第4話 騎士団長室

 男の子がコンコンと扉をノックする。

 すると、すぐに「入れ」と言う低い声が聞こえた。


 ……どうしよう。

 扉には団長室って書いてあった。つまり、ここにいるのは魔獣騎士団で一番えらい人。

 そんな人の前に私が出ていいわけがない。

 きっと私を見たら、すごく怒るはず。もしかしたら、殴ったり、蹴ったりするかもしれない。

 それはとても怖いけど、そうなったら、すぐに謝って、ここから出て行くだけだ。


 ……でも、男の子は?

 私を連れて来たせいで怒られないだろうか。

 私のせいで、男の子まで怒られたり、叩かれたりしたら?


 頭のくらくらは収まらない。

 てのひらの冷や汗もそのままだし、胸の音は早すぎるぐらいに打っている。

 男の子はそんな私の手を握ったまま。だから、男の子が前へ進めば、私も一緒に進んでしまって……。


「帰った」

「おう」


 男の子と低い声の短いやりとり。

 思っていたようなのとは違うけど、緊張しすぎてよくわからない。

 足が動かなくて、床に敷かれている深緑色の絨毯に何度も足を取られる。

 でも、男の子がしっかりと手を握ってくれているから、こけたり倒れたりすることはなく、部屋の中にいた。


「どうした?」


 低い声が聞こえる。

 前を見ることはできなくて、顔を下に向けて、長い髪で自分の顔を隠した。


「見つけた」

「そうか」


 少し遠くで聞こえていた低い声がさっきより近い。

 ふかふかの深緑色の絨毯のせいで足音は聞こえなかったけれど、どうやらすぐそばまで来ているようだ。

 低い声の持ち主を確認しようと、長い前髪の間から上目遣いで盗み見る。

 すると、そこにはとても大きな体をした男の人がいて、男の子に向かって握った拳を突き出していた。


 ――殴られる…っ!


 男の人の大きな拳に身震いがする。

 でも、男の子は悪くない。

 だから、震える体を動かして、必死で男の子の前に出た。


「わ、たしが無理やりについて来たの。違うの。ごめんなさい。ごめんなさい」


 私の右手は男の子に握られたままだから、左手だけで頭を守る。

 男の子に体の正面を向けて、男の人に背中を向けているから、男の子は殴られないし、私も背中を蹴られるぐらいですむかもしれない。

 次の衝撃を想像し、それに耐えるために体に力を入れる。


「大丈夫」


 でも、予想していた衝撃が来ない。

 代わりに男の子の声が聞こえて、恐る恐る男の子をちらりと見れば、そこには優しい茶色の目があった。


「これは団長の挨拶だから。見てろ」


 そう言って男の子は握っていた私の手をぐいっと動かし、男の子の横へと移動させる。

 また二人で並ぶ体勢に戻ると、空いている男の子の右手を握り、拳を握った。

 私と男の子、二人の前に立つ男の人。

 その大きな拳に男の子が自分の拳を正面からぶつける。

 バチッと音を立てた拳は同時に広げられ、二人は少しだけ手をひらひらさせながら、下ろしていく。


 ……なんだか、すごい。


 二人は拳を合わせただけ。

 たったそれだけのことなのに、その瞬間がきらきらしてる。


 思わず顔を隠すことも忘れて、じっと見てしまう。

 すると、男の人はニカッと笑って、私の前にしゃがみ込んだ。


「ほら、やってみるか?」

「え……」

「拳を軽く握って、コツッと当てればいい。で、拳を開いたらシューッて息を吐きながら、手をひらひらさせるんだ」

「で、も」 

「ん」


 男の人が大きな拳を私の前にかざす。

 それは動くことなく、じっと私のことを待ってくれている。


 ……すごくえらい人なのに。


 魔獣騎士団の団長と言えば、国中から尊敬される人だ。

 大きな体も大きな拳も、いつもみんなを守ってくれている、強い強い人だ。


 それなのに、私の前にしゃがみ込んで、こうして私に合わせてくれている。

 いきなりやってきた私を嫌がるわけでも、不審がるわけでもなく……。


 長い髪の隙間から、そっと男の人を見る。

 こげ茶色の髪は短くて、そこには小さくて丸い耳。

 ふかふかの毛並の耳は小さいけど、しっかりとその存在を示していた。


 じっと待ってくれる、男の人の拳。

 でも、そこに私の拳を合わせることができない。

 だから、もう一度、下を向くと、男の子が握っていた手を持ち上げた。


「大丈夫」


 そして、そのまま男の人の拳へと手を近づける。

 もちろん握られている私の手も一緒に近づくことになって……。


 コツンって拳に手が当たる。

 強くって大きくって私とは全然ちがう。

 ……そんな手に私の手が触れる。


 拳が当たった後、男の人がシューッて息を吐きながら、手を開いた。

 目の前でひらひらと手が揺れる。

 その手を目で追えば、世界がきらきら光って……。


「よろしくな」


 男の人がまたニカッて笑った。

 明るく笑う金色の目。柔らかく細まっているそれとをしっかり目が合ってしまって、慌てて顔を伏せる。

 そんな失礼な私なのに、男の人は私を怒ることもない。

 ただ、「よし」と呟いて、立ち上がった。


「任せた」

「ああ」


 男の人が男の子の肩を叩く。

 男の子はそれにすぐに言葉を返して、握ったままの私の手に一度だけぎゅっと力を入れた。


 ……その手があったかくて。


 胸が変だ。

 すごく、すごく。


 さっきまでの怖さとは違う。

 気づけば、頭のくらくらが治って、てのひらから冷や汗も出ていない。

 あんなに早かった胸の音もゆっくりになって、今は違う音がする。


 ……こんなの初めてで。


 男の子の手があったかいこと。

 男の人の大きな手がきらきら光ること。


 ――そんなの知らなかったから。


 だから、胸がきゅうっとする。

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