第19話 話せてよかった。


 一年前の出来事は、昨日のことのように思い出せる。

 忘れたくても忘れられない。むしろ、忘れようとするたびに、思い出してしまう。


 俺は教室で春風さんと恋話をしていて、同情されるようになったんだ。


 ……でも、それは、別に悪い思い出として残っているわけじゃない。

 しかも、あれは誰が悪かったわけでもない出来事だった。


 だから。


「あ、あの、隠川くんごめんなさい……。一年前はごめんなさい……。私が余計なこと言ったせいで、本当にーー」


「……春風さん」


「か、隠川くん……」


 隣に座っている春風さんがビクッとした。

 その顔は泣きそうだった。


「別に春風さんが謝ることじゃないよ。むしろ、謝るのはこっちの方だ」


「ち、ちがーー」


「あの後から……春風さん。ちょくちょく学校を休むようになってたしさ……」


「そっ、それは……」


 ……一年前のあの日以来、春風さんは欠席が増えていたと思う。


 あの件があって、周りの気を遣ってくれる視線を感じながらも、俺がまだ学校に行っていた時。

 春風さんは前よりも元気がなくなっていたように見えた。

 学校も、数日に何度か、欠席するようになっていた。


 そして、俺が声をかけるとビクッとして、泣きそうな顔になっていた。

 顔が赤くなって、瞳が潤んで、下唇を噛んで、熱っぽい顔になっていた。


 ずっとそんな感じだった。そして俺は周りの気を使う視線に耐えきれずに、家に引きこもるようになった。だから、その後のことは分からない。でも、あの頃の春風さんも、ちょくちょく学校を休んでいたのだ。


 ……あれこそ、俺のせいだったんじゃないだろうか。


 それがずっと気がかりだった。


「だから……ごめん」


「あ、ちがーー。あっ、あれはっ、違うの。あれは、ただ………………私が隠川くんと目を合わせるのに緊張して、隠川くんのことを考えると、恥ずかしくなったから、学校を休んでただけで……」


 頬を赤く染めながら、もごもごと口を動かし、口をぱくぱくさせる春風さん。

 耳まで赤くなっている。

 しかし、風が吹いて、その声はかき消されてしまった。


「だ、だから、か、隠川くんが謝ることじゃないよっ。わ、私が……私が悪かったんだから……。私のせいで、隠川くん、学校に来なくなって……」


「あ、いや、それこそ……別に春風さんのせいでもないよ」


「で、でも、きっかけを作ったのは、私だもん……。わ、私のせいで……、私が悪いの……」


 自分を責めるように言う春風さん。

 春風さんも、あの時のことを……今も覚えているのだ。

 そして、こんな風に懺悔するように、謝っているのだ。


 ……違う。春風さんのせいではない。


 再びそう言おうとした俺は、その言葉を飲み込んだ。

 今、それを言っても、多分、逆に気を遣わせてしまうことになる。


 それなら……。


「……別にそれでも気にしなくてもいいよ。俺が学校に行かなくなったのは……あの件のせいじゃなくて……別に用があったからなんだ」


「……よ、用?」


「うん……。実はこの一年間、留学をしてたから、俺は学校を休んでただけなんだ……」


「りゅ、留学……」


「………っ」


 顔を逸らして言う俺。


 ああ……言ってしまった……。


 嘘を、ついてしまった。見栄を張ってしまった……。

 留学なんてしてないのに……。ずっと物置に閉じこもっていただけなのに……。


 罪悪感がすごい……。


「ど、どこに留学してたの……?」


「え”!」


 そ、そこまでは考えてなかった……。


「そ、それは、その……気温の振れ幅と、虫が多い所だよ……」


(物置)だ。


 夏場は暑く、冬は隙間風。

 虫が入ってくるし、それっぽく言ってしまった……。

「物置に閉じこもってたんだよ……」という本当のことは、やっぱり言えなかったのだ……。


「だから、俺の肌は白くなってるし、これでも美肌だと職員会議で騒がれるぐらいになってるんだよ」


「ふふっ」


 これは嘘ではない。

 しかし、春風さんは冗談だと思ったみたいで、思わず笑ってしまったみたいだ。


 ……とりあえず笑ってくれてよかった。


「……春風さんの方はどうだったのかな。その格好とか……」


「あ、こ、これは……」


 マスクをして、よく見たら三枚重ねにしている。

 長袖で、帽子を被り、その上からフードも被って、完全に顔を隠せる格好になってる。


「……これは、目立たないようにと思って……」


「その格好は……逆に目立つんじゃないかな……」


「うう……」


 真っ赤になる春風さんの顔。

 ……でも、目立つ。さっき春風さんを見かけた時、一発で怪しい人だと分かった。


「で、でも、いつもは……全然なんだよ? 買い物に行く時もそうだし、この格好だったら、誰にも話しかけられなくて、誰もこっちを見ないし……」


「そ、それは……単純に避けられていただけなんじゃないかな……」


「うう……」


 さらに赤くなる春風さんの顔。

 春風さんも、思い当たることがあるようだ。


「……でも、いつもは大丈夫なの。でも……今日に限って違ったの……。私がさっき、買い物に行くと、周りでこそこそ話が聞こえてきて……同じ学校の生徒とすれ違う度に、『あいつ、今日の職員会議を遅らせた奴に間違いない!』って、私を見て大騒ぎとかされてーー」


「え”!」


 ……それは俺のせいじゃないか!?


 職員会議を遅らせたやつって、俺のことだ。

 今朝、俺が職員会議を遅らせてしまったんだ。


 その影響が、ここにも出たんじゃないのか!?


「……だから、怖くて、私、電柱に隠れるように歩いてた……。挙動不審になってたと思う」


「そ、それは……ご、ごめん」


「ち、ちがーー、別に隠川くんが謝ることじゃなくってーー」


「い、いや、本当に、それは俺が悪いんだーー」


 俺は春風さんに謝った。


 夕方のベンチに座りながら、春風さんも戸惑ったような、焦ったような感じで、再び謝ってきた。


 ……もう、最悪だ。

 久しぶりに会ったのに、春風さんに迷惑をかけてしまっている。


「うう……」


 隣に座っている春風さんの顔が真っ赤になっている。

 俺と目が合うと、キュッと唇を引き結び、顔を逸らしてしまった。


 それでも……だ。


「あの、隠川くん……久しぶりに会えてよかった……。優しくしてくれてありがと……」


「……ううん、俺の方こそ」


 今日は俺も春風さんと話せてよかったと思った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る