第4話

翌朝、橋本が目を覚ますと見なれた自宅の天井があった。先ほどまでの回想夢に多少の嫌気を覚えながら、時計を見ると午前5時30分を指している。

いつもなら軽いストレッチとランニングをして身体を目覚めさせるのだが、今日は何時になく気怠さがあり布団から抜け出すことができずにいる。


 怠い…。動きたくない…。


 結局、そんなことを言いながらグダグダと時間を潰し、6時頃からシャワーを浴びて気分を整えると洗面台の鏡越しに映る自分と視線と目が合った。いや、目が合ったという言い方もおかしいとは思うのだが橋本はそう感じたのだ。

鏡には若さなのない、疲れ切った女性がいた。自分だと気がつくまでに数秒を要したほどだ。まるで別人のような顔に思わず後ずさったほどである。そして、その顔が変化して目が窪み、青白い顔色に変わる。


「ひぃ!」


引き攣った声を上げるとその顔はニタリと笑みを見せた。


「ば、バカにして!」


恐れはしたが、それ以上に揶揄われるような笑みに腹が立った。そして右手拳で勢いよく鏡を殴りつけた。笑みから驚いた顔をしたソレは消え失せると、蜘蛛の巣状にひび割れた鏡にいつもの自分の顔があった。クマが少し残るものの、血色はよく、問題はなさそうだった。


「痛っ!」


鏡の表面を赤い線が流れ落ちる。慌てて鏡から握り拳を離すと傷口から血が湧き上がるように染み出してきていたが、この赤に安堵を覚えた。

 自分は生きている。先ほどのように死人ではない。

痛みを堪え水道水で傷口を流して清めると色の濃いタオルを軽く当てて救急箱の元へと向かう。

化膿止めの軟膏とガーゼを当てて手当を終えると、ガラステーブルの上に置かれた銃弾が目に入った。


「肌身離さず持っていてくださいね」


昨日の信楽寺の言葉を思いだし、思わず手を伸ばす。


「お守り・・・か・・・」


その銃弾をしばらく握りしめて、震えながら泣いていたのが2時間前だったなと思いながら、地域課署内に掛けられた時計をチラリと見た。

 出勤して制服に着替えてから地域課に出向くと、この席で待つように指示されてから、すでに1時間ほどを座って過ごしている。 同僚にどうなっているか聞こうにも、朝から何処となく避けられていた。


まるで自身に対しての箝口令が敷かれているとも言える状況に、どことなく居心地が悪かった。


「弥子」


「麻衣子?」


時計にじっと魅入っていたのだろうか、同期で親友でもある立花麻衣子巡査が声をかけてきた。彼女は地域課でなく総務課に配属されていた。


「これ、県警察本部の総務課から超特急で弥子宛に送られてきたの。しかも、直に渡すように厳命つき」


困惑した表情の立花巡査は、左手に持っていたA4サイズのアタッシュケースを机の上に置いた。


「弥子、これが鍵ね」


そう言って右手に握られていた銀色の鍵を机の上に置かれると、 まるで自身が事件の犯人になっている様な気分になってくる。



「橋本巡査、鞄を開いて命令書を確認してください」


「え・・・あ、はい」


先ほどまでとは違う親友の事務的な声に驚きながら、アタッシュケースを机の上で開いた。

 中には制服警察官が普段使っている真新しい装備品が一式、正式拳銃であるリボルバーのSAKURAが1丁、最後に真新しい警察手帳とクリアファイルに入った命令書と辞令があった。


「中身を確認してただきましたのでお渡しいたします。えっと、弥子、ごめんね」


立花巡査は両手で拝み手をするとそそくさとその場を去っていってしまう。また、受け取ったことを示す署名も捺印もない荷物など警察ではあり得ないことであった。


「なんなのよ、もう」


そう呟いて立ったまま、クリアファイルに入った命令書と辞令を読み終えると、橋本も驚きのあまりその場で固まってしまった。


辞令は、本日付で地域課の交番勤務から、警察庁総務部付きへ移動し、長野県警察駒ヶ根警察署勤務という訳のわからない配属となったことを知らせるもの、そして 命令書は、検非違使担当官として同行し、検非違使と長野県警察との連絡役として任務に当たるように、とのこれまた訳の分からない内容である。

添付された資料には、直属上司に当たる項目に、まるで冗談であるかのように一文で、警察庁長官 後藤田 晴政 と記されおり、その横に、達筆な毛筆でこう書かれていた。


『先んずは指示を守れ、然るに、その意味を考えよ」


これもまた意味不明である。それを読み終わった時点で思考が停止してしまった橋本巡査は、近づいてくる人影に気が付かなかった。


「橋本巡査」


「は、はい!」


低い男の声で呼び掛けられ思わず返事が上擦る。


声の方に振り向くと、そこには検非違使の信楽寺査察官が昨日と同じ出立ちで立っていた。


「警察庁からの品は届いたみたいだね。直ぐに整えて会議へ同行してほしい」


「か、会議ですか?」


「うん。あの殺人事件は捜査本部が置かれて捜査がなされる事になった。そして、検非違使はその事件に介入する事を決定した。事件捜査の場合は連絡調整官が配属されて同行する決まりでね、君が大抜擢されたんだよ」


明るい声で嬉しそうに言う信楽寺を見ながら、話の内容でようやく動き始めた頭が出した結論に、橋本巡査は真っ青になった。

 最近、テレビでやっていた警察ドラマで、主人公の友人が検非違使の担当官となり最後は壊れて警察を退職する内容だ。

 そして、まさに今、その友人になったことに絶望した。

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霊廟堂殺人唱歌 鈴ノ木 鈴ノ子 @suzunokisuzunoki

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