第228話 一斉回頭

「昇った」


 待ちに待った瞬間、主力の一斉回頭準備が整った瞬間が訪れてポールは指揮を忘れ、その光景を食い入るように見つめた。

 ゆっくりと確実にヴィルヘルム・デア・グロッセのマストに掲げられた信号旗は昇って行き、やがて天辺に到達し、灰色の空に翻っている。

 あとは下ろされて発動するだけ。

 その時間がポールには永劫に感じられたが、その時はやってきた。

 マストから一気に信号旗が下ろされた瞬間、外洋艦隊主力に所属する戦艦が一斉に右へ転舵し始めた。

 主力の動きは見事で一列に並んだ二十隻の戦艦が一糸乱れず、全ての艦が同じ動きで一瞬艦の横腹を見せすぐさま後ろ姿を見せて離脱し始めた。


「成功か……」


 戦場から退避していく主力の姿を見てポールは安堵の溜息のような一言を言う。


「あとは、射程外に離脱してくれれば良いが、煙幕が持つか」


 しかし、シュレーダーはまだ主力が危機にある事を知っていた。

 黒煙の煙幕により大艦隊主力の前半分は射撃不能にしたが、残り後半分はまだ射撃できる。

 今すぐ彼らから隠すことは出来ない。しかし幸運にも煙幕を掛けてくれる存在があった。


「勝負は終わっていないぞシュレーダー!」


 陣形を再構成したボロデイルが巡洋戦艦を率いてシュレーダーの艦隊に再度戦いを挑んできた。

 それも大艦隊主力の目の前を、外洋艦隊側を走りながら。

 最大戦速で走らせているため黒煙を噴き上げながら。

 黒煙が広がり煙幕のようになって味方である大艦隊主力、その後ろ半分の射撃を邪魔した。

 ボロデイル提督のうっかりがここでも発揮された。


「取り舵そのまま」


 シュレーダーは突然現れた敵に動揺することなく、緩く回頭するよう命じ進ませ続ける。

 ボロデイルが砲撃を始めたが、シュレーダーは気にせず旋回を続ける。

 やがて、無事な後部の二つの砲塔がボロデイルのインヴィンジブルを捉え、発砲した。

 互いの砲戦は続いたが、旋回を続けたシュレーダーは避難を始めた。

 しかしボロデイルは逃げ道を塞ごうと、シュレーダーの前に立ち塞がろうと転舵した。

 だが、そこへインゲノールの主力が発砲を開始。ボロデイルのインヴィンジブルの周辺に水柱が林立する。

 このままでは外洋艦隊の射程に飛び込むことになると悟ったボロデイルは離脱を命令。

 舵を左に切って、大艦隊主力の側へ逃げていった。


「全艦全速。主力の針路右側を併走せよ」


 邪魔をする存在がいなくなりシュレーダーは指揮下の艦を――全艦ボロボロになり、例外なく火災を発生させながらも沈まず速力を維持し、任務を果たした艦艇達を率いて離脱を始める。

 自分とボロデイルが蒔いた黒煙のお陰で敵艦隊から見えることはない。

 事実、敵の砲撃が止んでいた。

 当然、外洋艦隊主力への砲撃も止んでおり、それが彼らが任務を達成したことを示す事実だった。

 撃たれないという余裕が生まれてポールは改めて偵察部隊に所属する主力艦、巡洋戦艦部隊を見た。

 全ての艦が被弾し火災を起こしている。

 だが、全ての艦が浮いており前進している。

 彼らの勝利だった。


「フラーッ!」


 見張員の一人、若い下士官が喜びの歓声を上げた。

 自分達が助かったことを、味方が沈まずに脱出できる事が勝利であると理解しており、喜びを爆発させた。


「フラーッ」


 続いて航海士が歓声を上げた。続いて通信員も歓声を上げる。


『フラーッ! フラーッ! フラーッ!』


 最後には艦橋の全員が、階級の所下を問わず歓声を上げた。


「フラアアアアアッッッッッッ!!!!!」


 シュレーダーも唱和したが、ポールが一番大きな声を上げ、拳を突き出して吠えていた。

 平時ならば士官にあるまじき軽薄な行動だが誰も咎めないし、見下す者もいなかった。

 自分達はやり遂げた、生きて帰れたという喜びと一体感から声を上げ互いに喜び合い、自分たちの気持ちを具現化していたからだ。

 もうこれ以上の損害は味方には出ない、ハズだった。

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