第2話 憂鬱な天秤

      六時間前

 「隊長、局長が呼んでますよ」

青い瞳に少し紫がかった青い髪、人形のような端正の顔立ちの少女は、部下の呼びかけに小さく頷く。一つ一つの小さな所作が、改めて、日本人離れしている彼女の美しさを否応なしに理解させにくる。彼女は、オペレーションルームの端にある、一番高そうな椅子に座りながら、書類に目を通していた。

 「了解、どこに行けばいい? 」

少女は尋ねる

 「それこそ、局長室。連絡入ってるはずなんだからちゃんと確認してよ」

呆れるような口調で部下、阿久津四三九が答える。数年前から付き合いのある彼にとって、敬語を使って自分と同い年の少女に敬語で話しかける事程馬鹿らしい事はないのだろうし、彼女もそれに同意しているのだろう。彼女は、面倒だな、と思いつつ隊服に袖を通して、身だしなみを整える。

 「わざわざ申し訳ないね。今から行くよ」

少女は、部下の機嫌を取るような口調で返事をして、部下からの批判から逃げるように急いで部屋を出る。綺麗に掃除された廊下を速足で移動して目的地に到着する。

 「失礼します。遅れてすいません」

少し小さな声でそう言いながら、局長室の扉をノックする。

 「入れ」と初老の低い男の声が聞こえるのと同時に入室する。先程の殺風景の作業場に比べて、この部屋は多少の装飾が施されていて、窓辺の花瓶には一輪の花が添えられている。

 「三十分以上の遅刻だ。最年少で隊長に昇格した天才は遅刻癖があるという認識でいいな? 」

中には白髪交じりの厳格な雰囲気を醸し出している男性、楽南が憮然とした感じで嫌味を言っている。初めての遅刻で癖というには時期尚早すぎないか、という反論を喉元で抑えつつ「すいません」と素直に謝る。少女の謝罪を無視するかのように楽南が畳みかける。

 「お前を呼んだのは他でもない、新しい任務のためだ。今回は極秘任務のためにわざわざここに呼びつけた」

任務ならわざわざ呼びつけるなメールで言え、と当然の疑問を先読みするかのように手短に要件を言う

 「……了解です。それで任務の内容は? 」

「ある少年の護衛だ」

「護衛? それはまた随分珍しいですね。で、対象の名前と居場所は? 」

「ああ。大まかな居場所は分かっているんだが、名前は分かってない」

「……ほぼ何もわからない相手を守れという事ですか? いくらなんでも無」

「詳しい事はこの書類に書いてある。分かったらとっとと行け、お前が遅刻したせいで私には時間がない」

「……」

彼女は 遅刻した事実を突かれ反論に窮する。有無を言わさない口調で書類を渡され退出させられる。溜息がでる。勿論、先程の無理難題のせいだ。「私もついてないな」という表情で凛音は煙草に火をつけようとした。しかし、これから未成年と会うのに初対面で煙草は印象が悪いか、等の妙に俗っぽい考えが頭によぎり、彼女はポケットにそれをしまった。彼女自身もまだ、これから起こる事が彼女の人生を変えてしまうことを知らなかったのだ。


                            

 少女は考えていた。多くの修羅場をくぐってきたとはいえ、やはり目の前の瀕死の少年が彼女の思考を鈍らせる。まだ息は有る事に安心して、深呼吸をした後に、目の前の男に言葉をかける。

 「二つ質問。一つ目は、何故この少年の名前が分かった」

 「おいおい、まず、そもそもそいつは俺の獲物だろうが。横取りすんなよ、ガキが」

彼女の質問を無視して、明らかに苛立った口調で男が続ける。 

 「なんなら、お前もそいつと一緒に向こう側に送ってやるよ!! 」 

男が、刀を抜いたその時だった。彼は普段より刀が軽い事に気づいた。いや、そもそも鍔より上の部分が無くなっている。まるで斬撃を受けたかのように。

 「そんな刀じゃどこにも送れないよ」

彼女は少し揶揄う様な口調で男に話しかける。

 「なめやがって……調子乗ってんじゃねぇ! 」

男がジャンパーの内側にあるピストルを取ろうとした刹那、彼は一瞬、目の前からこの世のものとは思えない、吐き気がする程の殺気を感じた。それに呼応するように木々は揺れる。彼の威勢は完全に削がれ、自分の数秒前の行動を後悔していた。

 「もう一度聞くよ。何故この少年の居場所がわかった」

彼女は淡々と質問だけを繰り返す。彼にとって選択肢は一つしかなかった。そして彼は、この場の一挙手一投足が、全て自分の死因になりうることも同時に理解していた。

 「……ほんとに偶然だ。俺は依頼主から、大体この辺にいるという事以外分からないガキを殺せっつークソな依頼を受けた。ただ前払いだけでも異常な金額でな。試しに「地導力」を使って探してみたら偶々ビンゴってわけだ」

凛音は思考を巡らせる。局の情報科でも正確なことが分からななかった対象を、三流術師の前の男が何か掴めているはずがない、と考え、彼が嘘偽りを言っていないと判断する。

 「……じゃあ次の質問。ここで起きた事を誰にも話さないと約束できる? それとも……今すぐ死ぬ? 」

凛音は、お前の命なんて壁のシミと同じ位どうでもいい、とでも言わんばかりに機械的に質問する。彼女にとって大事なのは一つ目の質問だけだったのだろう。

 「……前者だ」 

男は即答する。

 「じゃあ、これを」

凛音は男に小さな錠剤を投げつける。

 「それは、貴方が私との約束を破ろうとした瞬間に自動で貴方の殺すように作動する薬だ。理解したら今すぐ私の前から消えて」

彼女は語尾のみを強めて男に警告する。

 「はっ、随分と優しい姫様だぜ」

捨て台詞を吐きながら男が視界から失せる。僅か一分にも満たない出来事だった。

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