第14話 散髪

 いろんなところに力を入れていたせいか、ソファに座っているだけなのに、体がかちこちに固まっている。

 イライズさんは私をソファに下ろしたあと、なにかを取りに行ってしまった。

 部屋で一人、固まっていた体からすこしだけ力を抜いて、あたりを窺う。

 床に敷かれた絨毯は茶色でひし形模様が入っている。そして私が座っているソファはきれいな紫色だった。座面をおそるおそる手で撫でてみると……。


「わぁ……」


 とてもすべらか。不思議な生地はずっと撫でていたくなる。

 何度か手を往復させたあと、次は正面を見た。

 そこには窓があって、グレーのカーテンがかかっている。銀色の刺繍がされていて、光に反射してきらきらとしていた。


「きれい……」


 こんなきれいな部屋に入ったことはない。

 団長の部屋の絨毯もふかふかだったし、机も重厚だった。けど、団長の部屋はとりあえず置いてあるという感じがしたし、団長が選んだわけじゃないんだと思う。

 でも、この家具は部屋の持ち主が自分で選んでいるんだと思う。そして、すごく……おしゃれ? なのかな……。

 ほうっと息を吐く。すると、イライズさんが戻ってきて――


「一人にしてしまってすみません。緊張しますか?」


 そう言って、ソファの前で片膝をついた。

 きっと私のために、こうして目線を合わせてくれているのだろう。いくら絨毯の上といっても、足が痛くなるかもしれない。

 なので、急いでソファの端に寄った。


「あ、あの……足、痛いと思うから……っ、あの、ここに……」


 目をさまよわせながら、必死で伝える。

 すると、イライズさんは優しく微笑んでくれた。


「ありがとうございます。クロは優しいですね。ぜひ隣へ座りたいのですが、やりたいことがあるのです」

「やりたいこと……?」


 なにかわからなくて首を傾げれば、イライズさんは手に持っていたものを見せてくれる。

 それは……ブラシ?


「クロは髪を梳いたことがありますか?」

「あ、あの……」


 思いがけない質問に声が小さくなる。


「ない……です……」


 ブラシの存在は知っていたけれど、それを使ったことはない。

 俯くと、イライズさんは「わかりました」と頷いた。


「入浴はどうしていましたか?」

「あ、……あのね……ときどき、……水浴びとか」

「水浴びですか……」


 俯きながら、視線だけ上げてイライズさんを見る。

 すると、イライズさんの眉がピクッと上がった。

 ……怒ったのかな?


「あ、……ごめんなさい」


 膝の上に置いていた手をぎゅうっと握る。

 すると、イライズさんは私の手にそっと手を載せた。


「申し訳ありません。クロに怒ったわけではないのです。ただこんなかわいらしいレディのこれまでを考えると、胸が騒いでしまうのです」

「……そうなんだ」

「はい。ですので、ぜひクロの髪を梳かせてほしい。怖くはないですか?」

「怖くはない……けど……」


 いいのかな、そんなことをしてもらって……。

 こんなきれいな部屋で、私の髪を梳くの……?

 なんて答えていいかわからなくて、そわそわと顔を動かす。

 すると、イライズさんは私の手を取って、立ち上がらせた。


「こちらです。鏡台の前へどうぞ」

「うん……」


 茶色にひし形模様の絨毯の上を進み、鏡台へと移動する。

 そこには一人掛けのイスがあって、イライズさんはそこに私を座らせてくれた。


「では、ゆっくり髪を梳かしていきます。痛かったら言ってくださいね」

「……うん」


 イライズさんはすごく丁寧な手つきで私の髪を梳いていく。

 長い前髪、腰まである横の髪と後ろの髪。何度か頭のてっぺんから髪を梳かしたイライズさんは毛先だけを持ち、そこにブラシを当てた。

 どうやらいくつか気になる場所があるようで、そこを重点的に梳かしてくれているみたいだ。

 髪が引っ張られる感じはするが、痛くない。

 きっと、イライズさんが痛みがないように、梳かしてくれているからだろう。

 最初は緊張していたけれど、だんだん体もほぐれてくる。

 すると、イライズさんが鏡越しに私と目を合わせた。


「クロ、申し訳ありません。いくつか毛玉になってしまっています」

「毛玉……」

「はい。クロの髪はやわらかくて絡みやすい。なんとかしようと思ったのですが、すこし難しいかもしれません」


 鏡越しの碧色の瞳。眼鏡の奥の目は申し訳なさそうに細まっていた。

 そして、手を私の肩のあたりまで持ってきて――


「レディにこんなことを勧めるのは情けないのですが、一度ここまで髪を切ったほうがいいかもしれません」

「髪を、切る?」

「はい。一番大きな毛玉が肩の下にあるのです。これがあると今後よくない。切ってしまったほうが、手入れも楽になるし、頭も軽くなり、クロも動きやすくなると思います」

「……肩までの長さになるの?」

「クロがいやでなければ。長い髪に戻るには時間がかかるかもしれませんが、私が手入れしますので、もう毛玉はできないはずです」

「うん……」


 髪を、切る。

 イライズさんの言葉を受けて、鏡の中の自分を見た。

 長い前髪は顔を覆い、どんな表情をしているかまったくわからない。伸ばしたままで水浴びだけした、横の髪と後ろの髪はごわごわとしていた。

 耳がなくて、しっぽのない私。

 周りの目が怖くて、人の視線を遮っていた私。

 そのためには、この長い髪が最適だった。

 でも……。


「わ、たし……」


 自分自身を隠すためだった、黒くて長い髪。

 勝手に怖がって、一人で怯えていた私にぴったり。

 だからこそ――


「顔を上げたい……」


 みんなと目を合わせようと思えば、長い前髪は邪魔になる。

 みんなと一緒に働こうと思えば、長くて絡んでしまった横の髪と後ろの髪は邪魔になる。


「髪っ、どこで切れる……っ?」


 勇気を……。

 私に勇気をください。


「わたし、髪を切る……っ!」


 たったこれだけの決意なのに、声が震える。

 すると、イライズさんは私を励ますように頷いてくれて――


「お任せください。クロの魅力的な黒髪と黒い瞳。両方が素敵に見えるように仕上げます」

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