翁草.9

 今日は卒業式の為、剛気を含めた全校生徒が体育館に集まっていた。

 卒業証書授与が終わり、送る言葉ではなく、この式の目玉である合唱部による贈る歌が行われていた。

 その中でも一際注目を集めているのは鈴だった。

 愛らしい容姿で、どちらかというと表に出てくるタイプではない。

 いつも引っ込み思案で、周りの生徒に紛れてしまう。

 本人もそれを望んでいるから、先頭に出てくる事はない。

 けれども、歌を歌っている時だけは違った。

 自信に溢れているから背筋はまっすぐと伸び、溢れ出す歌声が体育館内を包み込む。

 聞いている生徒達は、まるで揺り籠で揺られるような、安らかな気持ちになっていた。

 鈴の歌声の前では、男性顧問が奏でるピアノの音も、合唱部員達の歌声も脇役に過ぎない。

 歌が終わると、割れんばかりの拍手が起きる。

 座って聞いていた剛気は、鈴に気付いてもらおうと、目立つのも構わず、手が痛くなるほど強く拍手をした。

 大きな拍手に気付いたのか、鈴が自分の椅子に戻る時に、剛気の方を見て頷く。

 鈴の歌声の余韻に包まれたまま、卒業式は滞りなく終わった。

 卒業生と仲の良かった在校生達が集まり、涙を流しながら談笑する中、剛気と鈴も親交のあった卒業生の元へ集まる。

「善財先輩、壮快先輩。卒業おめでとうございます」

 剛気の言葉に卒業証書を持った結妃が答える。

「ありがとう内気君。でも今日だけで何百回も聞いたから、夢に見そう」

「それだけ慕われている証拠ですよ」

 現に、結妃達と話せるまで三十分は待たされた。

「皇兄様……ご卒業おめでとうございます」

 今まで我慢していたのか、その言葉を言い終えた途端に鈴の目から涙が溢れた。

 見兼ねた皇太が、自然な仕草で鈴の涙を拭う。

「おいおい泣くなよ」

「だって、もう会えなくなると思うと……」

 溢れる涙が後から後から止まらない。

「家が近いんだから、すぐ会えるだろう。ほら泣かない泣かない。鈴は笑顔が一番可愛いんだから。なっ? 内気君」

「はい。鈴は笑顔が一番魅力的です」

 皇太の言う通りだったので、反射的に答えを返してしまう。

「ありがとう剛気くん」

 鈴は恥じらう事なく、剛気に向けて微笑んだ。

 屈託のない表情に、顔が真っ赤になってしまう。

 そんな二人を見て結妃が呟く。

「最初に会った時とは大違い。なんて言うんだっけ……そうラブラブなんだから」

「せ、先輩。周りの人に聞こえちゃいますって!」

「あら。今更隠さなくてもいいでしょ。周知の事実よ」

 それとなしに周囲を見ると、羨望半分嫉妬半分の視線が注がれていた。

 三年生の担任が卒業生達を呼ぶ。

「俺達これから卒業パーティーがあるんだ」

「内気君、貴方のくれた報告すごく参考になったわ。また何かあったら遠慮なく連絡して」

 他の在校生が見守る中、身を翻した結妃は待っていた皇太と一緒に颯爽と去っていった。

 先輩達を見送った剛気と鈴は、静寂に包まれた学校の屋上にいる。

 初めてここで会った時に座ったベンチだ。

 違うのは人一人分空いていた距離が、今は肩と肩が触れ合う距離まで縮まっている。


 鈴から辛い仕打ちを受けている事を聞いた剛気は、結妃と皇太にその事を告げた。

 生徒から人気があり、先生達からも信頼の厚い二人なら何とかなると考えたのだ。

 話を聞いた結妃と皇太は、事前に大分先生の事を調べ上げた。

 鈴と同じように合唱部だった彼女は歌の才能に溢れ、他の部員達より抜きん出ていた。

 しかし、喉の病気を患ってしまい、彼女は美しい高音を出せなくなってしまう。

 日常生活を送るまでには回復し、教職について音楽を教えていた。

 そこで合唱部に入ってきた鈴の才能に嫉妬したらしい。

 苦しめる理由が分かっただけではどうにもならない。

 顧問に仕打ちをやめさせることも重要だ。

 皇太が考えた解決法は、鈴にとって難易度の高いものだった。

 学校の協力のもと、校長室に呼び寄せる。

 扉を開けた大分は驚いて固まる。

 そこにいたのは結妃と皇太、そして鈴と剛気だったからだ。

 三人に見守られながら鈴が大分の正面に立つ。

「貴方達、私は校長先生から大事な話があるからと呼び出されたの。これはどう言うつもり?」

 貴方達と言うが、大分の視線は鈴だけを貫いていた。

 何も言えず俯く鈴を勇気付けたくて、剛気は彼女の手を握る。

 鈴はその行為で奮い立つ事が出来たのか、大分の目を真っ直ぐに見た。

 いつも弱気な鈴に射竦められて、大分が視線を泳がせる。

「わ、私は歌う事が好きです。歌いたいんです。だから邪魔をしないでください」

 鈴の口から聞く初めての怒声は、校長室が張り裂けんばかりだった。


「何笑ってるの?」

 鈴が首を傾げながら訪ねる。

 どうやら二年前のことを思い出して口元が緩んでいたらしい。

「ん? 鈴が怒った時の事思い出してた」

「もう、思い出さないで。すごく恥ずかしかったんだから」

 鈴の怒声は校長室周辺にまで聞こえたようで、何事かと先生達や生徒達が集まってきたのだ。

 その衆人環視の中で、大分は自分の非を認めて学校を去った。

 今は男性教諭が顧問を務めている。意外と女子生徒と気が合うようで、鈴もすぐ馴染む事が出来た。

「鈴達もあと一年で卒業だね」

「卒業したら、歌手になるの?」

 鈴は頷く。

 元々歌うのが好きだった彼女は、仕事するなら好きな事をしたいと願っていた。

「僕は応援するよ。だって僕は鈴の恋人だもん」

 手を握ると、鈴は驚きながらも握り返してくれた。

「そう言ってくれて、嬉しい」

 二人はどちらからともなく顔を寄せ、小鳥が啄むようなキスをする。

 風に運ばれた枝垂れ桜の花びらが二人の周囲で舞っていた。

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