第381話 飛行船事故

 飛行船<木星>は浮かべるとはいえ二〇〇トン近い重量を持っている。

 それを引っ張り出すには、百人近い地上作業員が必要だ。

 彼らは飛行船がやってくる都度、募集され仕事を行う。

 今日この日も同じだった。

 現地で雇われたアルヘンティーナのアルバイト達が飛行船を引っ張り出していた。

 だが、尾翼が格納庫から出る寸前、カメラマンが飛行船<木星>の前に近寄ってきた。


「皆さん撮りますよ」


 サーチライトに照らされて、十分な明るさがあったため、カメラマンが記念写真を撮ろうとした。

 そして、アルヘンティーナの人々はノリの良い性格であり、カメラに向かってポーズを決めた。

 飛行船<木星>を引っ張るためのロープを手放して。

 不幸なことに、丁度横風が吹き込んできた。

 離陸前の飛行船にとって最大の敵は、格納庫から出てくるときに吹き寄せる横風だ。

 中途半端に出たところで拭かれると横向きに力が掛かり、格納庫の扉に船体をぶつけてしまう。

 それをある程度防ぐために地上作業員がいるのだが、前部で引っ張っていた作業員は写真にポーズを決めるため手を離しており、飛行船<木星>は前方が流された。


「不味い! 早く引っ張り出せ!」


 飛行船に加わった横へのベクトルを感じ取った忠弥は叫んだが遅かった。

 飛行船は横風に乗りゆっくりと前部が横へ流され、まだ出ていない尾部を中心に回転を始めた。

 やがて格納庫の扉に船体が、反対側の尾翼が格納庫の壁面に衝突しめり込んだ。


「うわっ」

「きゃあっ」


 激しい衝撃が走り、忠弥は昴を支える。


「大丈夫かい」

「ええ、何とか。でも飛行船は大丈夫なの」

「調べてくる」


 昴が安全なことを確認するとすぐにブリッジへ忠弥は向かった。

 パニックになった人々がタラップの前に集まっていくが、それを横目で見ながら、ブリッジへ駆け込んだ。


「船長、すぐに乗客を降ろすんだ」

「下手に下ろせばバランスが崩れて浮かび上がって仕舞いますよ」


 飛行船は浮力と重量、船体の重さに加え搭載物、乗客の重さを含めバランスがとれて空中で静止、上がらず落ちずに浮かんでいる。

 なのに重量物、乗客が自分勝手に降りていったら、飛行船が浮き上がってしまう。

 海上の船を臨検しようと飛行船から臨検隊を降ろしたら、三人ほど、重量にして二〇〇キロほど軽くなった途端、飛行船が浮上し、後続が乗り移れなかったという事例があるくらいだ。


「客室へ地上の作業員を一時的に入れれば良い。その間にバラストを追加したり、客室上部の気嚢からガスを抜けば何とかなる」

「しかし、危険です」

「後部の気嚢が破損して洩れている危険がある。すぐに乗客を避難させるにはそれしかない」

「ですが、確認が」

「船長! 掌帆長より報告です! 後部の気嚢に亀裂を発見! 水素が洩れています!」

「船長」


 忠弥に促されて船長は決断した。


「直ちに避難を命令。地上作業員を中に入れてバランスを調整、バラストの積み込みも行え。後部はガスが抜けて浮力が低下している。バラストを放出し、水平になるようにするんだ」

「了解!」


 忠弥の指示により、すぐさま行動が開始された。

 しかし、乗客達はパニックを起こしタラップに集まってきた。


「下ろしてくれ!」

「事故が起きて危険なんだろ!」

「死にたくない!」


 パニックが起きている。

 すぐに止めないと将棋倒しが起きて人死にがおきかねない。

 いや、中には窓から飛び降りようとする人間も出てきてしまう。地上とはいえ二階ぐらいの位置にあり怪我してしまう。それに急に降りられると飛行船が軽くなり上昇してしまい危険だ。

 旅客事業で乗客に死者が出ていないことがこの航空会社の誇りだ。

 ツェッペリンの飛行船会社もヒンデンブルク号まで乗客の死者ゼロ――それまで万単位の乗客を運びながら抑えたのだ。

 ここで死者など出したくない。


「飛び降りろ!」


 タラップから逃げられないと知った男性乗客の一人がパニックを起こしラウンジの窓を開ける。


「待つんだ!」


 忠弥が止めるが遅かった。

 客室の二階、地上三階の場所だが、運が良ければ助かると思い込み降りてしまった。

 地上に落ちて転げた。腕を折り、足を痛めたようだが、立ち上がり逃げようとする。

 その様子を見た数人男性客が続く。

 だが、彼らが降りた瞬間、飛行船が上昇を始めた。


「しまったバランスが崩れた」


 乗客数人が飛び降りてしまったため重力と浮力のバランスが崩れ、浮き上がってしまったのだ。

 船体は前を上に向けて傾き始める。

 やがて格納庫からまだ出ていない後部の一部が格納庫の屋根に引っかかった。


「うおっ」


 再び衝撃が走る。

 後ろがつかえたため、前部が更に浮き上がり、傾きが大きくなり、客室の高さは増していく。


「このまま浮かんだら逃げられない」


 離れていく地上を見た乗客が更にパニックを起こす。既に四、五階ぐらいの高さまで上がっている。しかし徐々に増える傾きと離れる地上を見て乗客の恐怖は増していった。




――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 小話


 しょうもない原因の事件ですが、飛行船<グラーフツェッペリン>(ヒンデンブルクの可能性もあり)でも南米に起工したとき同じ事故が起きたそうです。

 史実はたいした損傷は無かったようですが、作中は事件に発展しております

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