第64話 大洋横断飛行 離陸
「どうやら嵐は過ぎ去ったようだね」
窓の外を見ていた義彦が話す。
先ほどまで外は上陸した台風によって激しい嵐が巻き起こっていた。
今は風も雨も収まり、晴れ間が見えようとしている。
義彦が今詰めているのは発進基地である大東島の島津産業飛行機製作所に設けられた今回の飛行計画の指揮所だ。
関係各所からの情報を集めて機上の忠弥に伝えるのが目的だ。
各地の気象情報は重要だが、機上の無線機では伝えきれない。
一般人に電話口で測候所のデータを聞かせて現在の天気を当てろと言われても当惑するだろう。そこで一旦データを整理して無線で忠弥に伝えるのが、彼等の役割だ。
気象データだけでなく、他にも重要な部門の情報を集めて分析し、伝えるのが彼等の役割だ。
そして義彦はこれまでに培った人脈を行かし、交渉を行うため、更に各部署との調整のためにこの指揮所に詰めていた。
「気象班、台風の状況は?」
「他の観測点からは風向きが変わりつつあるとの報告です。海上の艦からは天候が回復しつつあると伝えてきています。各地も天候は回復しつつあり、予報ではこの後は晴れます」
早速、気象班が報告してきた。
「機体班機体の状況は?」
「整備完了、最終確認も終わっています。燃料の積載も終了。何時でも動かせます。台風による被害も無し」
懸念されていた台風による格納庫被害はなかった。嵐の間、施設班が必死に守ってくれたお陰だ。
「発進施設班、駐機場と滑走路の状況は?」
「落下物多数に水たまり多数。これより総員で清掃を行います。一時間後の発進までには間に合わせます」
「着陸施設班からの報告は?」
「ラスコー共和国の着陸地点異常なし。電波誘導装置は問題無く稼働中」
標識のない大洋を行くためにラスコー共和国に電波発進装置を建設し、その電波に向かって士魂号を飛行させる計画だ。
「海軍の艦艇配置は?」
「台風の影響で一部の艦が到達できていませんが、八割方は配備終了です」
海軍の制服を着た士官が報告する。今回は道案内と事前の気象観測に海軍の艦艇が進路上に配備される。その配置が実際に行われているかの確認も必要だ。
「通信班」
「無線装置に異常なし。艦艇の中継により通信は可能です」
「よし、全準備完了」
全ての準備が整った事を確認した義彦は傍らにいた忠弥に頷いた。
忠弥は一歩前に出て全員に伝える。
「皆さん、いよいよ離陸です。着陸までどうかお願いします」
『おうっ』
部屋にいた全員が唱和した。
「発動機始動!」
夜が明ける前の暗闇の中、整備長の号令の元、士魂号のエンジンが動き出した。
整備士によってチョークが絶妙に操作され機体は暖気を始める。
エンジンが冷えすぎていると調子が悪くなり、最悪壊れる。
整備士はエンジンの調子を見ながら、回転数を徐々に上げて行く。
「排水急げ! 滑走路を乾いた状態にしろ!」
飛行場長が作業員を前に叫ぶ。
台風が去った後で、地面はまだ濡れている。離陸までに滑走路を乾いた状態にして離陸しやすくする。
時間との勝負だ。
今はまだ夜中だが、離陸予定時間の夜明け前までの時間は短い。
最大離陸重量――離陸できる限界の重量に近い士魂号を離陸しやすくするには空気密度が高くエンジンの出力が上がり易くて、揚力が大きくなる一日でもっとも気温の低い夜明け前の瞬間が最も確実だ。
そして予定飛行時間は一七時間ほど。順調に行けば日が長くなり始めたラスコー共和国の沿岸に日没までに着陸できる。
だから時間との勝負だった。
準備が整ってくると主役である二人が、飛行服に身を包んだ忠弥と相原大尉がやって来た。
飛行中に必要な物、足に付けた下敷きと飛行地図にメモ帳、ゴーグル、手には飛行中の食料であるカネ餅や飴玉、煮干し、ドライフルーツ、魔法瓶二本にはお茶と味噌汁が入っている。
特にカネ餅はマタギの非常食で米粉に水を加えて塩か味噌を混ぜよくこねて葉っぱに来るんで囲炉裏で蒸し焼きにした物だ。
どんなに寒くても凍らず食べられるため、重宝する。
握り飯だと高度三〇〇〇の寒風で凍ってしまって食べられなかったのでその対応策だ。 忠弥が小さいため、座席の下に収納スペースを作り、そこに詰め込む。
「暖気終了!」
「滑走路、誘導路の排水及び障害物の排除、清掃完了」
「滑走路上に障害物ありません!」
報告を受けて忠弥は士魂号に乗り込んでいく。
その様子を関係者全員が見ていた。
台風の後出発するため、一晩中格納庫が飛ばされないかかかりきりで疲労の色が濃い。
だが、離陸を一目見ようと集まっていた。
忠弥は左の操縦席、相原大尉は右の操縦席に座り、シートベルトを装着。計器類に異常が無いか確認する。
全ての確認が終わると整備員に伝えた。
「では、行ってきます」
「ご成功を!」
整備士の言葉と共に扉が閉められた。
両脚で力を入れて抑えていたペダルを離しフットブレーキを解除、機体はそろそろと動き出す。
やがて誘導路を過ぎて滑走路に進入すると一度停止した。
忠弥は相原大尉の力を借りてフットブレーキを踏み込みエンジンのスロットルを徐々に上げていく。
エンジン音の唸りが上がっていく。
離昇最大出力へ上げるとフットブレーキを離して、士魂号を発進させる。
最大離陸重量のため機体は重く加速は緩やかだ。それでも機体は徐々にスピードを上げていく。
尾翼が浮き始め、機体が水平になる。だがまだ飛ばさない。
相原大尉がフラップ――可動式になっている主翼後縁の一部を動かして、下向きの角度を増やすことで揚力を増す。これで離陸が容易になる、特に燃料で重くなっている士魂号には必要な装備だ。
速度計を見て機体が失速速度を上回ったのを確認して、ゆっくりと操縦桿を引く。
尾翼に当たる気流と重い機体の感触が操縦桿から二人の手に伝わってくる。
機体が不自然に浮き上がりすぎないように注意深く操縦桿を操作しつつ、士魂号は滑走路から離陸していった。
やがて滑走路は途切れ、地上の施設が徐々に小さくなっていく。
「離陸成功、フラップ収納」
「フラップ収納」
相原大尉が忠弥の命令でフラップのレバーを上げる。フラップは揚力を増大させるが空気抵抗を大きくする。そのため揚力が必要になる離着陸時以外は収納している。
フラップがなくなり速力が速くなった士魂号は見る見るうちに加速し、大空に向けて症状する。
忠弥は機体を旋回させ、明るくなってきた水平線に向かって行った。
「飛びましたね」
海に向かっていく士魂号を見送る義彦に技術者が語りかける。
「ああ。だが、我々にはやらなければならない事がある。早速、情報を纏めるぞ」
「はい」
義彦が建物に向かって歩いて行くと技術者達は後に続いた。
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