第2話 見つかる

 大きな木の根元。幹に背中を預けたまま、動かず、ぎゅっと膝を抱え込む。

 顔を隠すぐらい長く伸びた前髪が、木々の間を抜ける風にさらさらとそよいだ。


「……しかたない」


 また同じ言葉をくり返す。

 だってどうしようもないことだから。


 これまでのことを思い出しても、その日々は戻ってこない。

 叶えたかった夢が叶うわけでもない。

 夢はただの夢だった。

 それだけのこと。


 ――父親は帰ってこない。


 すぐに立ちあがって、今からでも精いっぱい追いかければ、追いつくかもしれない。

 でも、それをする気力が湧いてこない。

 だって、追いついたってどうすればいいのか。


 何の力もない私は邪魔者で。

 役に立たない私はいらなくて。


 だから。もう……。


「しかたないよ」


 同じ言葉をくり返すことしかできない今の自分。

 それ以外に何もできない今の自分。


『しかたない』


 ……それが今の自分。


 同じ言葉をくり返しているだけなのに、なんだか目が熱い。それを抑えるように小さく深呼吸して、ぎゅっと目を閉じた。

 自分の中で何かがぐるぐると渦巻いて苦しい。

 それがあふれてしまいそうで、膝を抱えていた手にぐっと力を入れた。

 そうやって自分の中に注意を向ける。

 周りには木があるだけだから、なにも気にする必要はない。こうして耐えているだけでいい。

 だから、だれかが近づいているなんてまったく気づかなくて……。


「おまえ、どうした?」


 急に上から声が降ってきて、パチッと目を開けた。

 頭を動かして、声の主を見上げれば、そこには私と同じぐらいの年頃の男の子がいる。

 白い髪は所々に黒い毛束が入っていて、いたる所がピョンピョンと跳ねていた。


「どうしてここにいる?」


 驚いて何も返せないでいる私に男の子が言葉を続ける。

 男の子の茶色い目が私をじっと見つめていた。


「……捨て、られた」


 小さく、小さくつぶやく。

 声に出してみれば、その事実に胸がいやな音を立てた。

 その痛みに唇を噛む。

 すると、男の子は「そうか」とだけ呟いた。


「水、飲め」


 男の子が皮でできた袋を渡してくれる。

 革袋はたぷんと膨らんでいて、そこにはたっぷりの水が入っていた。


「……ありがとう」


 別にのどは乾いていなかったけど、その袋を受け取って、ゆっくりと口に運んだ。

 そして、男の子をちらりと盗み見た。


 ……こんな所に他の人がいるなんて思わなかった。


 この男の子も捨てられたのかもしれないと思い、男の子を観察してみる。

 けれど、男の子は私のような汚い服ではないし、こうして水袋も持っていた。

 きっとこの森の近くに住んでいて、なにか目的があって、この森に入っているのだろう。


 ……そうだとしたら、この男の子に聞けば、帰り道がわかるかもしれない。


 水を少しだけ飲んで、袋を男の子に返す。

 すると、男の子は私の耳の辺りを見ているようで……。


「おまえ、獣性がないのか?」


 短く区切られた言葉。その言葉が私の中で重く響く。

 当たり前だけど、男の子にはちゃんとふわふわの耳があった。

 短めの毛でおおわれた白と黒のぶち模様の垂れた耳。それが頭から生えている。


 ――この男の子は私とは違う。


 わかっていたことだが、それがやけに胸を痛めた。

 親切にしてくれた人だって、私に獣性がないとわかれば、気味悪がってどこかへ行ってしまう。

 村から出た時は、いつもよりももっと慎重に存在を消しているしかなかったのだから。


 ……どうせ私に行くところなんかない。

 役に立たない私はここにいるしかない。


 男の子の目から自分を守るように、両手でしっかりと頭を隠した。

 こうすれば、長い髪が邪魔をして、男の子の目に私の顔が映ることもない。


「……私、みんなと違う。ふわふわの耳はないし、しっぽもない。みんなみたいな力もないから、ここに捨てられたの。だから、もういい。私のことは気にしないで」


 ――放っておいて。


 震える声で一気に言えば、胸がどくどくと大きく音を鳴らす。

 こんな風に言えば、きっと男の子はどこかへ行ってしまうだろう。

 

 ……それでいい。

 私は一人。

 このままここで……。


「そうか」


 なのに、男の子は頭の上に置いていた私の手をぎゅっと握った。


「俺の住んでるところに行こう」


 座り込んだままの私の手をぐいっと引っ張る。

 その手が力強くて思わず立ち上がってしまう。

 男の子が言葉の意味がわからなくて、口もぽかんと開けてしまった。

 けれど、男の子はそんな私を気にすることなく、そのまま歩きはじめた。


「ゆっくり歩く。痛かったら、言え」


 男の子は前を向いて、歩いて行く。

 手を握られたままだから、私もそれに引っ張られるように、前へ前へと進んでいく。


 どこへ行くのか、とか。

 私なんかを連れていっていいのか、とか。


 色々聞かなきゃいけないのに、びっくりしすぎたせいか、うまく言葉にならない。

 そんな私に男の子も何も言わない。ただ二人、無言で森の中を歩いて行く。


 相変わらず、頭がうまく回らない。

 森に捨てられた私。

 役に立たない私。

 そんな私を男の子はどうしたいんだろう?


 全然わからない。

 わからないのに……。


 ――握られた手がすごくあったかい。

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