第223話 インゲノールの誤断と非常な対応
「敵巡洋戦艦部隊を捕捉するのだ」
インゲノール大将は、麾下にある外洋艦隊主力を率いて王国巡洋戦艦部隊に攻撃を集中していた。
予定通りに敵巡洋戦艦部隊が迎撃の為に出てきてくれたのは良い。
しかし敵の高速戦艦が予想以上に強力でシュレーダーが一時停止してしまっている。
本来ならシュレーダーの艦隊が高速で進出し敵の退路を断ち、インゲノールの主力が雨あられと砲撃を浴びせ殲滅するはずだった。
だがシュレーダーの旗艦が被弾し速力低下を起こしたため旗艦変更のために停止中だ。
世の中ままならないものだが、まだ、機会は十分ある。
王国海軍大艦隊はまだ出撃していないはずであり、今からシュレーダーがこれから復帰しても十分に敵巡洋戦艦部隊に追いついて退路を断ち、撃滅できる。
敵戦闘機の妨害によりベルケの飛行船部隊からの報告が得られないのは痛いが、劣勢な敵を撃破するには最早不要とインゲノール大将は判断しており、不安は無かった。
「右舷に新たな艦影!」
左舷の巡洋戦艦部隊攻撃に集中している中、反対側から見張員が報告してきた。
「シュッレーダーの艦隊ではないか?」
「違います! その先の霧の中から艦影が現れました」
見張の報告にシュレーダーをはじめ幕僚達は右舷側に視線を向ける。
そこには確かに艦影があった。それも戦列を整えた王国大艦隊主力だった。
インゲノールは目の前に広がる光景を見て驚愕し恐怖の余り長官席から立ち上がって叫んだ。
「しまった! 我が艦隊は地獄の釜に飛び込もうとしている」
水平線に並ぶように王国の大艦隊が横腹を見せ、自分の目の前を全ての砲口を向けながら横切ろうとしている。
自分が率いる外洋艦隊は、その大艦隊のど真ん中に一列で突っ込もうとしていた。
このままでは敵の集中砲火を受ける反面、自分の艦隊は前方の艦が邪魔で碌な反撃が出来ない。
「艦影を確認しろ! 水雷戦隊かもしれないぞ!」
大艦隊は出撃していないという先入観から駆逐艦を戦艦と誤認したのだ、と思い込もうとする幕僚が叫ぶように指示する。
だが、何度確認しても大艦隊主力であることに間違いなかった。
驚いたインゲノールだったが、すぐに冷静さを取り戻し現実を受け入れ艦隊司令長官としてやるべき事をすぐに考える。
古の海戦のごとく敵に突入して戦列を分断し各個撃破?
無理だ。
敵艦隊まで一万メートルある。
今の大砲の性能はかつての大砲とは比べ物にならないくらい高性能だ。
当時は千メートルでも当てるのがやっとだったが、今の大砲は技術革新により二万メートル以上の距離でも、命中率一パーセント前後という、まぐれに近い確率だが当てられる。
一万メートルなど余裕で命中弾が出る。
そんな大砲が二〇〇門以上火を噴いているくる中、自分の艦隊が敵を分断するまでの間に何発打たれる。
二〇ノット――秒速一〇メートルの速力では一万メートルを駆け抜けるのに千秒――約十六分はかかる。
毎分三発撃てる二〇〇門を超える大口径砲を十六分間浴び続け、一万発以上の砲弾を受けて自分の艦隊が浮いていられるか?
無理だ。
防御力に優れる帝国の戦艦でも一二インチクラスの砲弾を六発から一〇発も当てられたら戦闘不能か撃沈されてしまう。
設計ミスではなく技術上の限界であり、王国だろうが皇国だろうが帝国だろうが、何処の戦艦も多少の優劣はあっても同じ防御力――主砲弾を数発受ければ大破だ。
そもそも不沈艦など、この世に無く、被弾し続けたら、いずれ沈む。
敵の艦列の艦尾へ向かって突進?
ダメだ。
旋回している時に打ちまくれるし、弱小とは言え巡洋戦艦と高速戦艦部隊がいるから頭を抑えられて仕舞う。
何より母港への針路に大艦隊主力が居座り、退路を断たれてしまう。
既に外洋艦隊の東へ回り込まれようとしているから余計に不利な状況になる。
当然、一斉回頭による撤退だ。
一隻ずつ回ったら敵の砲撃を受ける時間が長くなってしまう。
一斉に回れ右をするしかない。
だが、その選択肢にも欠点はある。
撤退のために艦隊が回れ右をする瞬間、外洋艦隊主力が無防備になる瞬間をどうやって凌ぐのだ。旋回するまでの間に撃沈される恐れがある。
その欠点を補う方法を優秀な海軍軍人であるインゲノールは思いついた。
だが、口にしなかった。
艦隊が助かる唯一の、そして冷酷な計画を分析し、発生する損害、犠牲を想像し血の気が引いた一分程インゲノール大将は躊躇した。
あまりに過酷すぎる命令であり、自分の失策を取り繕うために部下に死ぬよう命じるのだ。
だが主力を失うことを考えれば、仕方の無い事だった。
「全艦に通達! 右一斉回頭一六点! 用意!」
全艦一斉に回頭して元来た道を戻る。
それ以外に大艦隊の攻撃から逃れる方法は無かった。
だが、問題は命令が最後尾の艦に伝達されるまで時間がかかること、その間に大艦隊の砲撃に曝され被害が出る。
そして伝達されても回頭中に敵の砲撃を受け続ける。
主力を最小限の損害に抑える方法が必要であり、そんな方法があるのか司令部要員全員が疑問に持っていた。
そのとき大艦隊が発砲した。
水平線が白く輝き、赤い炎で彩られたあと、総旗艦ヴィルヘルム・デア・グロッセ周辺に無数の砲弾が降り注いだ。
そのうち、二発が命中し一発は砲塔に命中し、分厚い装甲によってはじき返され、もう一発は左舷側を吹き飛ばした。
初弾にもかかわらず命中弾が出たのは、二百門を超える砲から砲弾が放たれ、命中率一パーセントでも確率論的に命中弾が出たからであった。
その後も度重なる射撃が行われ、外洋艦隊に大艦隊の砲撃が降り注ぐ。
もはや外洋艦隊主力が大艦隊主力に攻撃されている事は明らかであり誤認と騒ぐ幕僚はいなかった。
「シュレーダーに命令!」
激しい爆音のを切り裂くように、インゲノールが躊躇っていた命令を下した。
「Gefechtskehrtwendung!」
その命令は彼の参謀達を凍り付かせた。
だが、他に方法は無く、命令はシュレーダーに遅滞なく通達された。
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