翁草.12
主夫である剛気にとって毎日が仕事と言い換えてもいい。
一日休みという日は結婚してからゼロだ。
鈴の人気は止まる事を知らず、テレビにも引っ張りだこで、皇太の雑誌でも特集が組まれる事が決まっていた。
「最近歌えないのがちょっと寂しいな」
鈴は夫にそう漏らしたものの、精力的に仕事をこなしていた。
剛気は嬉しい反面、どこか心細さを感じる時が増えた。
忙しいせいで鈴は家にいる事が極端に少なくなったのだ。
いつもはどんなに忙しくても、帰ってきて就寝し朝ご飯を食べて仕事に向かっていた。
だが、泊まりがけの仕事のせいで、家に剛気一人の時も増えていた。
だから家事がどうしても疎かになるのは避けられない。
愛する妻のためを思えば、部屋の隅々まで綺麗にしようと思うが、こう帰ってこない日が度々あると、どうしても集中力が切れてしまう。
その日も、家事を途中で切り上げ休憩していた時だった。
スマホが震える。鈴からかもしれない。
嬉しさと不安で番号を確認すると、それは結妃からだった。
「もしもし」
「突然ごめんなさい。忙しかったかしら」
不満が言葉の端々に乗っていたのか、結妃は申し訳なさそうな声を出した。
慌てて嘘で言い繕う。
「すいません結妃先輩。直前までしつこい勧誘が来てて、今追っ払ったところなんです」
結妃の声が少し晴れたような気がした。
「そう。それと先輩はいらないってこの前言ったわよね」
「そうでしたね。あっ、先日ありがとうございました。鈴もすごい喜んでましたよ。また四人で集まりたいって」
「…………」
無言の後に微かな溜息。
「もしもし、どうしました? 何かありましたか?」
無理やり絞り出したような声が耳に届く。
「今から、会えないかしら」
「いいですよ。どこで会いますか」
結妃が指定した待ち合わせ場所は近くのファミレスだった。
会う約束をしてから、彼女の暗い口調が気になってくる。
電話を切った剛気は、エプロンもそのまま、飛び出すように家を後にした。
ファミレスは結妃のタワーマンションの近くにある。
先に待っているであろう結妃の為に、ほぼ全力疾走でここまで来た。
そのまま店内に入ると、女性店員に声をかけられる。
「あの、お客様」
不審人物でも見つけたような表情をしていた。
「えっと、女性と、ここで待ち合わせしているのですが」
息も切れ切れだったが、ちゃんと伝わったらしく、結妃の元に案内してくれた。
店の一番奥の壁側の席に彼女はいた。
「すいません。待たせてしまって……」
顔を上げた結妃は浮かない顔をしていた。
剛気が対面に座ってから、女性店員が立ったままなのに気づく。
不機嫌な態度の女性と、慌ただしく入ってきた男性の組み合わせに、何事かと訝しがっているようだ。
結妃はまた顔を伏せてしまう。他人に聞かれたくはない話らしい。
店員にドリンクバーを頼んで、この場から離れてもらった。
「あの、何があったんですか」
結妃は剛気の方を見ずに口を動かすが、声が小さくて聞き取れない。
剛気は思い当たる事を口に出す。
「もしかして壮快先輩と喧嘩したんですか」
皇太の話題が出た途端、結妃の目から大粒の涙がこぼれ落ちた。
呆気にとられる剛気の目の前で、涙は何度もこぼれ落ち、やがて嗚咽が混じる。
客や店員が訝し気に二人に注目してきて、こんな状態じゃ話ができない。
剛気は結妃の手を取ると、代金を払ってお釣りも受け取らずにファミレスを出た。
結妃はまだ泣き止まない。
どこか落ち着けるところがないか探していると、涙声で提案される。
「私の家に、行きましょう」
「えっ大丈夫なんですか」
結妃一人の時に上がったら、皇太にあらぬ疑いをかけられてしまうのではないか。
剛気は結妃に手を引かれて、彼女のマンションに向かった。
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