第10話

 学校から離れていくラタトスクの姿を確認して、ヘイムダルは視界を先程の屋上へと移す。

 彼女の持つもう一つの異能〝虹の管理者〟は、遠方の出来事を知覚できる能力である。彼女の二つ名の由来ともなった異能は、まさに千里眼の俗称に相応しい。

 ヘイムダルのもう一つの目が捉える風景には、一人屋上に立つスルトの姿があった。

 スルトの精神に、直接語りかける。


『彼の言ったこと、真実だと思いますか?』


 漆黒のローブは考えるように身じろぎをして、肯定の頷きを見せた。


『ワルキューレ・ジークルーネが、本当に彼に危害を加えると?』


 首肯。


『わかりました。あなたも戻って下さい。お疲れ様でした』


 その言葉を最後に、ヘイムダルは自身の異能を解除する。彼女の目には、図書室の静謐な景色のみが広がった。

 おざなりに選んだハードカバーを眺めながら、ヘイムダルは思索に耽る。


 世界最大規模の異能機関〝ヴァルハラ〟。そこに所属する特に優秀な十一人の女性異能者に与えられる称号――それがワルキューレである。力なき一般人や正しき異能者達を守り、異能を悪用する者達を粛清する。また、新たに異能に目覚めた者を導く選別者としての役割も担っている。秩序を保つ使命を負った特異の異能者である。


〝ヴァルハラ〟の所属ではないヘイムダルも、ワルキューレの一人とは面識がある。異能者として優秀であり、清廉潔白な人物である。彼女に限らず、ワルキューレに選出される異能者は皆同じ資質を持つ者であるとのこと。

 そのワルキューレが、私怨からの復讐などするものだろうか。

 監視対象が多くの怨恨を買っていることは承知である。複雑な事情があったことも耳にしている。しかし、そうだとしても、規律を重んじる彼女達ワルキューレが私情を理由に復讐を実行に移すとは思えない。


 あるいは、ラタトスクの情報が間違っているか。ワルキューレ・ジークルーネが対象を狙っているのが事実だとしても、そこには大義名分があるのかもしれない。

 思い至って、ヘイムダルはその考えが無意味なものだと気付く。

 ワルキューレによる選別と粛清は、彼女らの自由意思に一任されている。彼女らの決断を覆すことは、いかなる機関、権力にも不可能。同じワルキューレにも口出しをする権限はない。


 それはつまり、五年前の停戦協定によって定められた『岸本ダイスケへの不干渉』という条文すら、無視できるということだ。例え私怨だろうと大義だろうと、ワルキューレには対象を粛清する権利がある。

 ワルキューレ・ジークルーネが対象を粛清したとして、非難されることはあっても、表立って罰せられることはない。


 彼女を止める方法は、心変わりさせるか、無力化するかのどちらかしかない。

 可能か否かではなく、果たさなければならない。岸本ダイスケを監視し、守護する。それこそが、ヘイムダルとスルトに与えられた使命なのだから。

 願わくば、ラタトスクの言葉が欺瞞であって欲しい。

 ヘイムダルは、そう祈らずにいられなかった。

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