忖度、と同じイントネーションで群青、と読む。
群青もまた、私と同じく情報中毒の気があった。好きな分野こそ違えど、知りたがりで、ニュースも小説も好んで読んでいた。地理に詳しく、気になることはとことん調べる。世の中には気になることが多すぎる、とボヤいた時には激しく同意してくれた。その時も確か、言いながら入った喫茶店の名前について何か調べていた。フランス語だから、ああこれは地名か、とぶつぶつ言いながら、彼は画面を眺めていた。
そして、群青の最も愛すべきところは、強い意志で働かずにいるところだった。
彼が働けない理由は2つある。
一つ目は、やりたいことが多すぎるということだ。とにかく知りたがりの彼は、どうにも労働によって賃金をもらうのが下手くそであった。何をしていても、些細なことが気になって、今すぐ調べたい、この疑問を忘れたくないと思うらしい。そうして労働時間が無駄に思えて、始めて1週間も経たぬうちにバックれたと言って笑う。やりがいとやらを見出せる仕事に出会えればいいのだが。そう思い、情報は好きなんだしライターとかになったらどうかと勧めたが、表現するのは性に合わねぇなと渋い顔でタバコを灰皿に押し付けていた。
二つ目は、恐ろしく睡眠時間が長いことである。毎日ではないものの、14時間平気で眠れる人間だ。寝坊という言葉じゃ済まされないような寝坊をする。フレックスタイムなんか通用しないほどに寝てしまう。
もちろん待ち合わせ時間なんてのは彼には無い。それを決めようもんならこっちがものすごい時間を無駄にする。たとえライブや公演に行こうとなっても、絶対に時間を守ることはなかった。
その上就寝時間も不規則である。彼も取り掛かったらやり切りたい性格故に、何かを始めたら眠らない。執着心の強い奴だ。目先のことに異常に熱中する癖がある。
そうして、幾多の友人と疎遠になったり親密になったりを繰り返していく中で、この群青という友人だけは一定の心地よい距離を保ったまま過ごしてきた。情けなくも誇り高い親友だ。
そして、私が専門学校に行くことを彼に告げた冬、彼から衝撃的なことを告げられた。
「俺、youtuberになろうと思う」
耳を疑った。
どの口が言う。表現が性に合わないと確かに言っていたではないか。それは、カメラの前で表現するということではないのだろうか。
いや、まだ決めつけるのは早い、料理や釣りなど何か専門的なことを紹介する動画なのかもしれない、と思って恐る恐る尋ねると、
「いや、面白いことをやるに決まってるだろ。だからお笑いの養成所に行くんだ」
と言った。
心の中に、重たく暗い嫉妬心が姿を現した。
羨ましくて仕方がなかった。私だってその選択肢を選べるはずなのだけ、ああ、ずるいと、悔しいと思った。何かを作ることが楽しくて仕方がない私には、ネタを作るだとか、話を組み立てるだとかが本当に楽しそうに、現に楽しく思えたからであった。他の創作活動は、1人だってできる。しかし相方が必要な漫才・コントに関しては、そうはいかない。
そうして、やはり舞台に立つということは、芸人として食っていく事と、どうも同義らしい。今でこそ副業でお笑いをやる人の増えたものの、やはり多くは腹を括って芸人になるのが相場のようだ。相方を探してみたけれど、出会った人には仕事をやめろだの、趣味をやり過ぎるなだの、お笑いのことしか考える奴じゃなきゃだめだのと言われ、私は項垂れて帰るばかりだった。多くの物事に興味をもつ私には、それだけで生きていくという選択は到底できなかった。
ネタでも小説でも、作品に関して、売れるだとか、仕事になるだとかというのはイマイチよくわからない。
他人の基準や判断を気にかけることが私にはできないのだ。否定されたことしかないから、自分は否定されるものしか生み出せないと分かっているし。自分がいいと思うものを作りたかった。見るもの全てに対して、これは何が面白いポイントなんだ、構造はどうなっているなどと考えて生み出すのが好きだった。
そんな方法でしか生きてこなかったので、自分が作ったものを共感されるために出すなんて到底できなかった。拒否ではなく、不可能なのだ。共感されないだろうけど、ネットの波に浮かべておこう、どこでも見られるし、といった程度のことだった。売れても金になると思えない。一度売れたとしても次があるとも、ましてや名が広まるだなんて考えもつかないのだ。お前の作品はトイレに貼るのがお似合いだと言われたのを思い出す。ネットの世界は良い。トイレにも、舞台にもなる。
そもそも自分の好きな、それこそ歴史の教科書に出てくるような画家でさえ、パッと名を出したところで今周囲にいる半数が分かるかどうかも怪しいような気がする。その上どんな特徴があるか、描いた時代、何に影響を受けどんな影響を与えたか、そしてどこが素敵だと思うのか、答えられる人はいるだろうか。人間皆、興味がないものについては答えられないだろう。そして興味があるものなんて、世界中の物事の、ほんの一欠片に過ぎない。つまり認知度や好感度、評価などはどうだっていいのだ。皆そもそも私自身に、私の生み出すものなんてゴミだと思っているだろうし。少なくともそう言われてきたのだから、そう思う人は大勢いると言うことだ。
なんて楽なんだろう。
だからこそ、群青が羨ましかった。一つのことに人生を絞れるんだ、あいつは。嫉妬心で狂いそうになる。
固く閉じた夢がガタガタと音を立てて頭をよぎる。お笑いをやりたかった。しかしできない。私はあまりにも多くのことに興味がありすぎる。成功を夢見る人たちと共には居てはいけない人間だから。
重たい枷がガチリと体を捉えた。
身動きが取れなくなる。
群青が思いっきりお笑いを楽しんでいる姿を見たら、羨ましくなるに違いない。
あの時閉じた夢の蓋を少し開けてくれた群青に、なぜついていかなかったのか。自分もやればよかったではないか。絶対にそう思うんだ。そう思ったままこれから何十年と生きていくんだ。未来が洞窟のように暗い。入り口に立つ私は、この先に進んでも何も見えないことはわかっている。
部屋に帰ると、窓からの陽が強くとても明るく思えた。
引越しの際運搬に使ったロープを携えながら、死ぬ、と考えると、本当に心が溶けていくようだった。
ああ。もう何も考えなくて良い。先に進まなくていい。感謝も恩も関係がない。生きていたってお荷物と言われ続けた人生だ、文字通り皆の肩の荷が下りるだろう。社会貢献とさえ言える。
先のことを考えなくていいなんて、本当になんて幸せなんだろう。何も気にせずにいられるってなんて素晴らしいことなんだろう。
あまり正気でいるよりも、脳がパッと明るい時の方がより幸せに最後を迎えられるだろうと思って、精神安定剤をあるだけ飲んだ。
たしか祖母が漬けてくれた梅酒があったはずだ。それも飲んでしまおう。ウイスキーもあと数杯ぶん転がっていたはずだ。炭酸がないから大好きなハイボールにはならないけれど、まあいい、飲もう。
泳いでいる気分だ。
子供の頃から、浮き輪を使うのは好きではなかったな。
体の変な所の筋肉を使う気がして、だったらまだ泳いでいた方がいいなと思っていた。
今日は雲のない空で、すごく良い。
風もない。木々が勝手に揺れる様が心地よい。
立ち上がると、部屋がぐるりと回った。
畳が波打つのが分かる。干潮まで時間はあるだろう。少し腰を下ろしてもいいだろうか。
いや、そうだそうだ、私は遠くへ行こうと思ったんだ。
船が見たいな。乗るよりも、見ている方が大きさに憧れて気持ちがいい。
では、この辺りで、そろそろ幸せに身を委ねるとしよう。
部屋に迷い込んだ蠅が手を振ってくれた。君はここに来てもう3日だったな。シンクに君が好みそうなものが置いてあるはずだから、ゆっくりたべていくといい。達者でね。
それでは、幸せの彼方へ。彼方ってどう言う意味だっただろうか、まあいい、着けば分かるだろう。ふふ、楽しいなあ。もっと楽しいことがある。広い広い野原にいる気分だ。
そうして、窓を見ながら、空中へ一歩踏み出して、私はありったけの幸せを頬張った。
ゆっくりと陽が強くなっていった。眩しくて見えなくなったころ、楽しさに笑いが込み上げてきて、お腹だけで大きく笑った。
快楽そのものだ。幸せだ。幸せだ。
早く皆も幸せに浸かりにくるといい。
ここは、心地の良い波に揺られながら、何をしたって良い世界なんだから。
死ぬのは気持ちいいだろ 辺伊豆ありか @hase_uta
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