都合よく、服だけ溶かされる

 しばらく歩き、森の中へ足を踏み入れた。


「この森って、こんなに薄暗かったっけ?」


 森の内部をさまよいながら、ボクは首をかしげる。

 

 普段なら、陽の光が入って心地よいくらいだ。

 昼間だというのに、なぜか肌寒かった。日差しが入ってきていない。


「それに、誰かに見られているかのような」


 歩いていると、キュアノの大きな背中にぶつかった。

 先頭を進んでいたキュアノが、突然立ち止まったのである。


「あふんっ」

 

 いい匂いがしたけれど、キュアノの放つ気配は、そんな幸せな空気さえ吹き飛ばす。


「どうしたの?」

「精霊の声が、か細い」



 この世界の森には精霊という守護者がいる。


 侵入者を拒んだり、世界の法則を管理していたりするのだ。魔物のような不浄の存在が入り込めば、精霊たちが動物に憑依して対処する。だが、森の住人たちに被害が出ると、精霊の加護は弱まってしまう。


「相当強いモンスターに、この森は弱らされている」


 ウルフやゴブリンくらいなら、森の動物でも倒せる。


 しかし今は、動物たちの勢いを感じない。



「急ごう。ダンジョンはどこ?」

「この先。岩場のところ」


 足早に歩くキュアノに、ボクもついていく。

 段々と、瘴気が濃くなってきた。


 なんなんだいったい。この状況は。


 実はこのルートを、脱走に使おうと思っていた。ここからなら、街も近い。夜になったら、家を飛び出そうとさえ考えていたのである。


 しかし、これでは脱走どころではない。


「あった。ここ」


 樹木地帯を抜けた岩場に、空洞が。


 岩肌には、不自然に裂けた切れ込みがある。

 まるで、誰かが大型の剣で切り裂いたような。


 岩にできた口から、吐き気をもよおす程の瘴気が溢れていた。


「中に入ろう」

「気をつけて、サヴ」


 ボクの安全を確保しながら、キュアノが先行する。ボクもついていく。


 雨も降っていないのに、湿気が充満して蒸し暑かった。


 うわ、ジメジメして気持ち悪い。服が湿っちゃう。


「なんだよ。肩にベトベトした水がついた! 服に匂いもついてしま……う?」


 いやいやいや! いつもなら、こんな気分にならないのに。そうか、これも装備の効果だなっ! ボクの感情にまで左右するなんて。呪いのアイテムだね!


「早く調査を済ませて帰ろう。この服を脱がないと」


 ある意味ではラスボスだと思うよ、この衣装は。人を男の娘に脳内変換してしまう、呪われアイテムだ。


 あちこちに、動物たちの骨が散乱していた。まだ新しいね。


「モンスターたちが村や畑を襲うようになったのは、おそらくエサ場を荒らされたから」

「ここから誰かが、魔物を召喚しているわけじゃない。けれど、魔物が村へ降りている原因はここだと?」


 キュアノはうなずく。


「だとしたら、早く元凶を退治しないとね」


 洞窟の奥へと進んだ。


 モンスターはいない。それどころか、さっき逃げていたモンスターさえ、死んでいるではないか。


「仲間割れ?」

「違う。おそらく共食い」


 いる。この先に、強力な力を持った敵が。


 体中をネバネバした表皮で包んだ生命体が、最奥部のフロア全部を占拠している。


 ダンジョンの深部にいたのは、大ナメクジだった。動物などを食べて、この洞窟に棲み着いていたようだ。


「それにしては、大きすぎない?」


 大ナメクジは、この一帯ではポピュラーな魔物だ。それがこんなにもデカくなるなんて。まるで、ダンジョンのフロア一面を覆うほどだ。


「誰だぁ。オレさまのテリトリに入ってくるやつはぁ」


 のっぺりとした声で、大ナメクジがあくびをする。言葉も話せるとは、知性も高い。


「お前のせいで、みんなが迷惑している。この村から出ていけ!」

「ちょうど動物では腹が満たされなかったところだぁ。人も襲うかぁ!」


 口を大きく開けて、ナメクジが粘液を飛ばしてくる。


「なんの!」

 

 ボクは紙一重でかわす。


 粘液は、ボクのいた場所の岩にへばりつく。


 一瞬で、岩がハチミツのように溶けた。大ナメクジ程度が射出できる出力ではない。


「お返しだ! 忍法・ねずみ花火!」


 持てるだけのクナイに火炎魔法をエンチャント、つまり付与して放つ。


 だが、「ジュッ」という音だけ複数鳴った。火はねね気まみれの表皮を焦がすには至らない。


「うおおお! あっちいいいい!」


 効いている? いや、怒らせただけのようだ。


「気をつけて。こいつ、【魔石】で強化されている」


「魔石だって!?」


 魔族が魔物をパワーアップさせるために使う宝石や鉱石を、魔石という。しかも、こんなに大きなパワーを出せる魔石なんて、魔王の勢力くらいしかいない。


「つまり、ここに魔王の配下が?」


「サブ、油断しないで」


 キュアノの声に、ボクは我に返る。


「おのれこうなったらぁ」


 大ナメクジが、身体を平べったくさせた。


 ボクの足に、ナメクジの胴体が絡みつく。


「これで逃げられまいぃ! ペッペッ」


 立て続けに、ナメクジが口から粘液を吐き出した。


 一発目は回避したが、二発目が肩をかすめる。


「わあ、しまった!」


 ジュワッと音がして、肩のパフスリーブに穴が空いた。しかし、皮膚が炎症を起こす気配はない。これは!


「これって、まさか!」


 あれだ、【都合よく服だけ溶かす粘液】に違いない!

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