第8話 琥珀色のスープ

 おなかがぽかぽかあったかい。

 

 だから、もう一口、スープを入れる。

 ゆっくりと飲み込むと、そのあったかさがまたひろがっていって……。


 ……胸が、痛い。


 おなかはあったかいのに、胸がぎゅうぎゅうとする。

 その痛みのせいで、鼻がツーンとして、目がじわっと熱くなった。


 ……きっと、この目の熱さのせい。

 そのせいで、家族のこと、みんなのことを思い出してしまった。


 家族は私を放っていたけれど、時々は話しかけてくれた。

 隣のおじいさんだって、怒鳴りながらだけど、いろいろと教えてくれた。


 スープがあったかいから。

 ここのみんながあったかいから。


 楽しい暮らしじゃなかったはずなのに、いいことばかりが頭に浮かんでくる。

 みんなすごく悪い人ってわけではなかった。


 ただ、私が――。


 なんでだろう。

 なんで私はこんなのなんだろう。


「さよならって……」


 言えなかった。

 だれにもお別れが言えなかった。


 もしかしたら捨てられるかもしれないって思ってたけど、必死で否定してた。

 きっと大丈夫、そんなことないって。


 父親に連れられて馬車に乗った。

 そして、着いた場所は家から遠い、来たこともない森の中で……。


 ――そのまま行ってしまった。私を置いて。


「待ってって……」


 言えなかった。

 一緒に帰ろうって言えなかった。

 父親の背中に何一つ言葉をかけられなかった。


 ……自分が役に立たないってわかっているから。

 こんな自分はだめなんだって知っているから。


 目が熱くて、スープを口に運べない。

 あったかいうちに食べようって思うのに、手が動かない。

 スプーンを持ったまま、じっと琥珀色のスープを見つめた。


「大丈夫」


 そんな私にブチが言葉をくれる。

 出会った時から何度も、何度も。


「う、ん」


 だから、私もスプーンを握り直して、スープを口へ運んだ。

 手が止まってしまわないように、必死でそれを動かす。

 目が熱いのは全然おさまらなくて、むしろスープを口に運ぶたびにどんどん熱いのが増えていった。


 私、変だ。

 すごく変。


 琥珀色のスープはすごくおいしいのに、おいしいと勝手に目が熱くなる。

 目が熱くなって、喉のあたりがひくってなる。


 それでもなんとか食べ終わって、スプーンをトレーに置いた。

 目が熱いままだったから、急いで目をごしごしとこする。

 すると、横にいたブチがそっと私の手を握った。

 そして、正面にいた白い髪の人がハンカチで私の目を拭う。


「涙が出るぐらいおいしいでしょ」


 少し悪戯っぽいその言葉。

 それに、うんって頷いた。


「おい、しい」

「はい。よく食べました」


 そして、よく食べたねって私を褒めてくれる。

 真っ赤な目があったかくて、ブチに握られた手もあったかくて……。


「私、がんば、るから」


 こんな風に泣いて困らせたりしないから。


「私もみ、んなを喜ばせた、い」


 役に立ちたい。

 みんなを笑顔にしたい。

 みんなの心をうれしくしたい。


 その思いが膨らんでいく。


 がんばるって決めた。

 きっと、役に立ってみせるって。


 だから、ぎゅうって目を閉じた。

 

 ――涙、止まって。


 ゆっくり息を吸って、胸の痛みをおさえこむ。


 私に涙はいらない。

 いらないから。


 そうやって、必死でおさえているのに、ブチがまた私の頭を撫でる。


「大丈夫」


 よしよしって優しく撫でてくれる。


「クロがいてくれるだけでいい」


 まっすぐな言葉。

 その言葉にびっくりして目を開ければ、そこには優しい茶色の目があって……。


「クロがここにきてくれて、うれしい」


 だから、また簡単に心が震えてしまう。


「そうそう。オレ達は君が来て嬉しい。なにも心配ないって言ってるでしょ? いっぱい食べて、いっぱい寝ればいい。……あ、耳触ってみるか?」


 顔を上げた私に白い髪の人が近づいてくる。

 その人が私の椅子の横にしゃがむと、ちょうど私の顔の前には白くて長い耳があって……。


「女の子限定で触れるやつだから」


 ほら、と耳を私へ近づける。

 ふかふかの耳が少しだけ私の頬に触れた。


「やわらかい、ね」


 真っ白の毛がくすぐったい。

 毛足はそんなに長くないけど、密に生えていて、とてもやわらかかった。


 頬に触れる初めての感覚。

 それに、少しだけ口元が緩んだ。

 目が熱いのは止まらないのに、そのやわらかさのせいで、少しだけ笑ってしまう。


「俺のも触っていい」


 握られたままだった私の右手を、ブチはそのまま自分の耳へと持ち上げる。

 そうして触れたブチの耳は、どちらかというとすべらかな感触で短めの毛がするすると指に当たった。


「ブチは、すべすべだね」


 ブチの耳をそっと撫でると、、茶色の目が優しく細くなる。


「さあ、食べたら、次は散歩でもしてきな。それで、昼になったらまたここでごはんだから」

「……うん」

「昼を食べたら、次は夜。オレが作るごはんはおいしいからね。なにも心配しなくていい」

「俺も一緒に食べる」


 ……ふかふかの耳がやわらかくて。

 すべすべの耳がきもちよくて。


 せっかく止めようとした涙が、ぽろぽろってこぼれた。

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