第7話

「信じて頂くほかありませんが。いや困りました、私にはそれを証明する術がない」


 まったく困っていなさそうに言う男に、ヘイムダルの眉がほんの僅かに吊り上がる。


「これで三度目です。一体どのような目的で、対象に接触を図ったのですか」


 張り詰めた空気は一切の予断を許さない。仮に男が一瞬でも戦意を見せれば、この場はたちまち戦場と化すだろう。そうなるのは、男としても本意ではない。それはヘイムダルも同じだろう。彼女は平静を装ってこそいるが、ポーカーフェイスの裏に隠された腰の引けた感情を、男は目ざとくも見逃していない。


「強いて言うならば、忠告……でしょうか」


 男はあくまで柔和に告げる。


「私の立場ではあなた方に話せることはそう多くありません。ですが、こう言えばお解りでしょう」


 一呼吸の間を置く。場の緊迫度は臨界に達しようとしていた。


「ワルキューレ・ジークルーネが動き出した」


 男の一言に反応したのは、スルトの指先であった。今まで微動だにしなかった漆黒の人型がぴくりとだけ動きを見せた。


「ワルキューレ……ジークルーネ?」


 問い返したのはヘイムダルだ。怪訝な声色は彼女の理解が及んでいないことを示している。


「この世界に足を踏み入れて日の浅いあなたはご存じないでしょうが、かの監視対象は方々から恨みを買っています。ワルキューレ・ジークルーネは、その最たる一人。当の本人は憶えていない様子ですがね」


「そんな馬鹿なこと……対象へ刺激を与えることは停戦協定で固く禁じられています。いくらワルキューレといっても、明らかな越権行為では」


 男は内心で唾を吐く。おめでたい小娘だ。形だけの停戦協定に何の意味があろうか。ジークルーネは全て承知の上だ。覚悟を決めた人間の執念は、紙の上に並べられた文字などで縛れるものではない。


「信じるか否かはあなた方次第。彼には危機が迫っていることを伝えたかったのです。ただそれだけ。どちらの味方をするつもりもない。さしもの私も命は惜しいですから」


 それだけ言うと、男は再び校舎に向き直った。

 これ以上の会話を拒絶する背中を向けられた二人は、お互いに瞥見し、意思の疎通を交わした。

 ヘイムダルが静かに口を開く。


「少しでも妙な真似をすれば、容赦はできません。留意しておくように」


 相変わらず平坦な声だが、今日最も険のある口調であった。


「しかと」


 その返答を合図に、二つの気配は男の背後から消え去った。

 男は哄笑を堪えるように肩を震わせ、含み笑いを漏らす。

 ヘイムダルの忠告に意味はない。男が何をすることもなく、ジークルーネは既に復讐へと動いている。あとは事の行方を見守るだけでいい。そうあることを願う。


「期待していますよ、お二方」


 アルビノの男――ラタトスクはしばしの間、興味深げに校舎を見上げていた。

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