第5話
「バカバカしい」
授業中、ダイスケは誰にも聞こえないような声を吐き捨てた。
あれからずっと考えていた。少女の視線に込められた激情。その意味を。
殺意。殺しの覚悟。そんなものを自分が知っているわけがない。向けられる理由がない。そんな物騒なものとは無縁の、平和な現代日本で育ってきたのだ。殴り合いの喧嘩ですら経験した憶えはない。
だが、どれだけ理性で否定しても、あの少女の視線が頭から離れない。
ダイスケは一日中上の空だった。ミコトに心配されたが、根拠のわからない懸念を説明することはできず、なんでもないと言い張るほかなかった。
帰宅後、夕食を終えてしばらく自室のベッドから天井を眺める。気を抜けばあの少女の姿がフラッシュバックのように脳裏を過ぎる。同時に胸の中を掻き毟られるような感覚に襲われ落ち着かない。焦燥、恐怖、猛り諸々が混ざり合い、ダイスケの内をざわつかせる。
今のダイスケは異常だ。その自覚もある。溜まる不快さを声にして吐き出すも、一向に無くなる気配はない。
このままじっとすることに耐えかねて、ダイスケは夜の散歩に出た。普段の生活からは思いもつかないような行動だが、少しでも身体を動かしていなければ鬱憤は溜まるばかりである。
時刻は午後九時を回っている。住宅街にほぼ人影はない。生温い空気がダイスケの肌を撫でていった。
道を挟んで向かいの家。ミコトの部屋の明かりが目に入る。連れ出そうかとも思ったが、今は一人の方が気が楽だと考え、ダイスケは行き先も決めずに歩き出す。この時間ともなると日中よりは比較的涼しい。屋外に出たことによる開放感から溜息が漏れる。
ダイスケの足は半ば無意識に通学路を辿っていた。ほぼ毎日通っている道も、月光の下では雰囲気が大きく違う。塾帰りの学生やランニング中の男性などがちらほら見受けられたが、朝の様な人通りは当然なく、車のエンジン音も遠くから聞こえるのみだった。
やがてダイスケは自身の通う高校までやってきた。正門は施錠され、校舎の明かりも消えており、防犯の為の電灯が煌々と灯っているだけだ。意味もなく立ち止まってはみたが、ここに用があるわけではない。ダイスケは校門の向こう側を一瞥しただけで、再び歩を進め出した。
男とすれ違ったのは、それからすぐ後のことだった。
ダークスーツを着こなした長身の男性。この暗闇では近づくまで気付かなかったが、日本人ではない。短く刈り上げられた頭髪はほとんど白に見えるほどに明るく、整った目鼻立ちは西洋人特有のものである。
夜闇の中でも不思議と強い存在感を放つ男だった。故に、すれ違い様に突然話しかけられたダイスケの心境は驚きとして表情に表れるほどだった。
「少し、よろしいですか?」
流暢な日本語を紡ぐ声は柔らかく落ち着きがある。浮かべられた柔和な微笑みも相俟って、人の良さそうな印象を受けた。同世代でも比較的高身長のダイスケが見上げるほどの大男だが威圧感はない。
「何か?」
警戒心を隠すことなく、ダイスケはあえて無愛想に返答する。
「ああ、突然申し訳ありません。実は道に迷ってしまいまして」
眉を八の字にする男。よく見れば、瞳の色も白い。瞳孔だけが黒さを持っている。男は所謂アルビノであった。
「この付近に青陵高校という学校があると伺っているのですが、ご存じではありませんか?」
青陵高校は、ダイスケやミコトが通う進学校である。先程通過した場所だ。
「それなら」
ダイスケは自分が通ってきた道を指し、
「ここを真っ直ぐ行けばありますよ」
こんな時間にこんな男が高校に何の用だろうか。当然の疑問を抱いたが、余計な詮索はしない。ダイスケにとって他人の事情など路傍の石よりも興味のないものだった。
「これはご親切に。ありがとうございます」
「いえ、じゃあこれで」
礼をする男を尻目に、ダイスケはその場を去ろうとする。見知らぬ人間と話をするのはあまり好きな方ではない。
「老婆心ながら一つだけ申し上げておきたいのですが」
男の声に、ダイスケは足を止めた。
「理性とは人が持ち得る最大の美点だが、時には感情に身を委ねることで拓ける道もある」
流石に振り向いた。
「私が過去に読んだ本の一説です。何やら悩んでおられるご様子だったので……ただのお節介ですからあまりお気になさらずに。それでは、失礼」
ダイスケの返答を待たず、男は一礼して歩き去っていった。
理性と感情。訳のわからない戯言だと聞き流したいところだが、今のダイスケにとっては無視のできない言葉であった。
頭に靄がかかる。混乱し、思考がまとまらない。
「なんだってんだ」
男の背中が闇に隠れると、ダイスケはそんな言葉を絞り出した。
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