第129話 クラークハロッズの少年支配人代行
「お嬢様、我がクラークハロッズでお買い物などいかがでしょうか」
建物に入ろうかどうか外から様子を見て悩んでいた昴に店員らしき人に声を掛けられた。
「そうねえ……え……」
しかし、振り向いたとき、いや声を掛けられたとき、声が下の方から、しかも幼い声だった時点で昴の頭の中には疑問符が浮いていた。
振り返って視線を下げ、小さな身体にフィットした店員の服を着た少年を見て驚いた。
「……貴方、何者?」
「これは名乗りが遅れてすみません」
少年は慣れた動作で礼をすると自己紹介を始めた。
「クラークハロッズ支配人代行のジョン・クラークです。以後お見知りおきを」
明らかに昴より年下の少年は作法に則った動きを非の打ち所なく行い、頭を下げて自己紹介した。
「こ、これはご丁寧に。皇国の島津昴です」
その動きが幼いとは言え洗練されていて昴は驚き、慌てて自分も自己紹介した。
「支配人代行?」
クラークという名前からしてこのデパートの経営者の一族なのだろう。
確かに両親の仕事を手伝いたいと思う子共は多い。
昴も性格と結果は別として、尊敬する父親の一助になりたいと思っているし、そのために忠弥と一緒にいる。
だが、お手伝い程度の事だ。
支配人代行と名乗るのは、少しおかしい。
だが微笑ましい――飛行機を最優先にして目を爛々に輝かせ突っ走る忠弥とは違い、年相応にハニカム表情が昴には愛らしかった。
「じゃあ、案内して貰おうかしら」
「はい、どうぞこちらへ」
ジョンは、昴を宝石売り場に案内した。
ガラスのショーケースには小粒だがデザインのよい宝飾品が飾られている。
「お客様にはこちらがお似合いでは?」
ルビーのはまった銀の指輪を差し出した、さらにエメラルドが付けられた金のネックレスを差し出す。
「素敵ね」
忠弥には到底出来ない対応、昴に似合うアクセサリーを選び進めるという行為に昴のジョンへの評価はうなぎ登りだった。
「目利きが良いわね」
「ありがとうございます。父に仕込まれましたから」
「素晴らしいお父様ね。お父様はどちらに?」
ファザコン気味の昴は興味を持った。
一代で財閥を作り上げ忠弥の才能を見抜いて抜擢し今の時代を作り上げた傑物である父島津義彦は昴の自慢だ。だが、幼いのにこれほどの腕とセンスを教えたジョンの父親にも興味が湧いた。
だが昴が尋ねるとジョンの顔は曇った。
話そうかどうか悩んだあと、重々しく応えた。
「父は、支配人は召集されて下士官として前線に居ります」
「あ……」
言われて昴は、感じていた違和感の正体にようやく気が付いた。
男性が、それも働き盛りの青年、十代後半から三十代前半の男性が、社会のあらゆる分野を支えるグループが街の中に見えなかった、いや居なかったのだ。
彼らは何処へ行ったのか、大陸の戦場だ。
帝国軍の大軍を防ぐため、同盟国である共和国を助けるために、奪われた中立国と共和国の領土を回復するための作戦に膨大な数の将兵が必要とされている。
こうして大規模化を求められた軍隊は志願と徴兵から人員を賄っていた。
その数数百万人。
兵士に最適とされるのは十代後半から三十代前半の活発で働き盛りの年代だ。
彼らが家、町、国から出て行き、大陸の前線に向かった。
しかし、国としての各地方のインフラは残った者達が維持しなければならない。
結果、老人が露天を経営し、老婆が物を輸送し、女性が警官として交通整理をする状況となった。
ジョンが店で売り子をしているのも、本人の望んだことであるが、戦争が父を下士官として戦場に求め出征させたため、代わりに店に出ているのだ。
「……二つとも買うわ」
「ありがとうございます」
「気にしないで後から来る連れに買わせるから」
「彼氏ですか」
「そんなところね。貴方ほど気が利かないし、宝石の目利きは出来ないけど」
「……もしかして二宮忠弥大佐ですか?」
「そうだけど」
「やっぱり、秋津の人じゃないかなと思っていたんですけど、そうでしたか!」
秋津の軍人と知ってジョンは喜んだ。
「飛行船が爆撃に来たと聞いて心配していたんです。父が出征したので帰ってくるまで僕が守らなければ鳴りませんから。秋津の援軍が来てくれて安心しました」
「そうよ、私たちが来たからにはもう安心よ。絶対に爆撃なんてさせないんだから」
「お願いします。あ、そうだ、この宝石はプレゼントさせていただきます」
「ダメよ。こういうのは買わせるのが楽しいのよ」
「そういうものなの?」
後から追いかけてきた忠弥が尋ねた。
「あ、忠弥、ようやく来た」
「一応の体制は整えたからね。けど、あんまり言い過ぎるのは」
「何言っているのよ。元々守るために来たんでしょう。だから守る人たちが安心できるように宝石を買って私に与えなさい」
「だからどうしてそうなるの」
いきなり口げんかを始めた昴と忠弥にジョンはどう対応すれば良いか分からなくなった。
確かに言い合っているが、二人とも楽しそうにしていたからだ。
そして、楽しい日々の最後となった。
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