第5話 屋根裏部屋
私が胸の変な感じに気を取られていると、男の子が手を握ったまま歩き出す。
そして、団長室を出て、建物の中を進むと、階段を上がって行き、一番上の階まで登った。
「ここに俺達の部屋がある」
他の階より低い天井。そこは三階の上の屋根裏のようなところで、細長い廊下にはいくつかの扉がついていた。
男の子がそのうちの一つの扉を開けて、中へと入る。
手を握られている私ももちろん一緒に部屋に入った。
「大人よりは狭いけど、問題ない」
男の子の言葉を受け、その部屋の中をこっそりと観察する。
天井は屋根裏だからか、斜めになっていて、部屋の奥に行くほど天井が低くなっている。
一番低くなっているところは私でも屈まないといけないぐらいで、窓がついていた。
ベッドと書き物をするための小さな机と椅子があって、それだけで小さな部屋はぎゅうぎゅうだけど、私にはすごく立派な部屋に見えた。
「ここがお前の部屋」
「わ、たしの?」
……この部屋が?
びっくりしていると、男の子が握っていた手を離し、部屋を移動していく。
そして、小さな窓をばたんと開けた。
「シーツと布団を取りに行こう」
窓から入る風に男の子の白色の髪と黒い毛束が揺れる。
……いいのかな。
こんなに簡単にいろいろと決まって。
だって、私が変なことは一目見たらわかるはずなのに。
「名前は?」
男の子の優しい茶色の目がこちらを向く。
でも、その目を見ることはできなくて……。
……だって、私にはそれに答える言葉がない。
「……村では獣なしって」
名前と呼んでいいかもわからない。
でも、それが呼び名だった。
私にはそれしかない。
「……あのね、だから、私、部屋はなくてもいい。どこでも寝られるから」
視界に入るのは木でできた濃い茶色の床。
ささくれや節がなくて、寝やすそうだ。
ベッドなんて寝たことがないから、シーツも布団もなくていい。
「少しだけごはんをもらえたら、それでいいから」
そう。それだけで、十分。
こんなに簡単に決まっていいはずがない。
こんなにいろいろもらっていいはずがない。
だから、男の子を見ることなく、床をじっと見つめる。
男の子が近づいてきたような気配がしたけど、それでも、じっと床を見続けた。
「大丈夫」
すると、不意に頭の上に何かが乗った。
びっくりして顔を上げると、そこには優しい茶色の目があって……。
「ブチ」
「ブ、チ?」
「そう。俺の名前。ぶち模様だから」
男の子が左手で自分の髪を少し持ち上げる。確かにその髪はぶち模様だ。
どうやら『ブチ』というのがこの男の子の名前らしい。
そして、私の頭に乗っているのは、男の子の右手のようで……。
「お前の名前はクロ」
男の子が私の頭に乗せていた右手で私の髪を少し持ち上げた。
「黒いから」
そして、よしよしと私の頭を撫でる。
「ブチ、クロ。同じ」
初めてのその感触によくわからないけれど、体にぎゅうって力が入った。
そんな私に男の子がまた優しく声をかけてくれる。
「大丈夫」
そして、またゆっくりと私の頭を撫でた。
……どうしよう。
「あ、りがとう」
どうしよう。
「……いい名前だと思う」
男の子の言葉が胸に響いている。
ぶち模様だからブチで、黒い髪だからクロだなんて、すごく簡単な名前なのに。
でも……。
「うれ、しい」
――うれしい。
初めての名前。
初めての感触。
心が震える。
「俺の名前、呼んでみろ」
「……ブチ」
少しだけ顔を上げて、名前を呼ぶ。
すると、また優しい声が聞こえて……。
「クロ」
……私の名前。
私だけの。
「お揃いだ」
茶色の目が嬉しそうに笑う。
そのせいでもっと心が震えて……。
なぜかわからないけど、目がじわじわと熱くなった。
「クロ、シーツ取りに行く」
「うん」
そして、ブチは私の右手をもう一度握る。
やっぱり、その手があったかくて……。
「食べて、寝る。明日も」
歩き出すブチにつられて、私の足も進んで行く。
「明後日も」
ブチが少しだけ振り返って私を見る。
長い髪の隙間から見れば、茶色の目が優しく私を見てる。
「毎日。ここで」
だからまた心が震えて……。
――がんばろう。
私を引っ張ってくれたブチのために。
毎日ここにいていいと言ってくれる、その優しさのために。
私を受け入れてくれるこの騎士団のために。
――今度こそ役に立とう。
もう、いらない自分にはならない。
いっぱいがんばって、きっと……。
「……がんばる」
小さく言葉を漏らせば、ブチは少しだけ首を傾げる。
そして、私をまっすぐに見て、ゆっくりと頷いた。
「大丈夫」
ブチが何度も繰り返すその言葉。
最初は全然安心できなかったそれ。
気づけばその言葉が胸に染み込んでいく。
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