第7話 朝ごはん

 ブチと一緒に洗濯をした後、私のブーツとベルトを取りに行った。

 ブーツは少し大きかったけど、中敷きを入れれば履くことができたし、ベルトもちゃんとして、藍染のズボンが落ちそうになることもなくなった。


「クロ、朝ごはんを食べよう」

「うん」


 ブチはそう言うと、また私の手を握って、一緒に歩いてくれた。

 洗濯の時にはすれ違わなかったのに、さすがに少しずつ起きてきているようで、何人かにすれ違った。

 でも、その人たちも私を見て、何も言わない。

 私がブチの隣にいるのが当たり前みたいに、『おはよう』と声をかけてくれて、そのまま立ち去っていくばかりだ。


 ……大人の男の人は怖い。

 とくに魔獣騎士団にいるような、ふかふかの耳や立派なしっぽを持っている人は。


 だから、人が通る度にびくっと反応してしまうんだけど、そんな私にだれもなにも聞かない。

 そっと距離を取ってくれているような……そんな感じ。


 そうして、ブチに連れられて、食堂に入れば、そこはとても大きくて、中には大きな机が何個も置いてあって、たくさんの椅子があった。

 そこに座り、それぞれが朝ごはんを食べているようだ。


「ごはんはここで食べる。人が多い時間と少ない時間があって、今はまだ少ない」

「うん」

「もう少し経つともっと多くなるから、俺は早めに食べるようにしてる」


 ブチが私に説明しながら、食堂の奥へと進んで行く。

 朝ごはんを食べている人たちは、やっぱり私を見てもなにも言わなくて、ただ『おはよう』と声をかけてくれた。


「ここに並んで、朝ごはんをもらう。もらったら机に座って食べる」


 食堂の奥まで行くと、そこにはごはんを渡してくれるカウンター。

 並んでいる人の後ろへと行き、ブチと私もその列に並んだ。


「お金、払わなくていいの?」

「ああ。魔獣騎士団は外に食べに行くような場所はないから、ここで食べるしかない。ここにいる人は三食保障されている」

「……そうなんだ」


 ……そんなにもらっていいのかな。


 ――心から声がする。


 もらってはいけない。

 断らなくてはいけないと私を止める声。


 だから、いらないよって言いたくなる。

 私にはもったいないよって伝えたくなる。


 でも、その声が出る前に、ブチが頭を撫でてくれて……。


「大丈夫」


 優しい声。

 私を見る茶色の目。


「俺と一緒に食べよう」

「……ブチと?」

「ああ」


 そして、その目が優しく笑う。

 それがまた私の胸をきゅうっとさせて……。


 そうして、少しずつ進む列に並んで、ブチと私も進んで行く。

 すると、不意に声がかかった。


「やっと来たね」


 突然の言葉にびくっと体が跳ねる。


「待ってたんだよ。食堂だと人が多くて落ち着かないでしょ。着いてきて」

「え、あ、わたし?」

「そう。ブチも一緒にね」


 思わず、ブチが握ってくれている手にぎゅうと力を入れれば、ブチも握り返してくれる。


「ほら、こっち」


 そんな私に構わず、声をかけてきた人はブチと私に背を向けて歩き出す。

 それにブチも続いて行く。

 ブチの手を握っている私も当然それに続くことになって、料理をもらうカウンターの向こう側へと入っていった。


 カウンターの奥はとても広い調理場になっていた。

 たくさんの調理器具が整頓されて置かれている。

 すごく大きなオーブンもあって、その見慣れない光景に、目がそわそわと勝手に揺れた。


「さ、ここに座って」


 そうして、驚いているうちに、目的地へと到着したらいい。

 止まったのはキッチンを進んだ先にある六人ぐらいがごはんを食べられるような大きさの机と五つの椅子。

 その椅子の一つを勧められ、よくわからないながらも座る。

 すると、机の上にトレーが二つ置かれた。


「どうぞ。スノーお兄さん特製のスープだよ」


 トレーの上にあるのはあったかそうな野菜のスープが入った器。

 まだ鍋から取り分けたばかりなのか、スープからはふんわりと湯気が立っていた。


「どれぐらい食べてないかわからないから、今はこれで。少しずつ様子を見ていこう。あ、ブチはいつも通り食べていいから」


 その言葉にブチのトレーをちらりと見ると、そこには大きなパンとごろごろと大き目な野菜の入ったスープ。おいもとお肉を煮たようなおかずが乗っていた。

 そんなにたくさんのものを朝から食べることなんてなかったから、その量に驚いてしまう。


「ほら、とにかく食べちゃいな」


 その声にうながされて、ブチの前に置かれたトレーから自分の前に置かれたトレーへと視線を戻した。

 トレーには両手で持つぐらいの大きさの木の器があって。そこに琥珀色に透き通ったスープが入っている。

 なんだか緊張してきてしまって、隣に座るブチの顔を見上げる。

 するとブチは私の顔を見返して、頷いた。


「食べろ」

「……いいの?」


 スープに手を伸ばせず、目をさまよわせる。本当に食べていいのかわからない。

 けれど、ブチがまた頷いたから、それに勇気づけられるように手を伸ばした。

 左手で器を持って、右手にスプーン。ゆっくりとスープを口に運べば、口の中がふわっとあたたかくなった。


「……おいしい」


 澄んだ琥珀色のスープには柔らかく煮込まれた野菜。

 それはどれも小さく刻まれていて、ブチのトレーに乗っているスープとは少し違う。

 数種類の野菜のうまみがスープに出ていて、少しだけ香草の香りがした。


「そうでしょ。君のために作ったスープだからね」


 ……私のため。


 その言葉にスープをすくう手が止まってしまう。

 ブチのスープと私のスープとの違いは具材の大きさ。

 私があまりごはんを食べられないことも考えて、いろいろと手間をかけてくれのだろう。


「……すごく、おいしい」


 野菜のスープなら家でも少しだけ食べたことがある。

 でも、それはこんなに色んな味はしなかった。

 少し味のある水。そんな風にしか思わなかったのに……。


「ほら、食べな」


 勧められ、また一さじ、スープを口に入れる。

 ゆっくりと飲み込むと、おなかの辺りがぽかぽかとあったかくなった。


 ……そのあたたかさのせいなのかな。

 優しい味が胸をぎゅっと締め付けて……。


 私の正面に座る人を見る。

 真っ白の柔らかそうな髪は男の人にしては少し長い。

 その髪の間からは長くて大きなふわふわの耳が出ていた。

 真っ赤な目は私を見ていて、その服は真っ白で料理をする人が着ているようなもの。


「あ……」

「ん? どした?」

「ありがとう。これ作ってくれて……」


 そう。スープを作ってくれたのはこの人。

 わざわざ私のために手間をかけて作ってくれ、こうして落ち着いて食べる場所まで作ってくれた。

 だから、急いでお礼を言うと、その人はニコッと笑った。


「どういたしまして。オレが作るものはなんでもおいしいから、お楽しみに」


 真っ赤な目が悪戯っぽく笑う。


「これからは毎日オレの料理を食べる」

「……うん」

「そうすれば、何も悪いことは起きないから。安心していいよ」


 真っ赤な目をパチンと片目だけ閉じる。

 それがとても似合っていて……。


「だから、食べれるところまででいいから、スープを食べてみな」

「うん」

「ほら、ブチはもう食べ終わっちゃうよ」


 その言葉にブチのトレーを見れば、あんなにたくさん載っていたおかずやスープがあっという間になくなっている。

 パンもあと二口で終わりそうだ。


「うまいな」

「……うん」


 ……ごはんを作ってくれる人がいる。

 一緒に食べて、おいしいって言い合える人がいる。


 ――それがうれしくて。


 おなかがぽかぽかとあったかくなっていく。

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