開いたものは
私の作ったリドメードの一瞬のスキを見逃さないバーナードは、やはりさすがである。
植え込みに投げ飛ばされたリドメードはそのまま失神してしまったようだ。
落ちたところで、頭を打ったのかもしれない。正直言えば、一発私も殴りたかった。
「大丈夫か、デートリット」
リドメードが起き上がってこないのを確認し、バーナードは私を抱き起してくれた。
緊張が急に切れた私はバーナードの胸に倒れこむ。
そのまま私の身体はバーナードに引き寄せられて、その腕に抱かれた。
胸がとても広くて硬いのに、とても温かい。
その優しい抱擁が、リドメードに触れられた嫌悪を忘れさせてくれた。
バーナードの体温に触れているだけで、安心できる。
心のどこかでこの胸は私のものではないとわかっているのに居心地がよくて。彼の優しさに付け込んで、甘えて。私は、酷い女だ。
「もっと早くに来なくてはいけなかった。すまない」
私は首を振る。悪いのはバーナードではない。私が迂闊だったのだ。
そもそも私は会場の警備担当である。不審者に不意を打たれて襲われたなんて、大失態だ。
それに慰労会の主賓であるバーナードが私を助けなければいけない義務はないのだ。むしろ巻き込んでしまった私こそ、謝罪すべきである。
「助けていただいて、ありがとうございました」
私はゆっくりとバーナードの胸から顔をあげる。
心配そうなバーナードの瞳。こんな時なのに、胸がドキリと音を立てた。
「怪我はないか?」
「大きなものは。多少、あちこち痛いですけれど」
言いながら私はあらわになっていた胸元に気が付いて、慌てて腕で胸を隠した。
若い娘でもないのにと思われそうだけど、この年でも恥じらいはあるのだ。
「バーナードさまのおかげでなんとか大丈夫です。でも服も体もよだれで汚されたので、体を洗って着替えたいところですけれど」
贅沢は言っていられませんね、と私は肩をすくめる。私はまだ、職務中なのだ。
「よだれ?」
バーナードは私のはだけた服や下着にやや湿っている箇所があることに気付き、リドメードの方を睨みつけて、舌打ちをした。
「デートリット、上の服を脱げ」
「へ?」
突然の言葉に私はさすがに驚く。意味が分からない。
「わずかでもあんな奴の唾液が付いた服をデートリットが着ると思うと、怖気が走る。これを着ろ」
バーナードは言いながら、自分の上着を脱いで私に差し出した。
「でも……」
私は首を振る。もちろん、唾液で濡れた服を着たくはないけれど。職務に戻らないといけない。
「私はまだ職務中ですし、それに、バーナードさまはまだ、慰労会の最中です。軍服をお借りするわけには……」
バーナードの服を借りた状態で仕事はできない。それにバーナードに迷惑もかかろう。
「だめだ。これは命令だ」
バーナードの口調はいつもより強い。言葉のどこかに苛つきを感じた。
「しかし、バーナードさま」
「頼む。デートリット。そうでないと、俺はこの場であの男を殺したくなる」
バーナードは憎しみのこもった目で、失神している男を睨みつけた。
ああ。バーナードは私のことで、リドメードに怒りを感じてくれているのだ。
無論。
私もあの男が死んだところで、少しも悲しくはないけれど、バーナードのめでたい日を血で汚したくはない。許す気は全くないけれど。
「わかりました。ありがとうございます。お借りします」
私はバーナードの上着を受け取って、そでを通す。
長身のバーナードの服は、私には大きすぎて、全てがガバガバだ。ほんの少しぬくもりが残っていて、なんとなくバーナードに抱かれているような気分になる。
服を借りただけなのに動悸が止まらないなんて、私はきっとおかしい。
「では、あいつを何とかしましょうか」
目が覚めて逃げられても困る。兵を呼んだ方がいい。
「デートリット?」
立ち上がろうとしたら、少し身体がふらついた。思ったより、ダメージをうけているようだ。
「無理はするな」
「大丈夫です」
こんなのたいしたことはない。そう思って歩き出そうとしたら、不意に身体が宙に浮いた。
「え?」
咄嗟に何が起こったのかわからなかった。私は、バーナードに抱き上げられていた。
「バーナードさま?」
上着を借りただけでも申し訳ないというのに。
「今日は私の慰労会だろう? 私の好きにさせろ」
「でも、バーナードさま」
私は歩けますーーそう言おうとした時、突然バーナードの顔が近づき、唇に柔らかいものが触れる。
触れたのは一瞬のことで、事故のようでもあったけれど。
キスをされたのだということに気づいて、私の頭は真っ白になった。
「デートリットは何の心配もするな」
その後、私は多くの人ひとに目撃されつつ、医務室に運ばれた。
バーナードの軍服を着せられているせいで、皆の目が必要以上に痛い気がしている。
嫌ではないけれど、私はともかく、バーナードは大丈夫なのだろうか。
医務室を出るなと言い含められて、私はひとりベッドに座り込みながら、私はぼんやりと天井を眺める。
あまりにもいろんなことがありすぎて、それに、体中が痛くて思考が整理できない。
バーナードには愛しいひとがいると聞いていたのに、どうして私にキスなんてしたのだろう。
そういえば。
リドメードは、私をバーナードの恋人だと思い込んでいたようなふしがあった。
どういうことだろう。
頭を打ったせいなのか、意味が分からない。
「あっ」
私はふと思い出して、自分の髪に触れる。
乱闘のせいで、結った髪はぼさぼさだ。髪に引っかかるようにくっついていた髪飾りは無事だったけれど、ついていた琥珀の玉は傷だらけだった。
「気に入っていたのにな」
私は小さく呟く。
バーナードの想い人のヒスイの髪飾りは、今、誰がしているのだろう。
いつの間にか、頬に温かいものが伝い始める。
長い間、ずっと知らないふりをしてごまかしていた何かのふたが、ゆっくりと開いていく。
その中に入っているものが何か、わからないふりはもうできない。
私はバーナードに恋をしているのだーーやっと、そのことを認める気になった。
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