明日翔の復讐
高広 亮
明日翔の復讐
私は今、普通の人ならおよそ耐えきれないだろう仕打ちを兄に行おうとしている。
そう、これは復讐だ!
「見てなさいよ兄貴。絶対泣かす」
きっかけはある喧嘩から。
そこで言われた言葉とその後の兄貴の姿が許せなくて、我慢できなくて、復讐をしてやろうと思い至ったのだ。
でも復讐と言っても、実際に体とかを痛めつけるわけじゃない。そんな事ただの女子高生には荷が重いし、そもそもそんな事私に出来るはずがない。
それよりもっと相手が嫌がるような、それこそ怒り狂って泣き叫ぶような、精神的な追い詰め方をしないと意味が無い。
とにかくそうやって、悲鳴でも怒号でもなんでも良いから兄貴の声を響かせるのが私の目的だ。
「えっと、この音源をここで……」
それで私が思いついたのは、兄貴が一番時間と労力を注いでいる物をぶち壊す事だった。
音楽。
私の兄は、その界隈では結構な――いや結構どころか、天才と呼ばれるほど有名なボカロPだった。
ネットに上げた投稿作はどれもこれも再生数が桁外れ。画面に流れてくるコメントの全てが兄貴の曲を絶賛するものばかり。いつだったか、有名な音楽プロダクションから声がかかったこともあった。さらに言えば動画に載せているイラストも自分で作ったもので、こっちにも数え切れないほどの称賛と制作以来が届いている。
なのに、兄貴はその全てに対して興味を持たなかった。
いつもそうだ。
いつも兄貴は、誰よりも才能があって何でも出来るくせに、積極的に動こうとはしない。動画も気が向いた時にフラっと作ってパパッと再生数ミリオンを達成して、後はどうでも良いとボーッとしている。
兄貴の性格を一言で表すなら、そう、『無頓着』。
今だって兄貴のパソコンの前に座る私を、表情一つ変えずに見てくるくらいなんだから。
「何か言ったら?」
「……」
「分かってんの? 私、兄貴の作りかけの曲好き勝手いじってんのよ。天才って呼ばれてる人間の曲を、作曲未経験のド素人がぐちゃぐちゃに仕立て上げてんの」
「……」
「言っとくけど、完成したらマジでネットに投稿するから。もちろん兄貴のアカウントで」
「……」
ホント、ちょっとは何か言えっての。
あの時は――復讐を思いついた切っ掛けになった喧嘩の時は、珍しく色々言ってきたくせに。
諦めるなとか、まだ終わってないとか。
そんな聞こえの良い言葉なんかじゃ絶対に誤魔化せない、どうしようもない現実が私に降りかかってきたっていうのに。
それをまるで、小さな事だって言うみたいに……。
「あーもう思い出したらムカついてきた! 天才様が知った風に言うなバカ!」
もういい。このまま一気に復讐を果たしてやる。
作りかけの兄貴の曲を、ド素人の私が完成させてそのまま投稿してやるのだ。
積み上げた地位が全部地に落ちるかもしれない危機に、普通の人なら怒ったり泣け叫んだり、とにかく思いっきり声を響かせるはずだ。
なのにやっぱり、無頓着すぎる兄は隣で表情の一つも変えない。
それがまたムカついて、捨て台詞を吐いて私はまた作業に戻った。
「兄貴! 止めんなら今だからね!」
だけど作曲っていう作業は、ド素人がするには結構な高さのハードルがあった。
「ちょ、ナニコレ。なんで全部英語なのよややこしい」
「ええ嘘でしょミクの滑舌ってもっと流暢なんじゃないの私が聞いてた曲だと皆綺麗だったじゃん!」
「待って待って何このお風呂で歌ってみた的不自然なエコーはあああああああ!」
……疲れた。
メチャクチャ疲れた。
でも、どんなものでも終わりが来るように、私の初めての作品は数週間かけてようやく完成した。
現在時刻、深夜3:34。
作曲後半からは躍起になって、連日徹夜してたものだからいつの間にか昼夜逆転生活になってた。それくらい、私はこの復讐にのめり込んでいた。
本当は半分くらい既に兄貴が作ってて、歌詞に至っては全部作られてたけど。
それでも、そこからは確かに私が作ったもの。
だから作品を投稿する権利の半分くらいは、あっても良いはずだ。
「……兄貴、投稿しちゃうからね」
出来上がった動画をネットにアップロードして、投稿ボタンを押す直前、もう一度確認した。
けど、やっぱり兄貴は何も言ってくれない。
ただ静かに微笑んだまま、少しも表情を変えないで――やっぱり、それが、本当にムカつく。
もう良い。
これまで積み上げた天才の地位を、ここでぶっ壊してやる。
半分以上ド素人の手が加わって、無残な状態で完成した兄貴の曲を、兄貴のアカウントで、
「何か言ってよこの無頓着!」
私は、投稿した。
そして。
そこからは、本当に驚かされた。
だって投稿した時間は、深夜三時半を回ってるのに。
それなのに、ネットに上げたその瞬間から再生数とコメント数がどんどん上がり続けていったのだから。
もちろんこれが私の才能のおかげだとか、そんな風に自惚れるほど馬鹿じゃない。
これは全部、兄貴のアカウントをフォローしてた人たちが通知に気づいて見に来たからだ。
たぶん時間帯から考えて、日本以外にも、世界中の人たちが。
「嘘でしょ……。こんなにいっぱい、兄貴の曲待ってた人がいたんだ……」
改めて、天才って呼ばれてた兄貴の凄さを目の当たりにした気分だった。
でも。
一つのコメントが目につく。
『メロディとか相変わらず綺麗だけど、なんかいつもよりショボくない?』
やっぱり、気づくよね。
半分くらい兄貴が作ってたとはいえ、もう半分は、作曲未経験のド素人が手を加えた物なんだから。
予想通り、そこからは困惑した様子のコメントが増えていく。
『間違って未完成版上げた?』
『深夜帯だし、寝ぼけたんじゃ……』
『通知来て飛び起きたのに(泣)』
これで。
これで、復讐完了だ。
天才って呼ばれたボカロPの地位は、ド素人の妹が手を出した事によってあっけなく崩れ落ちた。
普通ならこんなの、誰だって怒って声を荒げるに決まってる。
なのに。
それなのに。
「やっぱり、何も言ってくれないんだね……」
無頓着な兄貴の表情は、ちっとも変わらなかった。
でもそれも当たり前だ。こんな事をしても、兄貴が何か言ってくれるはずがないって本当は私も分かってた。
ああ、嫌だ。
視界がぼやける。
唇が勝手に震えて、目が熱くなってくる。
誤魔化そうとして、もう一度パソコンの画面に目を向ける。
そこに流れるコメントのほとんどが、兄貴の曲の劣化したような有様を嘆くものだった。
「……良かった」
それが、嬉しかった。
だってそれは、皆が、ちゃんと兄貴の曲を聞いてくれていた証拠だから。
素人の手が加わったその違いに気づくくらいには、確かに愛してくれていたんだ。
もう十分。
知りたかった事が確かめられたから、私は動画の投稿者コメント欄にある事を追記した。
書くのが少しだけ怖かったけど、震える指で、一文字一文字打ち込んで、そして皆へ伝えた。
『皆さん、兄の曲をいつも聞いてくださってありがとうございます』
『この曲は兄の作りかけだったものを、妹の私が引き継いで作りました。作曲未経験のため、本来の出来とはほど遠いことをお詫びします』
『兄は、亡くなりました』
写真立ての中の兄貴の表情は、ずっと変わらない。それは当たり前で、でもそんな当たり前の事が我慢できないほど、私は兄貴の死を受け入れたくなかった。
だって私が最後に兄貴にぶつけたのは、ただただ一方的な八つ当たりの言葉だったから。
兄貴と違って凡人の私が、凡人なりにずっと打ち込んできた陸上競技。その最高の舞台が理不尽に奪われた事が悔しくて悲しくて辛くて、それからずっと腐った日々を送って、その中で励ましてくれた兄貴に対して、私は反発してしまったのだ。
そして謝る前に、兄貴は事故で死んでしまった。
その事実が、受け入れられなくて。
なに勝手に死んでんだって、逆にムカついてきて、そうして今回の復讐に至った。
でも本当は、ただ兄貴の声を聞きたかっただけだった。
もちろん、そこにいるみたいに話しかけても、兄貴の曲を勝手にいじっても、怒られるどころか一度も声が返ってくることは無かったけど。
それでも、声が聞きたかった。
幽霊でも何でも良いから、出てきてほしかった。
そうして、謝りたかった。
謝って、そして――ありがとうって、言いたかった。
「だってこの曲、あからさまじゃん」
曲の半分は、ド素人の私が手をかけたもの。
だけどもう半分――特に歌詞に至っては、兄貴が全部作ったもの。
「これ、私にあてた曲じゃんかぁ……っ」
作ってる最中は認めるのが悔しくて、なるべく機械的に打ち込んでいた歌詞の内容。
でも画面に映る完成版を前にしたら、否が応でも理解させられる。
これは、腐っていた私の背中を優しく蹴飛ばすための曲。
私に向けた、お兄ちゃんからの応援だった。
認めてしまったらもう駄目だった。
お兄ちゃんの写真を抱えて、これまで溜め込んでいた何もかもを出し切るみたいに、私は大声で泣きわめいた。
「――喉痛い。……頭もボーッとするし」
思いっきり泣いたせいもあるけど、連日の徹夜のせいもある。
ていうか、こんな風に思いっきり何かに打ち込む事自体久しぶりだった。
少しだけ、この疲労感が心地良かった。
ふわふわした頭のままパソコンの画面を眺めると、相変わらず再生数とコメントが増え続けてる。
でもコメントの内容は、少し変わっていた。
お兄ちゃんへの追悼とお礼と、私の馬鹿な行動を認めてくれる内容に。
本当に、ありがたかった。
「お父さんとお母さんにも、悪いことしたな」
私の大声のせいで、寝てた二人も起こしてしまった。さっきまでずっと一緒にいてくれて、私が落ち着いたのを見計らってまたそっとしておいてくれた。
今はまた、薄暗い部屋に私一人だ。
……薄暗い?
「あー、もう朝になっちゃってる」
カーテンを開くと、外が少しずつ明るくなってきていた。
「……どうしよっかな」
寝るには微妙な時間だ。
それに妙に目が冴えて眠くないし、しかも思いっきり泣きわめいた余韻でも続いているのか、体が熱くて仕方がない。さらに朝日まで差し込んできて部屋の中を照らしてきた。
徹夜明けの目には眩しすぎて、目を逸らして――そこにある物が、目に飛び込んできた。
ランニングシューズ。
いつも手入れを欠かさずに、けれどインターハイ中止の知らせが来てからは触ることも無くなって、部屋の隅で埃を被ってたそれ。
「……走ろっかな」
何となく口にして、口にした瞬間、心臓の鼓動が強くなってくる。
それで、もう、我慢の限界だった。
開いたままのパソコンを閉じて、着替えて、私はそれまでいつもやっていた早朝のランニングに出かけた。
ブランク明けの体はひどいもので、すぐに心臓がバクバクと痛くなってくる。
以前との差に、走りながら思わず笑ってしまった。
笑えるくらいには、私は変わっていた。
この胸の痛みも、私が生きている証拠だ。
確かに、どんな綺麗な言葉を並べても、失ったものが返ってくる事は無い。
それは否定しようの無い事実だ。
だけど、今ここに生きている私の前には、道が伸びている。
それも否定出来ない事実なんだ。
道の姿は変わってしまったかもしれない。行きたかった場所へ辿り着けなくなったかもしれない。
けど、これは、間違いなく私の道だ。
だったらまたここから始めよう。
苦しいけど、キツいけど、でも――走りたいって心臓が叫んでるから。
ならきっと、何度だって迎えても良いんだ。
新しいスタートラインを。
明日翔の復讐 高広 亮 @ryo_takahiro
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