第10話 訓練場

 魔獣騎士団で暮らすようになってひと月が過ぎた。

 私の生活は初めの時からあまり変化はない。


 起きて、ごはんを食べて、寝る。


 言葉にしてしまえば、それだけしかしていない。

 ここで暮らすのだから、私もちゃんと仕事をして、みんなの役に立ちたい。

 でも、今は暮らしに馴染むのが仕事だと言われ、ゆっくりとさせてもらっている。

 だから、ブチに教えてもらいながら、いろいろと見て回っているところだ。


 騎士団の仕事には大きく分けて外勤と内勤とがある。

 外勤は騎士として魔獣を倒す仕事をする人。そして、内勤は掃除や洗濯、食事などの騎士団の生活を支える人のことだ。

 騎士団の花形は外勤で、命をかける仕事だから、お金もたくさんもらえるらしい。

 外勤の人は毎日訓練をして、体力を上げて、技を磨き、陣形なんかの練習もしているようだった。

 そして、ブチは外勤に就くために、すでに訓練をしているのだ。


 ブチはすごい。


 大人と一緒に走っても、途中で脱落することなんてなかったし、剣だって軽々と持っている。

 私も少しだけ一緒に走ったり、剣を持たせてもらったりもしたけど、全然ダメだった。

 騎士団の敷地を何周もした後のブチと一周も一緒に走れなかったし、剣だって重すぎて、ほんの少し持ち上げるだけで精いっぱいだった。

 ……やっぱり獣性のない私には力がない。


 努力や気持ちなんかでは埋まらない差がある。

 この先どんなに成長したとしても……きっと届かない。

 私では一生かかっても無理なんじゃないかっていうことを大人はもちろん、ブチだって軽々とこなしていた。


「じゃあ、行く」

「うん、がんばってね」

「ああ」


 いつもの訓練場。

 朝ごはんの後はブチについていって、私は少し離れたところからその様子を見ている。

 最初は立ったまま、建物の陰からこっそり見ていたんだけど、気づけば屋根のある部分にベンチが置いてあって、今はそのベンチが私の定位置になった。


 繋いでいた手を離すと、ブチは大人が訓練しているところに入っていく。

 訓練しながらも、ときどきブチがこちらを見てくれるから、その度にちょっとだけ右手を振った。


 そうして、ブチの訓練を見ていても、大人とは目が合わない。

 ここに来たときから不思議だったけれど、どうやら私をあまり見ないようにしてくれているようだ。

 気を遣ってくれているんだと最近になってわかってきた。


 でも、そんな中でも、みんなとは違う人もいる。

 その人は私がブチの訓練を見ていると、じーっとこちらを見てくる。

 そして、目が合うと、嬉しそうに笑って、ぶんぶんと手を振って来るのだ。


 ……ちょっとこわい。


 だから、いつも慌てて、目線を下げるのがここ最近の日課になっている。

 今日もいるのかな、と前髪の隙間から訓練場を見た。

 いつもならブチの隣で一緒に訓練しているのを見るのだけれど、今日はいないようだ。


 よかった……。


 ほっとして体から力を抜く。

 すると、後ろから突然、声がかかった。


「おれ、今日は休みなんだ!」


 近くで聞こえた大きな声にびくっと体が跳ねる。

 慌ててベンチから立ち上がって、振り返れば、そこには満面の笑みで私を見ている男の子がいた。


「いつもここで見てるだろ! おれ、ずっと話したくて!」


 灰褐色の髪に小さな耳がせわしなく動いている。

 それと同じように筆の先みたいな小さなしっぽがぴょこぴょこと左右に揺れていた。


「え、あ……」


 それは、私がここに来たときに騎士団の敷地に入るために、私の背中を押した男の子。

 あのときも元気いっぱいだったけれど、それはいつもで……。

 

 大きな声とその勢いがこわい。

 男の子がこちらに寄ってこようとしていたので、私はその分、後ろに下がった。


「なあ!」


 そんな私の様子に男の子は気づかないようで、なおもこちらに向かってずいずいと寄ってくる。

 いつもこちらに手を振ってはいたけれど、話しかけて来たり、近づいてくることはなかったから油断していた。

 こちらへとやってこようとする男の子の両手は背中に隠れていて、何かを持っているようだ。

 そんな男の子の様子にてのひらから勝手に汗が出てきてしまう。


「ごめ、なさい」


 思わず言葉を発すれば、男の子は首を傾げて、不思議そうに私を見る。

 でも、その灰色の目が怖くて……。


 ――思い出すのは村で過ごした日々。


 村にも私と同じぐらいの年の男の子たちがいて、いつも元気に遊んでいた。

 声も大きくて、笑ったり、けんかしたりしていて……。

 そんな男の子たちは私を見ると、指を差して目配せをした。

 そして、背中に隠していた手には石を握っていて、それを私に向かって投げる。 


 ――逃げ、なきゃ。


 男の子たちの投げた石が当たったおでこ。そこがズキンと痛む。

 とっくに傷はなくなったはずなのに、それでも男の子たちが笑いながら石を投げてくる姿は心に残っていて……。

 だから、急いで走って逃げようと、足に力を入れた。

 すると、優しい声が聞こえて……。


「どうした?」

「ブ、チ」


 それを聞いた途端、緊張してこわばった体から少しだけ力が抜ける。


「なにか用か?」


 ブチは私をかばうように男の子と私の間に立った。

 そんなブチに男の子はああ? と声を荒げる。


「なんだよ!」


 大きな声には怒りが混じっていて……。

 びくっと勝手に体が跳ねる。

 すると、ブチは私の右手をぎゅっと握ってくれた。

 そして、少しだけ振り返って、その優しい茶色の目で私を見た。


「大丈夫」

「……うん」


 いつもの言葉。

 それに心が落ち着くのを感じながら、前髪の隙間から男の子をうかがう。

 さっきまで笑顔だった男の子は、今は眉間にしわを寄せて、いやそうにブチを見ていた。


「なんだよ、おまえ! おまえに用はない! じゃまだ!」

「うるさい」


 男の子の大きな声にもブチは冷静にひとことで返す。

 男の子はそんなブチの態度が余計に気に障ったようで、ああ!? とまた声を荒げた。


「いいからあっち行け!」


 男の子の機嫌はどんどん悪くなる。

 大きな声が怖くて、ブチの手にぎゅうっと力を入れると、ブチはちらっと私を見た後、男の子にゆっくりと答えた。


「……クロがこわがってる」

「……っ」


 そんなブチの言葉に男の子はびっくりしたように息を飲んだ。

 そして、目を大きく開けて私をじっと見る。

 そんな視線もこわくて、ブチの背に隠れれば、男の子はざりっと地面の砂を蹴った。


「なんで……おまえばっかり……っ」


 なにかをこらえるような声はさっきと違い、大きな声じゃない。

 大きな声を出さないように懸命に我慢をしている。そんな声だった。


「おれだって、こいつがはじめてここに来たときから、ずっと話したいって思ってた。でも、団長がもうちょっと待てっていうから……だから……」


 小さな声は必死で……。


「やっと、そろそろいいかもしれないって団長が言って……おれだって……。ちゃんと考えて……」


 ぽつぽつとこぼされた言葉は私に関すること。

 やっぱり、ここのみんなが私に積極的に関わってこないのは、騎士団としての対応だったらしい。

 そして、男の子もそれに倣っていて、今日、ようやく許可が出たから、私に話しかけてきた。

 そう。男の子は私と話をしたくて、それで……。


「……わるかった。こわがらせるつもりじゃなくて……」


 男の子が小さな声で話し、ゆっくりと私に近づいてくる。

 それは、きっと、私をこわがらせないようにするため。


「これ」


 そして、背中に隠していた手を前に出した。

 そこには何かが握られていて……。


「……お花?」

「……やる」


 男の子がぐいっと私に差し出すから、思わずそれを受け取ってしまう。

 先ほどのブチとのやりとりで力が入ったようで、花の茎はぐにゃりとゆがんでいた。


 男の子は私が受け取ったのを確認すると、うつむいたままどこかへ走り去ってしまう。

 その背中を見ていると、目がそわそわと動いて、胸がぎゅうぎゅうと痛んだ。


 男の子が背に隠していたのは石じゃなくて……。


 ――小さな白い花だった。

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