第一部・その8

 すべての始まりは、約90年前、ノルウェーの特定の水域に生息する深海魚に特殊な体質が発見された事だった。

 傷の再生が早く、漁師が締めても生きている。肉がいくらでも取れる不死身の魚。

 その体内から発見された微量の鉱石から検出された特殊な周波数の電磁波、そして後に、それを何らかの方法で利用して、宿主の肉体の再生を飛躍的に高める物質が発見された。

 発見者の名を取って、それぞれシュリンゲンズィーフ線、イッテンバッハ体と名付けられたそれらは、特定の狭い水域にしか存在せず再現性も低いため研究は発展することがなかった。

 それに目をつけたのが、ブットゲライト准将であった。彼により、イッテンバッハ体とシュリンゲンズィーフ線の関係が明らかとなり、それらを活用した不死身の兵士の実用化に成功したのである。

 しかしシュリンゲンズィーフ線の照射範囲内でしか動けず、制御が困難で、何より自国の兵を、生きた人を食らうおぞましい怪物に変える事から、ヒトラーもこの計画を広く実用化しなかったと言われている。

 ブットゲライトの悪魔の研究は、その成果である不死旅団とともに歴史の闇に消え、資料の一部を入手した米ソ両大国も、実用化を断念し、忘れ去られた……はずだった。

 30年前。それも元々はノルウェーの深海に眠っていたという、ブットゲライトのもうひとつの切り札……ポータルを使って、不死兵の軍団が攻め込んでくるまでは。


 巻いて巻いて。ナオが指示を出す。タカヒロは不服そうだったが、資料を何ページか飛ばした。

「不死兵とは……イッテンバッハ体のコロニーが、脳や脊髄に定着したものとなります。シュリンゲンズィーフ線により活性化したイッテンバッハ体は、血流に沿って〝根〝と呼ばれる物質を張り巡らせ、それが損傷した器官になりすまし、同化して、修復します」

 タカヒロはポケットから、薬品のパッケージを取り出した。

「それを現代の技術で利用したものが、このオールナイン万能止血軟膏です。微量のイッテンバッハ体が含まれており、外傷の治療に絶大な効果を発揮します」


 分隊長と思われる不死兵が持ち歩いていた小さな箱。線量計の針が振り切れんばかりに反応している。

 ミユはその箱を、斜面の下に思いきり投げつけた。線量計を確認……イッテンバッハ体が活性化するには足りない量だ。

 MPの弾倉を交換する間に不死兵が起き上がらない事を確認すると、ミユは荷車に積まれた捕虜を、箱を投げ込んだ方に運んでいった。

 箱の近くで捕虜を降ろすと、ミユはポーチから万能止血軟膏を取り出した。

 捕虜は肩とふくらはぎを銃剣で突かれている。手足の腱を切られているのだ。

 傷口を消毒したかったが、水の持ち合わせに余裕がない。綿棒で傷口に軟膏を塗り込む。

 綿棒にかかる抵抗が強くなり、引き抜くと根が絡みついていた。それを見ている間に、もう傷口は塞がっていた。

 傷の状態と、消毒を行っていない事を万能止血軟膏のパッケージに記入して、傷痕に張りつける。

 その場を動かないよう捕虜に言うと、ミユは次の捕虜を連れに行った。

 万能止血軟膏もイッテンバッハ体……シュリンゲンズィーフ線の届かないところでは作用しないのだ。

 次の捕虜は、口から血を流していた。見ると舌を切り取られている。

 頭はだめだ。頭や骨に定着する恐れがあるため、頭部や骨への使用は原則禁止となっている。

 使うにしても、病院に送られてからでいい。運びながら、説明する。

 何往復かしていると、遠くからヘリコプターの音か聞こえてきた。

 自衛隊が銃声を聞きつけ、無人偵察機で位置を把握し救助部隊を送ってきたようだ。

 後は自衛隊に任せればいい。任せて、自分は。

 捕虜を運び終えたところで、少し離れたところにヘリコプターが降りた音がした。救助部隊を降ろしたようだ。

 持ち歩くのは、自分の銃と不死兵のライフルで手一杯だ……MPを捕虜の一人に持たせると、ミユは森の奥に歩みを進めた。


「……要するに不死兵は、頭と背骨がこれでいっぱいになっているのです。頭を破壊しても、背骨から再生する……驚くべき事に、意識や記憶もそのままに」

 頭を撃たれた不死兵が、再生した後撃ってきた方向を覚えていて、反撃してくることはミユも何度も目撃している。

「まさに理想の死なない兵士ですが……不死兵がどの国も実用化しないのには、理由があります」

 タカヒロがモニターに映した写真は、ネズミらしき小動物の脳と、それによく似ているが、違うものであった。

「通常、復元し成りすました箇所は元の組織と同化してイッテンバッハ体としての機能は失われるのですが、脳や脊髄に定着した時に限り、それが完全に入れ替わってしまうのです」

 そしてもう一点、タカヒロがモニターに資料の写真を映そうとしたが、ナオが止めた。

「不死兵が好むのは、生きた細胞……特に脳や神経、脊髄を、イッテンバッハ体は好んで食べます」

 配られた資料にも一部の写真が載っているようで、講習を受けているANTAMたちがかすかにざわめいていた。

「獲物がいれば、任務を中断、放棄することも珍しくありません。全体的に凶暴化する傾向が見られ、高度な作戦を行うには不向きとされています」

 教壇の前にナオが進んで話を続けた。

「不死兵は近くに人がいると、掴みかかってくる。凶暴化して、銃も効かない……不死兵に捕まったら、その場で食われるか、ネストに連れていかれる」

 モニターにグラフが表示される。不死兵に捕まった人間の生存率らしい……年々確率は上がっているらしいが、それでも、ごくわずかだ。

「不死兵が退却する前に自衛隊がネストを確保できれば、助かる可能性はあるけど……ネストの跡地を一度でも見ると、だから望みを捨てるなとは、簡単には言えないよ」

 ナオが言うと、ミユは最近見る夢の事を思いだし身を震わせた。不死兵に食われる夢。

「だから不死兵には、絶対に近づかないこと。銃で動きを止めながら、常に距離を離すこと。死にたくなかったらね」


「……ひとつ、知っていれば教えていただきたいのですが」

ミユがケンジロウに話しかけた。


 不死兵はほとんどが、完全に動かなくなっていた。あと一人か二人が、意味もなくのたうち回って地面を叩いている。

 中途半端に再生が進んだために、死ねないのだ。

 とどめを刺すべきか。エス線源を持った増援か追っ手が通りかかれば、復活する恐れはある。


「エス線を浴びて狂暴化した不死兵が、エス線を浴びなくなったら、どうなるのでしょうか」

 ケンジロウが端末を通じて、タカヒロにミユの質問を伝えた。

「イッテンバッハ体はエス線で活性化していない状態では、雑菌や免疫に弱く、無傷でクリーンな環境に確保しても数日ともたない、と資料にあります」

 ミユの聞きたいことはそうじゃない事を察すると、ケンジロウが代わりに答えた。

「不死兵が退却した時、ポータルが閉じてしまい逃げ遅れた不死兵が投降した例はある」

 ケンジロウは眼鏡を直すと、タブレット端末を少しの間いじって記事を探していた。

「どんな話をしたかは公開されていない……だが確保した現場の兵士の話だと、もう帰れないとわかると、銃を捨てておとなしく降伏したそうだ」


 ヘルメットは脱がせてある。エス線源を投げ捨てるまで、何度頭を撃ったか数えていない。

 これが、最後だ。


「公開されている事は、尋問に応じて情報を提供したらしい、脱走を企てたり暴れたりすることはなかった。……あとは山王の言うとおりだ。三日目に脳機能に障害が出て、翌日には昏睡状態。一週間で死亡と診断された」


 体をコントロールできずただゴロゴロと地面の上を転がり、開いたままの口からは意味不明のうめき声が絶えず漏れている。

 側頭部にぱっくり開いた大きな穴。飛び散ったまま再生しなかった頭蓋骨から脳の中心付近まで及んでいる。

 その目は。


「別の捕虜にエス線を当てて延命し情報を聞き出そうという実験の報告もある。……修復が始まる前に狂暴化し、手に負えず射殺したそうだ。不死兵はもう人間に戻れない」


 自分でも驚くほど素早くライフルを構え、それまでの躊躇が嘘のようにためらいなく引き金を引いた。

……その目は。助けを求める人の目だった。

 あの時の、母のような。妹のような。こいつらが連れていた捕虜のような。

 死にたくないと。生きていたいと。

 見たくなかった。ライフルを下ろし、そしてどこを見ればいいのか、ミユにはわからなかった。


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