第二部・その4


 夜間は交通量が減っているとは言っても、大きな国道や幹線道路には、ひっきりなしにトラックが行き交っている。

 そしてその合間を、自衛隊のトラックや装甲車が走り抜けていく。ミユの地元にいた時とは、交通量や密度が全然違う。

 そのたびに、小型の電動スクーターではなぎ倒されるのではとミユは少し心配になる。スクーターの運転には慣れたが、これには慣れる気がしない。

 幹線道路を抜けて脇道に入ると、交通量も減って周囲が静かになる。

 風切り音、タイヤがアスファルトを蹴る音、耳をすませて、ようやくモーターの駆動音が聞こえる。

 風呂上がりの火照った体を風が冷やし、疲労感や緊張感がまだゆっくりほぐれていくのをミユは感じた。

 なんとなく買ったいつもと違うシャンプーの香りが、甘く鼻をくすぐる。次からもこれにしようと、吐息混じりに口から漏れる。

 学校が近くなるとさらに静かになり、しかし街灯や家々の明かりは人の温もりをかすかに感じさせてくれる。

 ミユの実家、津宮郊外の住宅地。協会の人に車で送ってもらいながら見る夜の景色は不気味なほど静かなことを思い出す。

 明るい夜の街。借り物だがバイクに乗って帰る。自分の部屋に。思うたびに、気分が軽やかになる。

 あとはアパートに帰って、父親に電話をして寝るだけだ。

 あの家に残してきた。その思いがチクリと、新鮮な空気に膨らんだミユの心を軽く突き刺す。

 学校の校舎も夜は静かで……明かりがついている。体育館にも明かりがついている。

 部活動や何かの課外活動ではないはずだ。ACRコマンドが下校した時には体育館も暗かった。

 校門の方に向かう……誰か立っている。小柄な体にショットガン。

「よう、六郷」ANTAMが武装していると言うことは、

「警報を聞いて来た……訳じゃなさそうだな。不死兵が出た。だが第五区だ。エントリーはしなくていいぜ」

 ハルタカもどこかに出撃するでもなく、校門の前で立っているだけだ。

「暇なら中で山王を手伝ってやれ。あいつが居残りしてたんで、ここを臨時避難所として開けとく事になった。自主避難者がもし来たら、受け入れる」

 ミユが学校の敷地内を通ってガレージにスクーターを置きに行く……ユウコとケンジロウのバイクがない。

 パークバッジでロッカーを開ける。出撃しているのはケンジロウ、ユウコ、ハルタカ。タカヒロもいるはずだが銃は置いたままだ。

「銃はいりません。無線機と腕章だけ用意して、CRエントリーでいいです」

 タカヒロの声。電子レンジを操作する音。

「携帯もチェックしてなさそうですね……簡単に説明します。10分前に東京第五区に不死兵の目撃情報がありました。エス線は感知されていませんが犠牲者の遺体が発見されています。少人数の連絡便と思われます」

 タカヒロはプール棟への通用口からプール棟を抜けて、そこから校庭に出た。

「不死兵は夜目が利きます。それでも、暗視装置を装備した正規軍にはかないませんが……暗視装置を持っていないのなら、夜にエントリーしても足手まといになるだけですよ」

 じゃあハルタカは。武装しているが暗視装置はつけてなかった気がする。

「それは、その。……うちの恒例です。不良が校門に立っているよりも、腕章をつけて、銃を持たせた方が、怖がられない」

「うっせえなおまえら。後でシメんぞ?」

「前回の不死兵の襲撃からまだ3日しかたっていません。エリア外の夜間とはいえ、不死兵の襲撃には不安になる人もいます。とびきり強面の、武装したANTAMが臨時避難所に立っているのは、そういう人にとっては、安心するということです」

 体育館の中は明るかったが、静まり返っていた。風呂上がりのミユの体にこもっていた熱が、冷えた空気に徐々に奪われていく感じがした。

 入口の近くにはノートパソコンを置いたテーブルが一つ。倉庫から出されたパーテーションとマットが、いくつかそのまま積んである。

「自主避難の申し入れが二件、CRエントリーが十四件、ACRエントリーもいくつか……お茶でも用意しますか」

 タカヒロが詰所に戻る間、ミユがテーブルにつく。プラムL小隊の連絡網が開いている。

 ナオは八王子のトレーニングスクールから、訓練を終えて帰宅中だという。

 サチとコノミは自宅で待機している、ミユは銭湯だろうとコノミが言い当てていた。

"じゃあ原チャで行ってきたんだ。迷わなかった?"

"事前に地図を見てルートを確認しました"

"スマホのナビ使わなかったの?"

"銭湯に携帯を持ち込むなってあったので"

"アホかおめーは。浴場に持ち込むなって話だろ。持ってってロッカーにしまっとくんだよ"

"それで学校のアカウントからアクセスしてるのね"

"まぁまぁ、夜間のエリア外なら出撃の義務はないし。でもすぐに連絡取れるようにして、チェックはこまめにしないとね"

"そういえば新田隊長と飯田先輩は"

"秘密のデートだよ。さっちゃんがいるのにね"

"?"

"飯田さんは出撃してるよ。協会直属の偵察兵だからね。リーダーも……協会のサポートをしてる"

「なに油売ってンだ六郷、自主避難者が来たぞ。さっさと支度しろや」

 ハルタカが自主避難者を連れて体育館に入ってきた。身重の若い夫婦だ……回りにも何人かいるが、腕章とバッジをつけている。銃を持っている者もいる。

 体育館の一角にシートを敷き、パーテーションで区切る。応援にきたANTAMは手慣れていて、あっという間にいくつかの仕切りができた。

「お茶とお菓子はどうですか。ANTAMの皆さんも……カップ麺もあります」

 タカヒロが電気ポットやカップ麺の箱、お菓子などを積んだ台車付きを持って戻ってきた。それらも手際よく、応援のANTAMで配分していく。

「お嬢ちゃんも、なんかお菓子食べるかい?」

 応援のANTAMが、菓子箱を持ってミユに話しかけてきた。銃を持っている。

 HK91。コノミの機関銃と同じ規格のライフルの、民間向けモデルだ。

 後付けのレールには低倍率のスコープに暗視装置。旧式の光増幅式だが、都内なら真っ暗になることはなく充分使えるだろう事は、銭湯の帰り道でミユもわかった。

「見慣れない子だけど、この辺に最近越してきたのかい?さっそくCRエントリーとは熱心だねえ」

 声をかけてきたANTAMは、ACRコマンドではないが、近くの商店街の店員たちで構成されたチームだという。

 チームの他のメンバーは、銃を持つ者持たない者入り交じって談笑している。

「この辺に不死兵が出現した時は、俺らもこの学校の警備に来てるからな。その時会うかも知れないから、その時は守ってやるから」

「てか学校の近くなら、俺らACRコマンドがやりますよ」

 カップ麺にお湯を注ぎながら、ハルタカが割り込んできた。

「心配しなくても、こいつも俺らのメンバーなんすよ。プラムL6……3日前の襲撃の時は、転校初日でNK9、NH込みで10キル、こいつが重装不死兵をやるところを俺は見たぜ」

 商店街チームのANTAMが目を丸くしていた。

 ACRコマンドでない限り、ANTAMが不死兵を倒す事は稀だ。ましてや重装不死兵は、足止めする手段もないと言われている。

 そうでなくても、プラムL6の活躍は、あの時現場にいたものなら無線で知っている。

 その場にいた協会員の視線が集まる事に戸惑いながら、ミユは昔の事をなんとなく思い出していた。

 あれは確か、遊園地の襲撃でミユの母が殺され妹が連れ去られた、その何日か後。


 目を閉じても思い出す、目の前で母が殺される光景、連れ去られた妹の、助けを求める視線。

 あの時と同じように、狭いところでじっとしていれば、じっとしていれば……いつまで?ずっと?

 母と一緒に殺されるまで?妹と一緒に連れ去られるまで?不死兵はもういないのに?あの光景は目を閉じても消えないのに?

 だから、じっとしているしかないのだ。

 部屋をノックする音。「ミユちゃん?……六郷ミユちゃん?」

 知らない男性の声。ミユを救助した警官の事を思い出す。助けに来てくれるの?不死兵はもういないのに?

 部屋に入ってきた男性は三人。ミユが机の下で身を固くしているのを、自衛隊のように見落とさず。警官のように偶然見つけたのでもなく、探しだして、見つけた。

「六郷ミユちゃん?……あー、俺らは……AsANTAC、対不死兵武装市民協会のANTAMで津宮猟友会の者です。先日の襲撃を受けて、しばらくの間学生は、学校でまとめて警護するという市の要請を受けて来ました」

 差し出された手を、思わずつかむ。

「ミユちゃん学校に来れるかい?保健室で寝てるだけでもいいから」

 暗闇から引き出される。そこにいても何もできないが、そこにいるしかない場所から。


 簡単な受け答えがあったはずだが覚えていない。安心感と不安が入り交じって、見慣れた近所の風景もボンヤリ見える。

 その分見慣れないANTAMたちの姿がやけにはっきり見えたようにミユには思えた。

 腕章、弾帯、そして銃。今思えば、銃の管理がいい加減だ。不死兵がいるわけでもないのに、銃をむき出しで持っている。

 しかし、

 銃を持って、不死兵と戦う。そんな人がいる。

 そんな思いが、ミユの中に小さく芽を生やしていた。

 そういう人たちを見て、ミユは協会のANTAMとして戦うことを決めたのだ。

 そうして今、ここにいるのだ。


「だった今、協会から連絡がありました。……出現した不死兵は掃討され、ポータルも自衛隊に発見されてポータル破壊デバイスにより破壊されました。エリア外の臨時避難所は、解散してください、とのことです」

 避難所内が沸き立つ。思った以上の大勝利だ。

 ピンと来ていない自主避難者にタカヒロが説明する。……ポータルはブットゲライトの本拠地から、ポータル発生装置で発生させている。

 それをブットゲライト側で閉じるのでなく、協会が開発し世界中の正規軍に供与されているポータル破壊デバイスで破壊できれぱ、ポータル発生装置はエラーを起こし数日間はポータルが開けなくなるのだ。

 さっそく臨時避難所の片付けがCRエントリー者によって行われ、自主避難者は商店街のANTAMチームが送り届けるという。

 ミユとハルタカで資材を所定の位置に戻すと、エントリー者もほとんど帰宅し、あとは軽く掃除をして体育館や校内の明かりを消す。

「つーか山王、てめえいつまで電子レンジ使ってんだよ」

控室に戻ってもう一杯のカップ麺にお湯を注ぎながらハルタカが言う。そのまま、さっき用意したが冷めてしまったカップ麺を食べ始める。

「来たときも電子レンジついてたろ。一時間以上使ってるんじゃねえの?変な実験ならよそでやれよ」

 聞いている間、タカヒロは冷蔵庫を開けて中身を物色していた。中には様々な食材や、タッパーに入った料理などが納められていた。

「まあまあ、よければ洗足さんや六郷さんにもおすそわけしますよ……実験と言えば実験ですかね。豚の角煮を作っていました」

 煮物と漬物を一品ずつ取り出し、品名をサチ宛のメモに記入しながらタカヒロが言う。

「電子レンジ?炊飯器とかでも作れるんじゃねえの?あとサチ先輩のボニーク使えば一撃だろ。俺でもできるぜ」

 電子レンジに入れてあったタッパーから取り出された豚の角煮は、かなりの大きさだが見るからに柔らかそうで、自重で崩れてしまいそうだった。

 タカヒロはそれを切り分けて、煮汁を鍋に入れてコンロにかける。その間に、炊飯器で炊いてあったご飯を用意する。

「うおっマジかよ角煮丼とか豪勢な夜食だな……てか学校で夜食かよ?もうすぐ10時だろ?家帰んなくていいのかよ?」

「食べたら帰りますよ。どうせ家に帰っても食事の用意はありませんから」

「そんなことはねえんじゃねえの。親ってのはめしが冷めちまったってぼやいてるもんだろ」

 タッパーを冷蔵庫にしまうタカヒロの顔は、曖昧な微笑みで覆われていた。

「親の期待に応えるのは、兄の役目です。僕は何も期待されていませんよ……せいぜい協会でがんばってコネを作るくらいですかね」

「なんだよそれ」

 タカヒロは答えずに、切り分けた豚の角煮を煮詰めた煮汁に入れて、絡めていった。

 ハルタカがカップ麺の蓋をはがす頃に、ゲートが開く音が聞こえた。ミユが見に行くと、音もなく停止したバイクからケンジロウが降りるところだった。

 学生服ではなく、黒っぽい戦闘服。ヘルメットには暗視装置。バックパックは背負っていない。ライフルスコープの前にはレーザーモジュールが装着されていた。

 さらにいつものライフルの他に、アサルトライフルを携行している……HK416に消音器、ダットサイト、レーザーモジュール。雑誌で見る特殊部隊のような仕様だ。

「どうした六郷……片付けが終わったら帰っていいんだぞ」

 暗視装置やHK416は別のロッカーにしまっている。ケンジロウは一瞬ミユを見つめていたが、それがかなり長い間のようにミユには思えた。

「あの……飯田先輩は」

「第五区の支部でレポートを書いて、終わったらラーメン食べに行くそうだ。不死兵の出現は、少しの間、なさそうだからな。飯田に何か用か?」

「やはり自分のバイクを買った方がいいかなと……バイクのことなら何でも相談しろと」

「明日にするんだな。飯田にとっては貴重な休みだ」

 ケンジロウは控室に入ると、炊飯器に残ったご飯を茶碗によそり、冷蔵庫から漬物を取り出した。

「リーダーもどうですか」

 タカヒロは自分の茶碗に多めに豚の角煮を盛り付けると、残りを小皿に分けてミユたちに配った。

「ははっ、お茶漬けで簡単に済ませようと思っていたが、思った以上に豪華になってしまったな」

 ミユは味見程度ということで一切れだけ。その分ハルタカに多めに分けてある。ケンジロウの分は、その中間くらい。

 早速ハルタカが口に運ぶ。形が崩れそうになり、カップ麺の上で一旦掴み直して口に放り込むが、少し微妙な表情だ。

「……味薄くねえか?」

「そうか?このくらいで充分だと思うが……六郷はどう思う?」

「えっ」

 チームの男子三人が、箸を止めてミユを見つめている。

 食べなければいけない空気と食べにくい空気を同時に感じながら、ミユは豚の角煮に箸をつけた。

 何の抵抗もなく箸が脂身をすり抜ける。そのまま肉の繊維が、力なくほぐれていく。それでいながら肉の手応えは、確かにあった。

 口に運ぶとたちまち脂がとろけ、肉がほどける。しかし、

「ホラ見ろ六郷も微妙なリアクションじゃねえか」

「……どうした六郷。思ったことがあるなら遠慮なく言ってみろ」

 何か言いたい事が喉ののあたりでさまよったまま、ミユは残った肉をさらに小さくちぎって口に運ぶ。

 柔らかさは申し分ない。それでも何かが足りない気がして、それは、

「肉の臭みは抜けてるが、風味が足りないな……下味も薄い。煮汁も煮詰めているが、やはり薄い。薬味か出汁が欲しいところだ」

 ミユの思っていたことと一緒だ。肉そのものの味がしておいしい、のだが、味が足りない。

「これだけ柔らかく作れるなら、最初に焼き目をつけて煮汁をもう少し濃くしてもよかったな」

 タカヒロも考えながら聞いていたが、納得したような顔で立ち上がり薬味と調味料を取り出した。

「六郷」カラシを受け取ると角煮に少し載せながらケンジロウが言う。

「今までクラス1のパークバッジしか持っていなかったところに、いきなりクラス3のバッジを装備して戸惑っているだろう……感覚が鋭くなっている」

 ニンジャのパークバッジを受領したから感覚が鋭くなったのだろうか。もしバッジを受けとる前だったら、サチの手料理をおいしく感じなかったのだろうか。

「バッジを受け取っていなかったら、サチの料理をただおいしいと思っただけだろうな」

 思っていたことがつい口に出たらしい。

「味の違いがわかるようになったなら結構だ……そういう小さな違いを、見たものや聞いたものにも感じ取って、それを言葉にできるようにしてほしい。それが、俺が六郷に期待することだ」

 そう言うケンジロウの体にまとわりつく、火薬の匂いをミユは妙に強く感じた。さっきの不死兵の襲撃の際、銃を撃ったのだ。

 夜間は自衛隊が行う戦闘を。協会の「サポート」で。

「みんな食べ終わったら帰って寝ろ。俺も書類を書いて銃の清掃をしたらそうする」

 言い終わるとケンジロウは、角煮と漬物を載せたご飯の上にお茶を注いで一気にかき込んだ。

 タカヒロの食事のペースは早くない。ハルタカは二杯目のカップ麺で、食べるペースが落ちている。

 ミユはなんとなく箸で小さく角煮をちぎってちびちびと食べていたが、肉は簡単にほぐれて口の中であっという間にとろけて消えていった。

 ミユの乗ってきたバイクを充電器につなぎ、荷物を取り出す。近くにケンジロウのバイクが停めてある。

 火薬の匂いがする訳ではない。何か音がする訳でもない。真っ黒なバイクには、微かに埃がついているだけだ。

 それなのに、そこに漂う何かがミユの胸の奥底に、ざらざらとまとわりつく。砂を吐き出していない貝の入った味噌汁を飲んだ時のような。

 おまえのせいだろ。

 微かな、しかしはっきりとした何かの感覚。感覚を鋭く、と思う間に流れて消えていく。

 おまえがながはらを。

 何かに触れたような感触だけがミユの胸に残り、その鼻が、シャンプーの香りを強く感じた。

 どうしてなんだよ。

 風呂上がりに髪を拭いたバスタオルに、シャンプーの香りが残っている。そこに顔を埋めると、不思議と落ち着いた。

 それは、プール棟のシャワー室で嗅いだ覚えのある。不死兵の返り血と硝煙にまみれていても感じられる、


「急ごうアツミ、M14-8Cに要救助者!赤ちゃんと退院したばかりのお母さんだって!」

「待ってよナオちゃん!ネストのすぐそばじゃない、行ったって間に合わないよ!」

「今行けば間に合うよ!わたしたちが行けば!」

 緊急避難所の駐輪場にバイクを停めると、ナオはヒラリとバイクから飛び降りる。つい先日56式から買い換えたばかりのM16カービンを軽やかに振り回して。

 アツミもバイクを降りて、銃の確認をする。安全装置。ボルトハンドル。弾は装填されている。

 RK62M2。56式と同じくロシア製AK47アサルトライフルのコピーだが、フィンランド製で、現在の戦闘に合った改修がされており、命中精度が高い。

 トレーニングスクールで優秀な成績を修め、いい銃を購入できるとなった時にこれを選んだ。

 もっといい銃はたくさんある。でも大半がスナイパーライフルだった。だがそれではだめなのだ。

 ナオの姿はもう見えなくなっていたが、スナイパーが配置についている通りに出ると遠くの方で軽やかに揺れるポニーテールが見えた。

 ナオが一瞬足を止める。その時少しだけ、アツミの方を見た気がした……そしてそのまま、脇道へ、スナイパーがカバーしていない区域へ、飛び込んでいった。

 アツミがナオの曲がった角にさしかかった時には、その少し先から銃声が聞こえてきた。MPと……M16カービン。米軍払い下げで、フルオート射撃が可能なのがナオの自慢だ。

「アツミ、急いで!要救助者の家で不死兵と交戦中!要救助者は、まだ、無事!」

 ネスト周辺から避難してくる者は、もういない。不死兵はまだ、通りに出ていない……出現した不死兵はそれぞれ獲物を見つけ、腹ごしらえの最中なのだ。

 狭い路地に不死兵が一人。MPを構えて家の中をうかがい、時々撃ち込んでいる。中からナオの、M16カービンの銃声。

 足を止める。体が止まる前に、銃を構える。ダットサイトの光点を、不死兵の頭に合わせる。

 銃弾が不死兵のこめかみを撃ち抜き、不死兵がその場に倒れ込む。それだけ確認すると、アツミは再び走り出した。

「ナオちゃん!ナオちゃん!」

 アツミが玄関にたどり着くと、不死兵の背中が見えた……その後ろにナオ。まだ殺されていないが、押されている。

 銃剣を不死兵の腹に刺したが、それを不死兵に掴まれてしまったようだ。不死兵に掴まれたら、ナイフで刺した程度では、離してくれない。

 銃剣の押し合いをしながら、ナオは不死兵のパンチや蹴りを防いでいる。女子としては背の高いナオだが、女子高生と不死兵では体格に違いがありすぎて押される一方だ。

 ナオが不死兵に押し倒される。不死兵がナオの上にのしかかるのを見ると、アツミの背中から首にかけて、熱いものが駆け巡るのを感じた。

 しかし今不死兵を撃てば、ナオにも当たる……引き金にかけた指が、そこで止まる。そして、組み敷かれつつあるナオの足のそばに、白い筒のようなものが転がっているのが見えた。

 EMPグレネードだ。信管は作動している。わずかだが殺傷範囲があるので、蹴って転がし体から遠ざけている。

 ナオが不死兵の腰に手を回して、不死兵の銃剣を抜き取る。片手で不死兵の頭を押さえつつ、ナオは不死兵の顎に銃剣を突き上げた。

「……アツミ!」

 銃剣は脳に達していない。しかし不死兵は痛みとショックに少しのけぞり、少し頭が上がった。

 ほんの数メートル先の頭、脳幹。そこに照準を合わせるのが今までのどんな訓練よりも難しく思え、EMPグレネードが起爆する数秒が、永遠のように長く思えた。

 閃光。近すぎる。ダットサイトの光点が消えた。アツミはすかさず、フロントサイトに意識を集中する。

 不死兵のヘルメットに穴が穿たれた次の瞬間には、頭が弾けた衝撃でヘルメットも弾け飛ぶ。残った部分から、ナオの突き刺した銃剣の刃が見えた。

 ナオが立ち上がり、顔についた血を拭き取る。銃剣を抜こうとするが、根本まで刺さったうえに根が絡みついて抜き取れない。銃剣のロックを外して、なんとか銃本体は引き抜けた。

 ふとナオの視線が、アツミの背後に向けられる。EMPグレネードを投げつけ、銃の消炎器についた根をむしり取り、弾倉を交換する。

 アツミが振り向くと、アツミが来たときに撃った不死兵が頭を再生して起き上がりつつあった。

 これが、不死兵。アツミの父親を殺した。

 だけど、いまは。

 ナオがアツミの横に来て、試しに一発発射する。銃身やフレームにがたつきはなく、不死兵の血が微かに湯気となって立ち上る。

「オッケー。やるよ、アツミ」

 EMPグレネードの閃光を合図に、二人は不死兵に銃撃を浴びせた。ナオの連射が胸に叩き込まれ、少し遅れてアツミの銃弾が眉間をとらえた。

 むせ返る硝煙、血の匂い。血や肉の焦げる匂いも微かにする。そんな中に、ナオの荒い吐息。シャンプーの香り。

「ナオちゃん……」無事でよかった。無茶をしないで。言いたい事がたくさんあるようで、実はほとんどなくて、それがアツミの頭をぐるぐる駆け回る。

「……やったね。2キルだよ、アツミが不死兵を倒したんだよ」

 うん。そうだけど、そうだけど。

「早く要救助者を運び出そう。わたしがお母さんを連れて行くから、アツミは赤ちゃんをお願い。急がないと他の不死兵が来ちゃうよ」

 言い終わるよりも早く銃を背中に回すと、ナオは赤ちゃんの泣き声のする方に歩いていった。

 硝煙、血の匂い、微かなシャンプーの香りを残して。気まぐれなポニーテールは、追わないと、逃げていく。そばにいるために。


「どうした六郷……BTCが気に入ったなら、大型二輪の免許を取らないとな。現用のものにこだわらないなら、2018年モデルが安くていいものが手に入るぞ」

 ふと気がつくと周囲は暗くなっていた。控室の明かりも消されている。

 ケンジロウはロッカーから銃を取り出していた。武器庫で銃の清掃や点検をするようだ。

「六郷……マッチドの銃にクラス3のバッジは、かなりのレアケースだ。何か変わった事があったら、俺か先生に報告するんだ。協会が……」

 そこで言葉が止まり、足も止まる。しかし少し間をおいて、ケンジロウは続けた。

「協会が……サポートしてくれる」

 そう言って武器庫に向かったケンジロウのあとに、匂いでも音でもない何かをミユは感じた。

 それは何かを感じるほどはっきりとはしていないが、感触だけは鮮やかにミユの心に引っ掛かった。チクチクと、胸を刺すような。

 ミユは手に持ったままのバスタオルに顔を埋めた。バスタオルはすっかり冷めて、シャンプーの香りも薄れて微かに汗臭いだけだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る