第26話 視線だけで犬を倒す男。
コンクリートでできた地面の上を歩いて行く。
隣にはリュックタイプの鞄を背負った栗本さんがいて、その腕にはクリアファイルのプリント入れを大事そうに持っていた。
「あの、隠川くん。一緒に来てくれてありがとうございます」
「ううん、こっちこそ誘ってくれてありがとう」
放課後、俺はそんな栗本さんと一緒に春風さんの家へと向かっていた。
なんでも、栗本さんは春風さんの家にプリントを届けに行くらしい。
そこに俺も誘ってくれた。一応、春風さんに連絡をして、俺が行くのも伝えてくれたとのことだった。
放課後の用事ということで、俺も一応、幼馴染の詩織に連絡をしてある。
実は今日の放課後も、学校から帰ったら詩織の家に遊びに行く約束をしていたのだ。だから帰りが遅れることを伝えるために、俺は詩織と連絡を取った。詩織とも、すでに連絡先は交換済みだ。
ーー『うんっ、分かった。もおくん、あんまり遅くならないように帰ってきてね。それと、栗本さんって子をちゃんとエスコートしてあげるんだよ?』ーーと言ってくれた。
時刻は、15時55分。
今日は五時間目までしか授業がなかったため、結構早めの放課後だ。
春風さんの家は、ここから歩いて数十分のところにある。
昨日、俺も行ったから、すでに場所は知っている。
高校から出て、俺の家とは違う方向だけど、割と近い場所だ。
「確か、隠川くんの家もこの辺りなんですよね。春風さんと隠川くんは中学校から同じなのですか?」
「あ、ううん。中学は違う。確か、春風さんはもう少しあっちに行った所にある中学だったと思う」
「そうでしたか。でも、意外でした。隠川くんと春風さんは仲が良かったように見えましたから、同じ中学校だと勝手に思ってました」
「そうだったんだ……」
「はい。去年のお二人はよくお話ししてましたから」
栗本さんは、足元を見ながら呟いた。
でも……そんな風に見えていたんだ……。
自分ではそんなふうには思っていなかった。休み時間とかに、春風さんとは話していたけど、俺はいつもおどおどしていた。単純に、詩織以外の女子と喋るのに緊張していたのだ。
今もそれは変わらないけど、少し余裕はある。一年間、物置に閉じこもっていたことで、ある日、悟りを開いてしまった瞬間があったのだ。
だから、一年前よりはマシだ。今も、割と落ち着いて、栗本さんと話せている。
「でも、隠川くんは、少し雰囲気が変わりましたよね。クラスの女の子たちも言ってました。隠川くんは『視線で発熱をさせる男』って」
「それは……普通に悪口じゃないのかな……」
「ふふっ」
確かに、今日の昼休み、そんなことを言っていた覚えはある。
『隠川くんと目が合うと、熱が出る!』って言ってたもんな。
栗本さんも、その話は聞いていたみたいだった。
そんな話をしつつ、俺たちはしばらく歩き、住宅街へ。
春風さんの家は、この辺りだ。二階建ての建物が多く立ち並んでいる住宅街の、もう少し歩いたところにある場所。
あと、数分も歩けば、辿り着けるだろう。
「…………」
と、ここで、栗本さんの表情が変わったのに気づいた。
口を引き結んで、険しい顔をしていて、まるで死地に赴くような顔になっている。
……どうしたのだろう。
『グルルルルルルルルルル……』
「……今日もいました」
「あ……犬か」
数件先の家。
そこの庭に、大きめの犬小屋。
その犬小屋からは、鋭く光る視線が差し向けられている。
……犬だ。
かなり大きい。
「栗本さん、犬、苦手なんだ」
「は、はい……。小さい子なら大丈夫なのですが、大きい子は怖いです……」
ぶるぶると、小刻みに震え始めた栗本さん。
腕にクリアファイルのプリント入れを抱いたまま、もう片方の手で俺の腕を掴んでいた。
あの犬が、怖いらしい。
「今まで、春風さんのお家に行くことは何度かありましたけど……どうしてもここだけは怖いです」
ジャラジャラジャラ……。
「!?」
「でかい……」
『グルルルルルルルルルル……』
想像以上のデカさだ。
犬小屋から出てきた犬が立ち上がると、その大きさがよく分かる。真っ黒な犬で、そこら辺の塀なんて軽々と乗り越えれるのではないだろうか。犬を繋いでいる鎖もゴツい。
そして、犬が本格的に出てきてしまったからだろう。
左隣にいる栗本さんは手に力を入れて、俺の腕をさっきよりも強い力で握っていた。
彼女の腕の中では、プリント入りのクリアファイルが、ミシミシと音を立て始めていた。あれだとファイルの中身が大変なことになってしまうかもしれない……。
「持つよ」
「あっ、す、すみません……」
俺は栗本さんからクリアファイルを受け取る。両手が空いた栗本さんは、俺の腕を両腕で抱きしめて、涙目になっていた。
「だ、大丈夫。大丈夫」
「す、すみません……」
下手くそな励ましをする俺。
栗本さんは、コクコクと頷いて、俺たちはなるべく犬がいる家から遠ざかるように、道の端っこを歩いて行く。
その間、ジィィィ……と、犬はずっと睨んでいた。
それはもう、穴が空いてしまいそうなほどに。
牙が鋭い。目が血走っている。逆立った尻尾は警戒の証。
そして、俺とその犬の目が合った。
『!』
その瞬間だった。
『くぅぅぅん……くぅぅぅぅん……』
「「あ……伏せた」」
途端に犬が伏せの態勢をとった。その後、腹を見せるポーズになった。それでも尻尾はぶんぶん振られていて、まるで服従するようにこっちを見ていた。
なぜだろう……。
「あっ、多分、あの犬がメスだからかもしれません」
「メスだから……?」
「ほら、今日の昼休み、クラスの女の子たちも言ってました。「隠川くんと目が合うと、熱が出ちゃう」って。だから」
……つまりこれもか! 犬もか!
確かに、今日の昼休み、クラスの女子たちは「隠川くんと目が合うと、熱出るよね」って言っていたけど、ここでもか!
「ふふっ。噂は本当だったんですね。隠川くんと目が合うと、みんな熱に冒されるってっ」
「微妙な気分だ……」
「ふふっ」
栗本さんは、可笑しそうに笑っていた。
その顔には、さっきまでの怯える気配はない。
彼女の白い頬がほんのりと色づいていて、優しい笑顔だった。
そして、俺の腕を抱きしめたままだったのに気づいたようで、慌てて離れていた。
「す、すみません……」
「あ、ううん。じゃあ行こっか」
「は、はい」
とりあえず犬が大人しくなった今のうちに、ここを抜ける。
そうすると、立ち並ぶ家の隙間から、日差しが差し込んで、俺の顔を照らした。
眩しかった。
その眩しさに目を細めていると、ぽつり、と。
「あの……隠川くん、一年前のことは、すみませんでした」
ふと、俺の隣で、栗本さんがそう呟いた。
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