第8話
翌朝も同じく、ダイスケは陰鬱な顔のままだった。
授業が始まると嫌でもあの一瞬を思い出してしまう。
この前の日曜日から数えて都合五日間。彼女の姿が脳裏に焼き付いて離れない。恋を知った初心な乙女のようだと自虐する。否定したいが、ここまでくるとこの感情が恋なのではないかと錯覚してしまいそうだ。昼も夜も相手のことが気になって仕方がない。恋する乙女の症状そのままではないか。
「バカバカしい」
このところ口癖になっている言葉を、またもや呟く。
色恋沙汰などという甘酸っぱいものならばどんなによかっただろうか。彼女の視線に込められた明確な殺意は、他人の感情に鈍感なダイスケですら感じ取れたほどだ。
誰かに殺したいほど恨まれるようなことをしただろうか。少なくともダイスケの記憶にはない。
そもそも、あの少女は実在するのだろうか。悪い白昼夢を見てしまっただけではないか。あまりにも強烈な存在感を放っていただけに、本当にいると思いこんでいたが、もしかしたらダイスケが見た幻覚だったのかもしれない。あるいは幽霊の類か。それはそれで気味が悪い。
色々考えを巡らせているうちに昼休みがやってくる。今週に入ってからの授業の内容はほとんど頭に入っていなかった。
「岸本くん。彼女さん来たよ」
前席の女子生徒が言いつつ席を立ち上がる。それとほぼ同時に、ミコトがその席にやってくる。
「やぁ、毎日すまないね。ありがとう」
「いえいえ、ごゆっくり~」
女子生徒は朗らかに言って、弁当箱を手に友人達の集まる教室の隅へと向かった。
空いた前席にミコトが後ろを向いて腰掛ける。ダイスケの机を挟んで向かい合い、ミコトは大きめの巾着袋を置いた。二人分の弁当だ。高校に入って先、二人の昼食の用意はミコトの役目となっている。どちらが言い出したというわけではない。会話の流れからいつの間にはそのなっていた。
ダイスケはミコトの美味しい手料理が食べることができて嬉しい。ミコトは手料理を美味しそうに食べてくれるダイスケに満足。そんな事情をお互いに理解しているため、ダイスケは遠慮をしないし、ミコトは妥協をしない。
この昼食の時間だけは、ダイスケが心から落ち着ける貴重な一時であった。
「そういえばもうすぐ期末テストだね」
ダイスケ持参の冷たい麦茶を飲みながら、ミコトが言った。
「来月だろ。まだまだ先の話だ」
「そう思っているうちにあっという間にやってきた、っていうのがいつものパターンじゃないか」
「大丈夫。高校上がってからは真面目に授業を受けてるからな」
「受けてるだけで身についてなきゃ意味ないよ」
中間考査の時を思い出す。試験開始三日前から勉強を始めたダイスケの成績は、良くも悪くも並と言ったところであった。科目によって偏差値五十前後を行ったり来たりしている。短い期間の詰め込みで平均点に到達できたのは、ミコトという優秀な家庭教師のおかげである。
「まあ、次も助けてもらうさ。俺はミコトを頼りにしてるからな」
「そんなこと言って、楽をしたいだけだろう」
呆れたような言い草のミコトだが、その顔に浮かぶ満更でもない表情は隠せていない。
頼りにされて嬉しいのは解るが、こんな男のどこがいいのか。そんなダイスケの卑屈な考えは今に始まったことではない。であるからこそ、自ずと湧いて出る自虐的な思考と上手く付き合っていく術を身につけている。悩んでも仕方ないこと、解らないことは切り捨ててしまうのがベターである。それができるようになるまでは幾分かの時間がかかったが、コンプレックスに悩まされることも良い経験であったと、ダイスケは達観したつもりでいる。一種の自己防衛機制であった。
昼食を食べ終えて、二人はごちそうさまをする。話題は放課後のことに切り換わった。
「今日はどこかいく?」
「んー。行きたいことがあるなら付き合うけど」
ミコトの誘いに、ダイスケが答えた。
「じゃあさ、先週行ったカフェはどうかな。あそこの雰囲気が気に入っちゃってね」
ダイスケは頬杖をついたまま「ふむ」と息を吐く。あの喫茶店のことはほとんど憶えていない。例の少女が衝撃的過ぎたせいだ。ミコトと何を話したかも、あそこで飲んだ飲み物が何だったかでさえ思い出せないほどだ。
「いいぜ」
ダイスケは即答した。正直、喫茶店そのものに興味はない。しかし、もしかすれば、あそこに行けばもう一度あの少女が現れるかもしれない。
「俺も行きたいと思ってたしな」
「それはよかった」
言いながら、ミコトは巾着を持って席を立つ。
「じゃ、ボクは教室に戻るよ。また放課後に」
「おう」
教室を出る際に振り返って手を振り、ミコトは廊下へと出ていった。客観的に見て、恋人だと誤解されても仕方ないと、ダイスケは改めて思った。
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