翁草.11
剛気と鈴は、タワーマンションのエントランスに来ていた。
剛気がインターホンを鳴らすと、すぐに男性の声で応対があった。
「はい」
「内気です」
「今開ける」
ロックを解除された自動ドアが開く。
剛気達は、エレベーターに乗り込みマンションの最上階へ上がる。
到着し、廊下にある玄関のドアが中から開かれた。
出迎えてくれたのは壮快皇太だ。
手を振る皇太を見て、鈴がヒールを履いているにも関わらずに駆け寄る。
「皇兄様!」
警告する前にバランスを崩した鈴は、皇太の腕の中に飛び込むような形となった。
「俺がいなかったら怪我するところだったぞ」
「ごめんなさい。でも兄様が受け止めてくれるって信じてた」
「もう少し、人気者として自覚を持て。怪我して歌えなくなったら大勢のファンが悲しむんだからな」
「は〜い」
剛気は、鈴が怪我してない事を確認してから皇太に詫びる。
「すいません。僕がついていながら」
「俺がいたから事なきを得たが、しっかりしてくれよ。怪我させるような事があったら許さないからな」
「すいません。鈴、僕がついていながら助けられなくて、ごめん」
「兄様。剛気を責めないで。悪いのは鈴と皇兄様なのよ」
剛気と皇太の視線が鈴に注がれる。
「おいおい。俺も原因なのか?」
鈴は頷く。
「そうよ。だって大好きな兄様が家で待っていてくれれば、走ったりしなかったもの」
皇太は思わず吹き出す。
笑い声は次第に大きくなり、無人の廊下に響き渡った。
「それは気づかなかった俺の責任だな」
「鈴と兄様の責任よ。だから二人で謝りましょう」
目尻に涙を浮かべたまま皇太は謝る。
「俺の負けだ。すまなかった剛気。悪いのは俺の方だった」
「剛気ごめんね。次から気をつけるから。鈴の事嫌いにならないで、ね」
二人同時に頭を下げられて、剛気は戸惑う。
「頭上げてください。ほら鈴も」
「玄関でいつまで騒いでいるの」
家の奥から結妃は腕を組みながら鈴と皇太に目を遣る。
「鈴よく来たわね……と言いたいところだけれど、そろそろ離れなさい。私の旦那様よ」
静かだが凄みのある口調に、鈴は無言で離れた。
「よろしい。さあみんな中に入って。せっかくの料理が冷めてしまうわ。ほら剛気も」
「はい。お邪魔します」
テーブルに用意されていたのは、一流シェフが作ったとしか思えないような、フランス料理だった。
「結妃先輩。相変わらず料理上手いですね」
剛気も結婚してから料理を作るようにはなったが、目の前にあるプロ顔負けの料理には素直に白旗をあげる。
「ありがと」
四人はテーブルに着くと夕食を食べながら、各々の近況を話す。
主な話題は鈴の活躍だった。
皇太はワイドショーに出ていた鈴を見ていたようで、高校の時の引っ込み思案な姿からは想像できないほど、堂々としていたところを褒める。
褒められた鈴の頬が赤くなったのは、酒の力だけではなさそうだ。
自分の妻が褒められる事を我がことのように喜んでいた剛気は、ふと結妃の方を見た。
彼女は赤ワインを嗜みながら、皇太と鈴の会話に笑顔で相槌を打っていたが、目は笑っていないように見えた。
夕食もひと段落し、剛気は窓から夜景を眺める。
人の気配を感じて振り向くと、そこにいたのは結妃だった。
「飲まないの」
持っていたグラスを渡される。
「どうも」
受け取るものの、一口に留める。
結妃は隣に立ったまま、窓の外を見ていた。
剛気は沈黙が気まずくなり、話題を探す。
「結妃先輩、仕事の方は順調ですか?」
「ええ」
短い返事だけだった。
「壮快先輩も大活躍ですね。先月号の発行部数、歴代一位だったそうじゃないですか」
皇太は編集長だ。
様々なエンタテイメントを取り扱う雑誌で、小説、スポーツ、将棋とジャンルを問わず、楽しみ方と魅力を読者に伝えている。
「確かにあの人は凄いわ」
素っ気ない返事をする結妃が何を見ていたのか気づいた。
窓に映る皇太と鈴を見ていたのだ。
二人はソファに密着するように座り、テレビで皇太の好きな野球中継を視聴している。
鈴はルールがイマイチわかっていないようで、逐一質問していた。
皇太もそれを嫌がらず、つまらなくなりがちな説明に時折ジョークを交えながら教えている。
「貴方には、二人がどんなふうに見える」
結妃からそんな質問をされた。
「えっとそうですね。仲良しの兄妹に見えますよ」
本心からの答えだった。
「仲良しの、兄妹……ね」
結妃の髪が表情を隠すように顔にかかっている。
それを見た途端、自然と手が伸びた。
顔にかかった髪に触れると、結妃は今にも泣きそうな顔をしていて驚く。
「結妃先輩ーー」
言いかけたところで、人差し指に口を塞がれる。
「大丈夫。髪が目に入っただけ。それからもう先輩ってつけなくてもいいのよ」
テレビを見ていた皇太に飲み物を頼まれた結妃は、返事をすると、何事もなかったかのように隣から離れた。
二人は喧嘩でもしたのだろう。
剛気は軽く考え、この日の出来事は就寝するとともに忘れてしまった。
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