第10話 一年振りの登校
鏡の前でシャツを羽織り、ボタンを一つ一つ止めていく。
ズボンを履き替え、ベルトを閉める。その上からブレザーのジャケットを着て、鏡を見てみると、制服姿の俺がいた。
窓の外からは、眩しいぐらいの日差しが差し込んでいた。
しかし、鏡に映る自分の顔を見ると、気が滅入ってしまいそうになってしまった。
「……ついに、朝が来てしまった……」
一夜明けて翌日。
今日は学校に登校する日。
高校三年になってからの俺が、初めて三年生として学校に向かうことになる。
それなのに……体が重い。まるで重りを背負っているかのようだ……。昨日は緊張で一睡もできなかった……。
あれだけ、行かなければ、や、いざとなったら俺は行ける、などと、心の中では思っていたものの、その時が来てしまえば、やっぱり怖いという感想しか浮かんでこなかった。
臆病だと思う。あと、この制服が自分で自分に似合っているかどうかも、自信がない……。俺が通っていた高校の制服は、ブレザーで、そこそこおしゃれなデザインだ。
シャツは白。ズボンは黒にチェック柄。
女子の制服もおしゃれで、制服で高校を選ぶ生徒も多いとのことだった。
そんな制服に身を包んでいる自分。
一瞬、なかなかイケてるかもしれない……と思ったものの、多分、イケていない。なんというか、顔色が悪く見える。
この一年、外に出ない時間の方が多かったから、肌は真っ白だ。髪はこまめに自分で切っていたから、長さは眉や耳にかかるぐらい。薄目で見れば、薄幸系イケメンだと思い込めるかもしれないけど、それよりも幽霊とかそんなふうに思った方が近いと思う。
食事の量も減らしていたから、体が細くなっている気がする。
控えめに言っても……覇気がない。自信がなさそうに見える。胸を張ったら、もうちょっとどうにかできるだろうか。
「あ」
「お」
と、ここで、制服姿の妹がやってきた。
「顔を洗いにきた」
「あ、ごめん」
俺は鏡の前からどいて、妹に場所を譲る。
ここは洗面所だ。
妹は蛇口を捻り、顔を洗うと、自分の格好をチャックしていた。
一応、妹は同じ高校に通っているため、同じ高校の制服を来ている。ショートの髪を後ろで結んでいる髪型で、似合っていると思う。
そんな妹が鏡越しに俺の方を見て、こっちに手を伸ばしてもきた。
「おにーちゃん、ちょっと、じっとしてて」
なんだろう。
俺の顔に、手のひらで触れる妹。そのまま額の方にスライドさせて、俺の前髪をあげたりしてきた。
「……やばっ」
まじまじと俺の顔を見る妹。
「肌、白っ。めっちゃ美白じゃんっ」
それだけ言うと、妹は弾むようにこの場から去った。
去り際の妹は、若干笑みを浮かべていて、顔が赤くなっていた気がした。
「…………」
あれは、褒めてくれたのだろうか。
「あ、そうそう。お兄ちゃん、顔やばいから、絶対に学校で女子の顔見たらダメなんだからね!」
「……悪口か!?」
戻ってきた妹は、そんなことを言い残す。
「でも、頑張ったね。ちゃんと学校行くんだね」
「まあ……約束だしな」
「ふふっ。おにーちゃん、詩織ちゃんとお風呂に入ったから学校に行くんだよね。もぉ、動機が不純だよ」
「別にそんなわけじゃ……」
……いや、違うとも言い切れないか。
でも、学校に行くというのは、詩織との約束だ。詩織に背中を押してもらった。
「なんにしても、いいんじゃない。あ、でも、絶対に学校で女子の顔を見たらダメだよ。おにーちゃん、顔本当にやばくて、騒ぎになると思うからっ」
「……やっぱり悪口じゃないか」
「えへへっ」
そして今度こそ一足先に登校したようだった。
その後、俺は身支度を整えて、玄関へと向かおうとするのだが、途中で話しかける声があった。
「あら、ともおちゃん。似合ってるじゃない」
……母だ。
エプロン姿の母が、タオルで手を拭きながら、こっちにやってきていた。
「本当に行くのね、学校に」
「う、うん……」
「本当に行くの? 今日はちょっとお天気が良すぎるし、やっぱり今日はやめて明日からでもーー」
「か、かーちゃん! 決心が揺らぐから、そんなに心配しないでおくれ……」
どうしよう……。ほんの少しだけ、登校への決意が削がれてしまった。
しかし、だめだ。今日こそは行くと決めたのだから。
久々に会えた幼馴染との約束を守れないのなら、それこそ、俺はここで終わってしまう気がした。
「でも、よかったわ。ともおちゃんが学校をお休みしてもう一年になるんだもんね。その間、物置で暮らし始めたともおちゃんのことを考えると、私の親としての無責任さによる罪悪感が、一日ごとに積み重なっていきーー」
「わ、悪かったっ、ごめんなさい! 俺が悪かった!」
俺は慌てて母に謝った。
「そっちは悪くないよ……。結構、気遣ってくれたし……。俺はそっとしておいてほしかったし……」
「それは子供から見たらそうね。でも、親としてはダメなのよ。子供を物置で過ごさせる親は、決していいとは言えないわ」
「いや、いいって……。俺が選んだんだし……。本当に、ごめんなさい」
俺は改めて頭を下げる。
その他にも迷惑とかかけたと思う。
「じゃあ今度埋め合わせに、アイドルのライブに付き合ってね」
「う、うん……」
うちの母はよくテレビでアイドル特集とか見ている。可愛い系の女の子が好きらしく、この一年、俺が学校に行っていない間、何回か俺もライブに引っ張り出されたりしていた。
グッズとかも、よく揃えているらしい。好きすぎるあまり、うちの妹をアイドルみたいにしようとして、妹の頭とかにリボンをつけまくった結果、若干キレられた過去があるぐらいだ。
「それと、はい。お弁当」
「あ、ありがと……」
包みに包まれている四角い弁当箱。
出来立てのようで、容器が暖かい。
俺はそれをバッグへと入れると、玄関で靴を履き、外に出る。
「行ってきます」と言い、歩き出すと、いよいよ学校に行くんだなと、まるで死地に赴くような気持ちになってきた。
そして……、ふいに目の前が、くらくらしてきた気がする。
これは、あの時と同じだ……。
俺が学校に行けなくなった日の、足が地面についていないようなそんな感覚。家を出ただけで、すぐ戻りたい気持ちが込み上げてきて、庭の物置に閉じこもりたくなってしまう。
……いや。
……それでも、だ。
「……行こう」
俺は物置に背を向けると、一歩を踏み出すのだった。
* * * * * *
そして数分後ーー。
「まずいことになってしまった……」
朝の通学路を歩く俺の前に、早くも困難が立ちはだかっていた。
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