第221話 ブロッカスの背負うものと決断

「信号!」


 サイレントジャックの異名が霞む程の大声が強風を貫いてヴァンガードの露天艦橋に響き渡り、艦橋にいた全員の背筋を伸ばしブロッカスの命令を聞こうとする。

 そして明瞭な間違いようのない言葉でブロッカスは命令を伝える。


「艦隊! 左展開! 針路東南東! 右砲戦用意!」

「復唱しますっ! 艦隊! 左展開! 針路東南東! 右砲戦用意!」

「よろしい! かかり給え!」

「アイアイ・サー! 通信参謀! 全艦に旗旒信号にて伝え!」

「アイアイ・サー! 全艦に伝えます!」


 参謀長が復唱すると直ちに通信参謀と信号員が旗旒信号を用意し、マストの半分の位置に揚げた。

 左右に併走する小隊の各旗艦もヴァンガードに続いてマストの半分まで旗を揚げて行き配下の戦艦も順次旗を揚げていく

 そして、最後尾の艦が信号旗をマストの最上部に掲げると逆順で、旗をマストの最上部にまで各艦が掲げ、最後にヴァンガードがマストの最上部に信号旗を掲げた。


「長官! 全艦への命令通達完了しました! 全艦の応答信号を確認! いつでも発動できます!」


 全ての艦が同じ旗旒信号をマストの最上部に揚げたのを確認した参謀長が報告する。

 あとは提督が号令を下せば命令は発動され実行される。

 艦橋にいる全員がブロッカスに注目し命令を待った。

 配置に付いている下士官兵も、提督の号令を聞き逃すまいと耳をそばだてている。

 しかし、ブロッカスは、すぐに命令を下さなかった。

 緊張を伴った沈黙が艦橋を支配する。

 全ての準備が完了しあとは長官の命令で実行するだけの状態が長く続いた。


「長官?」


 待つことに耐えられず参謀長が長官であるブロッカス提督尋ねた。

 返事は無かった。

 ブロッカスは、ただ外洋艦隊が来るであろう方向を、既に水平線上に現れているはずだが横たわる霧で見えない敵外洋艦隊の居るであろう方向を、瞬きもせず、睨み付け、タイミングを計っていた。

 少しでもタイミングがずれると勝機どころか艦隊が敗北する可能性さえある。

 大艦隊の敗北は王国の敗北――大艦隊の妨害の無くなった帝国外洋艦隊が王国本土沿岸を制圧し、王国の血脈である通商路を封じる。

 王国には商船が入らず王国民は飢え死にしてしまう。

 朝に出てくるトーストの三枚の内二枚が海軍と商船隊のおかげで出てくる王国にとって大艦隊の勝敗は通商路の確保に直結し文字通り王国の死命を決するのだ。

 連合国の有力国である王国の脱落は大陸の西部戦線にも大きな影響を与える。

 長大な塹壕戦の一部を王国軍が支えており、王国の脱落によって大きな穴が空き西部戦線は瓦解してしまう。


 あのとき連合国を破滅に導くことが出来た人物はブロッカス提督、ただ一人だった


 と当時の政治家が感慨深く言う程、ブロッカスの責任は重かった。

 彼の双肩には王国、ひいては連合軍の命運がかかっており、その国民、何千万もの未来が委ねられていた。

 それを誰よりも理解しているのはブロッカス提督本人であり、この後の決断に全身全霊を傾けていた。

 最良のタイミングを計ることだけに集中し、周囲の声も風の音も波の音も聞こえなかった。

 ただただ、飛天から送られてきた情報を元に、艦隊が最高の働きが出来る最良の機会を計っていた。

 また、得られた情報が正しいかどうかという疑念もブロッカスの内心に生じていた。

 評価が定まらない新兵器である航空機、飛行船からの情報に全てを頼って良いのか。

 敵を取り逃すならまだ良い。

 巡洋戦艦の一部を失い、一時の敗北となってもまだ総艦艇数では王国が帝国に勝っており、挽回可能だ。

 もし位置情報が誤っており、回頭した先に敵艦隊が待ち構えていて、逆に集中砲火を受けてしまうのではないか、という最悪の予想さえ頭をよぎる。

 だが、現在得られている情報は皇国飛行船からの情報しかない。

 彼らの情報を元に行動するしかなかった。

 様々な情報とその正誤、そこから生まれる無数の選択の中からブロッカスは正解を、歴史的大勝利という功名心を抑えつつ、少なくとも王国の敗北を回避する選択肢を、冷静に慎重に、そして確実に引き当てなければならない。

 その緊張感と重圧が提督の身体から溢れ出し露天艦橋全体に広がり、周囲に沈黙を強いていた

 いつもなら元気な昴さえ、空気の飲まれて息をする事さえ忘れる程だった。

 そして、その瞬間がやって来た。

 ブロッカスは躊躇無く、確実に命令を伝えるため、大きく息を吸い込み、ありったけの声量で命じた。


「発動おおおおっっっ!」



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