第222話 陣形変換


 ブロッカスの号令と共にヴァンガードのマストに掲げられた信号旗が一気に引き下ろされた。

 同時に王国大艦隊主力戦艦全てが信号旗を降ろし、命じられた行動を開始する。


「取り舵一杯! 左九十度変針! 隣列の殿艦に続行せよ!」


 各列の先頭にいる戦艦の艦長が号令を下し、操舵手が舵輪を左へ回す。

 左に舵を大きく切った戦艦は左回頭をはじめ、後続艦が続いていく。


「舵戻せ!」


 九十度変針したところで、舵を戻す。

 前には隣列の戦艦が次々と前で旋回し秩序正しく列に加わっていく。

 やがて全ての艦が順次九〇度旋回を終えると、それまで列の先頭にいた艦が隣の列の最後尾の艦に続行し、大艦隊は一本の線となった。

 先頭の艦は命令通り針路を東南東に変更し後続艦はそのあとに続くべく舵を今度は右へ切り続いていく。


「続いて先行艦の航跡に続いて、右回頭を行う! 面舵一杯! 右九〇度変針! 針路東南東!」

「アイアイ・サー!」


 ヴァンガードも回頭地点に達すると右に大きく舵を切り、あとに続く。

 だが、全艦が回頭を終えるまでの、いらだたしい時間が続く。

 もしこの時点で敵と接触すれば迎撃態勢が整っておらず、敵から一方的な攻撃を受ける。

 敗北はしないだろうが、大艦隊に無視できない損害発生する。

 そのことを理解する参謀達は気が気ではなく、早く展開が終われと心の中で叫んでいた。

 ただ一人ブロッカス提督だけが黙って艦隊の動きと、敵艦隊が来るであろう方向を見つめていた。

 誰よりも危うい時間出ある事を理解しているが、命じた以上、余計な指示は混乱の元であり、ただひたすら味方が命じた行動を終えるまで泰然とした態度を崩さない。

 それが艦隊の頂点にいる司令長官としての責務だった。

 長い二十分が過ぎた後、ブロッカス提督の指示通りに大艦隊主力の全戦艦が一列に並び、針路を東南東にして進んでいた。


「凄い」


 その様子を上空から見ていた忠弥は感嘆した。

 大艦隊が展開を終えたところで、帝国外洋艦隊が大艦隊の真横に現れた。

 忠弥が興奮する程、このときの王国大艦隊の艦隊運動は芸術的だったが、のちの戦史でも賞賛された。

 艦隊の展開方向、その後の針路、発動のタイミング全てが良かった。

 まず展開方向が左、北の方向を向かせたのが良かった。

 巡洋戦艦部隊との合流を急ごうと右に展開し南に向かったら、接触が早まり、展開中に攻撃を受ける可能性が高かった。

 陣形変更中に攻撃を受ければ、着弾を避けようと回避して艦隊が支離滅裂となり反撃できず混乱して全滅する可能性もあった。

 だが、北に向かったことで展開と陣形変更の時間を稼ぎ、外洋艦隊が来る前に陣形変換を完了できた。

 その後の針路も東南東で良かった。

 敵艦隊の眼前を横切る上に、敵と敵母港の間に割り込み、敵の退路を絶てる。

 敵が母港へ逃げようとすれば大艦隊に近づくことになり、圧倒的な火力で外洋艦隊を迎撃できる機会に大艦隊は恵まれる位置取りになる。

 賞賛すべきはタイミングだった。

 もしタイミング早すぎたら敵に逃げる時間を与えてしまい取り逃がしていた。

 遅ければ陣形変更中に外洋艦隊が来襲して攻撃を受け大艦隊は大損害を受けただろう。


 あと三分早ければ、あるいは五分遅ければ勝敗は逆になっただろう


 とは、後の戦史家の言葉だが、誇張ではあっても虚偽ではなかった。

 予定通り二〇分以内に大艦隊は陣形変換を完成させた。


「全艦陣形変換完了!」

「全艦、右砲戦用意! 全砲門右九十度旋回させ待機」

「アイアイ・サー」


 それでもブロッカス提督は油断すること無く、迎撃のために敵が来るであろう方角へ全砲門を向けさせた。

 数百トンもある砲塔が右に旋回し砲門を灰色の空に向かって上げる。

 これで出来る全ての準備を大艦隊は整えた。

 かくして大艦隊は最良の状況で――外洋艦隊は最悪の状況で接触した。




 ヴァンガードの見張員スコットは敵艦隊が現れるであろう方向を渡された双眼鏡で見ていた。

 海の寒風は身体が冷えるが、風上に向かってダッフルコートの前をずらして風防ぎ、ティータイムのお茶が腹の中で熱を放っていたので、何とか任務を果たせる程度には耐えられた。

 飛行船とかいう風船もどきが空から敵艦隊を見ており、間もなく現れるというが本当に向かっているのか疑問だった。

 だが長官は飛行船の情報を信じているようで、艦隊は右から来るであろう敵に備えて陣形を展開し、全ての主砲を右舷に向けている。

 だが、敵はまだ見えない。

 目の前は真っ白な霧であり、訓練を受けた熟練見張員であるスコットでも視界が通っていなければ見つけられない。

 晴れ渡っていれば水平線から突き出るマストの形で艦名を当てられる程の名人だが、霧の多いこの海ではその能力を発揮できない。


「うん?」


 その時、霧の中に異変を見つけた。

 明らかに暗くなっている部分がある。

 霧が濃くなっているとはじめ思ったが、人工物の影だった。

 突如光が見えた。

 明らかに発砲炎、戦艦クラスの主砲の発砲だった。


「霧中に発砲炎!」


 スコットが報告すると、他の見張員もそこへ注目する。

 発砲は断続的に続き、霧の中を光で満たしていく。

 その部分に注目すると突如霧から船が現れた。

 すぐさま敵味方識別を行う。

 前部に連装二基の砲塔、艦橋は小さいがマストに大きな見張り台。


「ヴィルヘルム・デア・グロッセです!」

「間違いないか!」

「間違いありません!」


 上官が再確認してきたがスコットは断言した。

 一回だけだが開戦前、親善航海でヴァンガードがハイデルベルクを訪れたとき、就役したばかりのヴィルヘルム・デア・グロッセをスコットは見ており、その姿は記憶に焼き付いている。

 何よりマストに掲げられているのはハイデルベルク帝国海軍旗であり、間違えるはずがなかった。

 だが、突如現れた外洋艦隊に艦橋にいた全員が驚きで放心していた。

 それまで全く見えなかった敵艦が、飛行船からの情報通りに現れた事が信じられなかったからだ。


「全艦砲撃開始!」


 ブロッカス提督の命令が無ければ何時までも放心状態だっただろう。

 彼も驚いていたが、司令長官の責任感かのため立ち直りが早く、好機を逃すまいと部下達を叱咤した


「何をしている。王国の敵が目の前にいるのだ。これを撃つのに何を躊躇う。砲撃開始だ」

「はっ! 全艦砲撃開始!」

「ドライヤー君! 準備よろしければ砲撃したまえ」

「アイアイサー!」


 ヴァンガード艦長ドライヤー大佐はブロッカス提督に命令されて了解すると砲術長に命じた。


「砲術長! 撃ち方始め!」


 霧から現れた瞬間、すぐさま照準を合わせていた砲術長は命令と共に躊躇無く引き金を引いた。

 ヴァンガードの十門の主砲が火を噴き、敵艦に砲弾を浴びせる。

 砲火を開いたヴァンガードに続いて大艦隊の全艦が砲撃を開始し、外洋艦隊に破壊の嵐をたたき込んだ。

 ちなみにボロデイル提督の報告は、このときようやく発火信号で送られたが、艦隊主力の一斉射撃の閃光によって掻き消され、ヴァンガードには届かなかった。

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