蛍と髑髏

星泉

蛍と髑髏

 新月の夜、森に迷いこんだ。

 蒸し暑い、のぼせる様な盛夏の夜の日だった。


 あてもなく、森の中を彷徨さまよい歩いた。私は棒になった足を動かすことを放棄し、茂みの裏に座りこんだ。


 川のせせらぎに混じり、盛んに水を踏む音が微かに聞こえた。


 茂み越しに音の鳴る方を覗く。渓流の浅瀬で白い肌に浴衣姿の裸足の少女がいた。空を舞う蛍の群れに両手を伸ばし、一匹を掌に閉じ込める。口元へ持っていき、飲み込んだ。


 茂みに隠れて見ていた私と目が合うと、彼女は哀しげな顔をした。直後、陶器のように白い肌にヒビが入った。瞬く間もなく、肌も骨も、衣も全てが土くれとなり崩れた。


 私は芯が凍りついた。怪異を見たからではない。命を奪ったからだ。


 恐る恐る、元は少女であった土くれの山に近づいた。そっと傍に膝をつき、片手で土くれに触れる。冷たい。無機質な塊が私の心から熱を奪う。虫の鳴き声が鼓膜を震わし、がらんどうのように静かになった頭の中にこだました。


 土くれの上にのせた片手が少しずつ土の山の中へと沈んでいく。ふと指先に硬い何かがぶつかった。


 指先に土とは違うなめらかなものが触れた。我に返り、もう片方の手を土くれの中に突っ込む。ある。石のような、しかし、繊細な硬さ。力を込めれば壊れてしまいそうな肌触り。


 一気に心の熱がぶり返した。慎重に、丁寧な動作で、ゆっくりと石を両手に挟んで持ち上げる。


 大小の土くれが集うてっぺんが少し浮き、そこの土がボロボロとこぼれたところから、白い円形状の皿のようなものが見えた。これだ。確信を得た。深呼吸をし、息を止めた。ゆっくり、ゆっくりと持ち上げる。


 土くれから現れたのは髑髏だった。雪のように真っ白く、ひんやりとしている。不思議とおぞましいとは感じない。むしろ、神々しく感じた。私の両手の掌の中に神秘がある。そう思うと、自身までもが清らかな存在であると錯覚した。


 しばし、髑髏と見つめあう。今にも動きそうな綺麗な歯並びの口は何も語らず、何も捉えない暗い眼窩。


 自然と腕が上がっていき、遂には天ノ川が流れる夜空へ掲げた。川のせせらぎ。虫が静かに鳴き、蛍の群れが舞う。そよ風が髪と肌を撫でた時、頬に一つの滴が流れた。


 天ノ川からこぼれ落ちた水でも、髑髏が口から滴らせた唾液でもない。涙だった。


 何故、私は泣いているのだろうか。


 嗚咽が漏れる。苦しい。胸をつくような苦しさが迫った。髑髏を胸に抱くと、踵を返して駆けた。何処をどう通ったか分からない。顔を枝葉が傷つけても構いもしなかった。


 がむしゃらに走った末に、私は村に辿り着いた。村は人や動物、草木さえも眠りについたかのように静かだった。星が照らす暗い田舎道を髑髏を抱え、ふらふらと家に帰った。


 一人で暮らす一軒家に戻ると疲れた足を惰性で動かし、庭へ行く。植物を何も植えていない、わびしい庭。


 昔、“誰か”が庭で四季の花を育てていた。手を土で汚して、爪がボロボロになっても“誰か”は構いもしなかった。

 花開く時期、“誰か”は私の手を引いて庭へ連れていった。その時ばかりは力強く私の指を握り、強引だった。


 『先に散ることをお許しください』


 その言葉を最後に“誰か”はいなくなった。以来、私は庭に見向きもしなくなった。気がついた頃には植物は全て枯れ、雑草も生えない土壌になっていた。


 久々に訪れた庭へ一歩、また一歩と近づく。この庭に近づくと、風化した“誰か”の記憶がまざまざと甦り、恐ろしいのだ。


 かつて“誰か”がよく座っていた花壇の手前に、面影に重なるように座った。


 髑髏を傍に置き、両手で花壇の土に穴を掘った。深く作ると、髑髏を収めた。優しく土をかけ、穴を埋め終わると私はぼんやりと手を合わせた。私は何を願っているのか。自分自身ですら、分からなかった。


 気が済むとふらりと立ち上がり、家の中へと戻る。体中のベタついた汗も、両手の土汚れも気にせず、私は寝所に敷かれっぱなしの布団に無造作に寝転がった。


 眠りの淵に落ちるのは早く、意識はすぐに閉ざされた。夢の中、深い深い闇の向こうで、森の渓流で会った蛍を狩る少女の姿を見た気がした。



 目が覚めた時、時間帯は夜だった。


 あまり長く眠れていなかったのか。


 首を傾げつつ、縁側へ出る。ふと空を見上げると、満月が少し欠けていた。更待月ふけまちづき。あれは満月の日から五日後に観る月。


 私は五日間、眠っていた?


 飲まず食わず、厠へも行った記憶がない。人は何日間、飲食をせずに眠り続けても生きていられるのだろう。


 奇妙な事に、五日間絶食をしたというのに空腹もなければ、喉の渇きもない。風呂に入らなかった体からは異臭がしない。


 まるで夢を見ているような心地だ。もしや、本当の私はまだ眠っていて、ここは夢の中なのか。


 すると急に、さびしさと不安を織り混ぜた気持ちになった。髑髏を掘り返そう。裸足のまま庭へ降りると花壇の前に腰かけた。


 髑髏を埋めた場所に、とても小さな新芽を見つけた。夜露に濡れた青い双葉は美しく、触れることが惜しく感じた。


 風化した記憶への恐怖は無くなっていたことに気づいた。すると、次々に土から新芽が現れ、瞬く間に成長していく。四季折々の植物が夏の夜空の下で咲き乱れる。


 “あの人”が誰であったか、思い出した。

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蛍と髑髏 星泉 @campanula123

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