第12話 職員会議が長引いている理由……。


「ここか……」


 目の前にあるのは、教室の扉。

 クラスは三年五組だ。ここが、三年生になった俺のクラスということになっている。


 登校の時点で色々あったけど、とうとう俺は教室に辿り着くことができていた。


 登校中の通学路のことは、もう忘れたい……。みんな、特に女子生徒たちが、俺を見るや逃げ惑っていたため、あちこちで叫び声が響いていた。

 だから、立ち止まる余裕なんてなかった。俺は走って、この教室へと辿り着いていた。


 とにかく、ここからが本番だ。

 でも、この教室に入る瞬間が、一番緊張する……。

 この中には同級生がいるのだから、どんな反応をされるだろう。


 どうせ俺のことなんて誰も覚えてやしない……と思いもしたのだが、結構こういうことはみんな覚えている。クラス替えの時に空きの席があって、『ここ、誰の席だっけ?』『あいつだろ、あいつ』『それな!』みたいな会話が行われているはずだ。


 被害妄想かもしれない。でも、靴箱とか廊下で同級生っぽい生徒とすれ違った際に、すでにそんな会話を何度も耳にしていた。


 それでも……あともう一歩。


 この扉を開ければ、なるようになるはずだ。


「……よし」


 俺は目を瞑りながらドアを開けて、教室の中へと入る。



「「「あ……っ」」」



 一瞬、静寂が訪れる。


 ……この空気が怖い。


 俺は薄目で教室内を見回して、自分の席を探す。……確か、あそこだ。真ん中の列の後ろの席。

 三年に上がったタイミングで郵送されてきたプリントに、あそこの席が俺の席だと書かれていたはずだ。


 俺は息を止めながら、なるべく目立たないように、その席のところに向かい、ゆっくりと座った。


 その瞬間だった。


『……ちょっと、あれ見て。……隠川君が来てるよ!』


『……え!? 去年からずっと来てなかった子?』


『うんうん。その隠川君!』


 ざわざわと、ざわざわと。


 教室がざわめき始め、そんな会話が耳に入ってきた。


 教室内の生徒たちが、物珍しいものを見るような目でこっちを見ている。

 敵意とかはない。悪意とかも多分ない。

 どちらかといえば、これは好奇の視線だ。


 このクラスには、去年俺と同じクラスだった生徒もいるようで、その生徒たちは暖かい目をしてくれていた。そして遠巻きにこっちを見ているようだった。


 でも……一応、俺は教室に入れた……。

 自分の席にも座れた。あとは朝のホームルームが始まるのを待つだけだ。


 しかし、担任の先生はまだ教室に来ていない。

 今の時刻は8時35分。

 普通ならすでにホームルームが始まっている時間だけど、遅れ気味なのかもしれない。


「あ、あの……」


「あっ」


 その時だった。

 俺の肩がトントンと優しく叩かれて、女子生徒の声が聞こえてきた。


「隠川くん……ですよね」


「く、栗本さん……」


 恐る恐る見てみた。

 するとそこにいたのは栗本さんだった。


 一年前、俺と春風さんが恋話をしていて、その時に少し関わり合いがあった栗本さんだ。


 物静かな子で、少し小柄な身長、頭もよくて、しっかりしてそうな子。

 そんな栗本さんが、椅子に座っている俺の隣に立っていて、俺に話しかけてくれたのだ。


「あの、隠川くん。おはようございます」


「お、おはよう……栗本さん」


 俺は内心焦りながら挨拶を返した。


 しかし……体はガチガチだ。背筋をピンと伸ばしている。喉が上手く動いてくれない。

 ……どうしたのだろう。どうして……話しかけてくれたのだろう。


「あの、隠川くん、すみません……。そこ……私の席でして」


「!」


 …………や、やってしまった。

 これは、一番やったらダメなやつだ……。


「ご、ごめ……ごめん」


 俺はサッと立ち上がり、席を明け渡した。

 ……恥ずかしいのと、本当に申し訳ない……。『自分の席は分かってるぜ』的な感じで、この席に堂々と座ったのに、間違ってしまった……。よりにもよって、栗本さんの席に座ってしまった……。周りの生徒たちが、微笑みながらこっちを見ている顔が視界に入ってきた……。


「本当にごめん……」


「あ、いえいえ。多分、隠川くん、席替え前の席に間違って座ってしまったんだと思います。つい先日、席替えをしたんですよ。席替え前の隠川くんの席がここだったんです」


「そ、そうだったんだ……」


 落ち着いた声音で教えてくれる栗本さん。


「でも、隠川くんの席も近いですよ。私の隣が隠川くんの席です。ここです」


 栗本さんが左隣の席を指し示してくれた。


「あの、栗本さん、ごめん……。教えてくれてありがとう」


「はいっ」


 とりあえず俺はもう一度栗本さんに謝ると、今度こそ、新しい自分の席に座った。

 椅子は新品のパイプ椅子。机も綺麗な机で、俺は淡々とその机の中にバッグから教科書を取り出して詰め込んでいく。


「「…………」」


 隣では栗本さんが自分の席で教科書を取り出していて、ぺらぺらとめくっていた。手持ち無沙汰といったように。


 ……時刻は8時45分。担任の先生はまだ来ていない。

 だから、朝のホームルームはまだ始まらない。ホームルームが始まるのが長引いた教室内は、どこか高揚感のようなものに包まれてい流。


 この朝の感じが、なんとなく懐かしい気がした。

 職員会議が長引くと、教室の中の雰囲気は普段とは違ったものなるもんな……。


「あの……隠川くん」


 そんな気持ちに浸っていると、隣の席の栗本さんがこっちを向いて話しかけてくれた。


 ……どうしたのだろう。


「あの、その……」


 そう言う栗本さんは一旦口を開きかけたけど、閉じて、改めてこんな話をしてくれた。


「先生、遅いですよね」


「うん……。そろそろ一時間目が始まる時間だよね……」


「はい。実は職員会議が長引いているから、ホームルームが遅れているみたいなんです。だから、今日はこのまま短縮授業になるらしいですよ」


「そうなんだ……」


 短縮授業……か。懐かしい気がする……。

 栗本さんが内緒話をするように、それを教えてくれた。


 でも、職員会議が長引いている……。

 何かあったのだろうか。


「それで職員会議が長引いているのは、なんでも今日の朝、学校近辺で怪しげな人が現れたからだそうですよ」


「怪しげな人……」


「はい。私もさっきチラッと聞いただけなんですけど、今朝、この学校の生徒たちが「きゃ〜〜!」って叫びながら、頬を赤くして走って登校してきたみたいです。だからそのせいで職員会議が長引いているみたいなんですよ」


「叫びながら登校……」


 ……嫌な予感がした……。


 だって、それって……。


「それで、みんなが、特に女子生徒が言うには、なんでも色白で美肌の人がうちの学校の制服を着てたから、それで騒いでたんですって。ふふっ。変な話ですよねっ」


 栗本さんはくすりと可笑しそうに笑っていた。


 そして、その隣の席にいる俺はというと、申し訳ない気持ちで、笑えなかった……。


 ……つまり、俺のせいじゃないか……!?


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