第10話 相合い傘

「……もう梅雨かぁ」


 ぱらぱらと音を立てて傘にぶつかっては反射していく雨粒をぼーっと見てはしみじみとそんなことを呟く。


 梅雨時期に入っていた。


 花びらの舞い散っていた桜の木はいつの間にか緑の葉を茂らせていて、最近は鮮やかな青色の紫陽花をよく見るようになった気がする。


 時の変化を感じさせるとともに、どうしてかちょっと儚い気持ちになる。


「……家でゆっくり、本でも読みたいなぁ」


 雨が降ると、どんよりとした感じの空気が僕を包み込んでくるような気がする。雨にはもちろんいいところだってあるけど……ちょっとだけ、嫌い。


 僕は現在、雨の降る空に傘を差しながら、コンビニへと向かっていた。食材がきれかかっていたのだ。だから、コンビニで昼食をなにか買うことにした、のだが……。


「……はぁ。…………ん?」


 コンビニへと続く道を歩いている途中、家に挟まるようにして存在してある公園に人影が見えた。


 あれは……音羽、さん?


 音羽さんだと気付いた瞬間、トクン、と胸が跳ねるような感覚が僕を襲ってくる。なんだろうか。


 ……って、そうじゃない。見たところ傘は持っていないようだけど……もしかして、忘れたとか?


 良くはわからたいけど、顔をうつむかせているから困っていることは確かだ。とりあえず、と音羽さんの雨宿りしている遊具へ駆け寄ることにした。


「あの、音羽……さん?」


「…………っ! あ……こん、にちは」


 僕の声やぬかるんだ地面を歩く音に反応してこちらを振り向くと、目を若干見開かせながらもぺこりとお辞儀をする音羽さん。


「こんにちは。……えっと、突然すいません。あの、どうされたんですか?」


「……あの、その、……傘を忘れて……きてしま、って」


 あたふたとさせながらそう話す。やはり思ったとおりだった。


「良ければ、傘お貸ししましょうか?」


 反省の気持ちを込めてニコッと笑みを作りながらそう尋ねる。


 傘は一本しかないけれど、音羽さんが濡れてしまうよりかは、僕が犠牲になればいい、と、そう思ったからだ。


「……え? ……で、でも、……一本だけしか、持ってない……ですよね?」


「まぁ……はい。けど大丈夫ですよ。急いで走れば──」


「──だ、だめです……っ!」


 僕の提案をかき消すように、音羽さんは声を上げる。


「私の、ために……そんな理由で、誰かに迷惑は掛けたく、ないんです。私、…………大丈夫、です」


 明らかに大丈夫じゃなさそうな声色で、言葉を紡いでいく。言われてみれば、たしかにそう。僕が同じことをされたらそう言い返してしまいたくなる。


 なんて配慮の足りない言葉だったんだろう……。


 けど、かといって音羽さんを置いていくわけにも行かない。なにか二人で、二人で帰る方法……。


 ──そうだ。


「……その、音羽さん。もし良ければ、なんですけど」


「……なん、でしょう?」


「──コンビニまで一緒に向かいませんか? その、そこで傘を買えば」


「…………っ! ……え、えっと」


 音羽さんは、カッと顔を赤くする。……そう、僕が言ったことは『相合い傘』をすることが必須となる行動だからだ。僕自身の顔も同じように熱を帯びている。


「「…………。」」


 沈黙。ただぽつぽつと鳴り止む気配のない雨音だけがこの場で響いていた。


「…………分かり、ました。コンビニまで、なら」


 そして、長い沈黙の末にそんな言葉が返ってきた。待っていても雨はしばらく止みそうにない。


 恥ずかしいけれど、それしかないのは確か……それを悟ったのだろう。


「……で、では、行きましょうか」


「……は、はいっ」


 僕は異性の人と相合い傘をするなど、一度も体験したことなかった。だからか、声が少し裏返ってしまって恥ずかしかった。


 そんなこんなで再びコンビニに向かって数分。


「「…………。」」


 ……ただ、無言だった。


 何か、何か、と話題を頭の中から持ってこようとするも、良さげなものが何も思い浮かばない。いや、思い浮かばないというより……考えようとすら出来ない、といったほうが正しいだろうか。


 それもそのはず。僕は、隣にいる音羽さんと。


 ──今にも肩が触れそうな距離にいるのだ。


 はぁ、と心のなかでため息をつく。それと同時に、一人だからと小さい傘を持ってきたことに後悔する。


 さらに言えば、たまに歩道を通る自転車が来たときなんかは避けようして肩が触れてしまうことも多々あった。


 雨のせいでなんだか肌寒いな〜なんて思っていた10分前が嘘のようで、今ではもう夏かと突っ込みたくなるくらい顔が熱い。


「……あ……ぇ……っと」


 あたふたとしていると、横からそんな細々としながらも鈴の音のように透き通った声が聞こえてくる。音羽さんも、話しかけようと……。


 それにしても……。


「ふふっ」


「……ど、どうし……たんで、すか?」


「すいません。ただちょっと……音羽さんがあたふたしてる姿がおかしくって」


「……お、おかし……い?」


「はい。なんていうかその、可愛くて」


「……へ、かかか、かわいっ──!?」


 僕が大して意味も考えず呟くと、水たまりに映る自分をぼーっと見ていたであろう音羽さんは音速でこちらを向くと、ボッと顔を赤らめ急に壊れた機械のように声を裏返しながらそう言葉を発する。


「はいっ、そういうところとか」


「……も、もぅ…………ふふっ。似たようなこと、春ちゃん……えっと、友達としました……ふふっ、思い出すとまた笑っちゃう」


「あっ、なんと、そうなんですね」


「はい、何から何まで…………ぁ」


 喋りすぎたと、そう考えたのだろうか。本当のところは分からないけど、急に口を閉ざしたかと思うと顔を俯かせた。


 どんな声をかけてやればいいのか分からない。けれど、せめて僕にできることがあるとすれば。


「……僕は、壁です!」


「……か、壁?」


 ──少しでも気楽にいられるよう、努力することだろう。


 壁、だなんて意味のわからないことを突然言われたからか、音羽さんは困惑しているように見えた。


 ……というか、今更だけど僕本当に意味不明なことを言ってないか? ……ま、まぁいいや。


「はい、だから大丈夫ですよ。音羽さんがどうして人見知りになったのか知りませんからなんとも言えませんが、せめて僕と話すときくらいは、気楽にしていいですよ」


「…………っ、はいっ!」


 ニコッ、と顔を綻ばせた。


 そんな音羽さんの笑顔を見ていて、心臓が、どくんっ、と跳ねる。胸がキューッと締め付けられる感覚。なんだかよく分からない、不思議な高揚感が僕を包み込んだ。


 その後は、多少緊張も緩んできたのか話し始めたときよりは大分話せるようになった。大きな進展である。


 そして、何気ない話をしていて、気付けばコンビニへと到着していた。到着することが目的であったはずなのに、なんだか悲しい……。


 でも、楽しかったな。


「で、では……っ」


「……え、と、はい。……ま、また!」


 互いに妙に力の入った言葉で会話を交わす。


 本当は僕もコンビニに用があったのだけど、音羽さんと一緒にいるとどうしてか緊張してしまう。そのため、別のコンビニへと向かうことにした。


「…………ふふっ」


 また会えた。そんな何気ない出来事に、ちょっとした喜びを胸に覚えているのは気のせいじゃないのだろう。


 雨は、ちょっと嫌いだったけど……でも、少なくとも悪いものじゃないようには思う。そんな事を考えながら、僕は水たまりをぴょんっと跳んだ。


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