其の四

   †4†

 鳥居の前には一台のSUVが停まっている。


煌鷹こうようね」


 二人は鳥居をくぐり、やしろの前に進み出る。

 社の祭壇には既に灯明とうみょうがあがり、神官装束に身を包んだ煌鷹と、同じく巫女装束の智明ちあきが待っていた。


「やあ、待ってたよ」

「ええ、来てあげたわよ。あんたの企みを阻止しに」

「そうかそうか。それは頼もしい。期待して良さそうだよ」


 煌鷹は背後の智明を振り向いて笑う。


「そっかぁ……。じゃあ、お祭りを始めちゃいましょうか」


 智明は含みのある笑みを浮かべると、かたわらの締め太鼓を一つ、ぽんと叩いた。

 そのとたん、周囲の気温がぐっ、と下がる。

 何者かが迫ってくる気配。


「ずいぶん好き勝手やってるみたいだけど、ここには八尺様はっしゃくさまがいたはずでしょ?」

「ああ、この土地の神か。八尺様なんて呼ばれているが、あれは実のところ、神というより妖怪に近い存在だ。こうして社を建て、まつっているために神として振る舞っているが、しょせん下等な妖神、より強力な神を勧進かんじんすれば従えることも容易だ」

「あんた、それ、本気で言ってるわけ……?」

「もちろん。そして、そのための儀式もほぼ終わっている。後は君が協力してくれればいい」


 そう言う煌鷹の背後に、一瞬何かの影が揺らめいた気がして、雅紀まさきは半歩後ずさった。


「さて、返事を聴こう。神降ろしをしてくれるね?」

「……悪趣味」


 小豆あずきは吐き捨てた。


「断れば儀式はおジャン、八尺様がこの社に入ってきて、あたしたちはおしまい。そんなところなんでしょ」

「まあ、そうだね。もっとも、僕らは護符を用意してるから集落を出るくらいまでは無事でいられる」

「最悪」


 小豆はもう一度言うと、ため息をついた。


「で、準備のいいあなたのことだから、衣装も用意してあるんでしょうね?」

「ああ、実家に寄って、取ってきたよ」


 煌鷹が合図すると、智明が三方さんぽうを差し出してきた。

 丁寧に畳んだ巫女装束が載っている。


「雅紀、着替えるからちょっとむこう向いてて」


 小豆に言われて、雅紀は背を向ける。


「煌鷹も」

「なら、そっちの審神者さにわくんと少しお話でもしていようか」


 そんな声がきこえて、煌鷹が雅紀の隣に立った。


「さて、浅井あさい雅紀くん。きみは、実家で祀っている神について、どのくらいのことを知っている?」


 雅紀は答えなかった。

 煌鷹はやれやれ、といった風に肩をすくめると、腕を組んだ。


「まあ、一つ聞いてもらおうかな。あれもまた、神でもなんでもない。祀っているから神のように振る舞っているだけの悪魔だ。その証拠に、中東や欧州では、蛇は魔の者とされているだろう?」

「ペルシアの魔龍アジ・ダカーハや、聖書の大海蛇レヴァイアサンがそうだよね。北欧のヨルムンガンドとかも」


 智明が煌鷹の言葉を補足する。


「そうだ。それから、民話でもよく、沼や淵の主が大蛇おろちだったという話があるね。どうかな、恐ろしい話だと思わないかい?」


 煌鷹は同意を求めてきたが、雅紀は答えない。

 もし、本当にそんな存在なら、なぜ煌鷹は小豆に神降ろしをさせようとしているのか。

 それが、雅紀には理解できなかった。

 背後では、着替えの衣擦きぬずれの音が聞こえている。

 それがすでに、儀式の第一段階のように感じて、雅紀は身震いした。

 周囲がまた、一段寒くなった気がした。


「……終わったわ」


 しばらく無言が続いた後、小豆が告げた。

 振り返ると、小豆はすっかり、巫女装束に着替えていた。

 目の覚めるような緋色の袴に染み一つない小袖。そのうえに、松鶴しょうかくの刺繍された千早ちはやまとっている。

 普段ツインテールにしている髪は一本にまとめてこよりで結び、白い和紙に包んでいる。

 前髪には花簪はなかんざしを差している。本来は季節の花を飾るべきなのだが、小豆が差している簪は水仙をモチーフとしていた。

 眼鏡の奥に見える目は、いまや抜き身の刃のような鋭さで雅紀たちの方を見ていた。


「小豆……?」

「煌鷹が何を吹き込んできても、まともに聴いちゃだめよ。それだってこいつの作戦のうちなんだから」


 小豆はふい、と祭壇の上にしつらえられた神鏡を見た。

 しげしげと眺めた後、今度は社の外に注意を向ける。


「……だいぶ、近いわね」


 ともされた灯明が風もないのにゆらり、と揺れた。


「面倒」


 小豆はそれだけ呟くと、すっ、と右手を差し出した。

 すかさず、智明が新たな三方を差し出す。神垂しでを結びつけたさかきの小枝が一本、載っている。

 小豆は榊を取ると、両手を使って胸の前で支え持ち、うなづいた。


「始めよう」


 煌鷹は締め太鼓の脇に置いてあった笛を智明に渡すと、自分は太鼓のばちを手にした。

 雅紀は、目の前で起きていることが信じられなかった。

 信じられない体験なら、いくらでもしてきた。だが、いま目の前で始まったのは、そんな自分にはまるで関わりのないと思っていたことだったからだ。

 ゆるりとした笛の音に合わせ、榊を手にした巫女がゆっくりと歩む。

 旋律の調子を取るように、合間、合間に太鼓が入る。

 やがて祭壇の前に立った巫女は、手にしていた榊を祭壇に供えると、その場に正座し、二ゆう二拍手一揖。


「かけまくもかしき高天原たかまがはらにおわします伊左那岐大神いざなぎのおおかみ筑紫ちくし日向ひむかたちばな小戸おどのあわぎはら御禊みそはらたまいしときせる祓戸はらえど大神おおかみたち、諸々もろもろ禍事まがごとつみけがれらむをば、はらたまきよたまえとまおことこしせとかしこかしこみもまおす……」


 祭文さいもんを唱え、右手に扇、左手に神楽鈴かぐらすずを手に取って立ち上がると、笛の旋律に合わせてゆったりとした舞を始める。

 両手で円を描くような動きを基調とした式舞しきまい。祭壇の前に円陣を描くような足運び。

 前へ進み、後に戻り。ぐるりと回って、隅から隅へ。

 神楽鈴を打ちながら、扇をひらひらと回転させながら。

 小豆は一心に舞っていた。

 その、神寂かむさびた旋律が招くのは巫女が奉じる蛇神じゃしんか、あるいはこの地の悪神あくしんか。

 ゆらり。

 煌鷹の背後にもまた、人外の影が揺らいだ気がして、雅紀は首を振る。

 繰り返される旋律とともに、灯明の揺らぎが強くなる。


 ――神楽かぐら


 神を降ろし、もてなすための舞。

 世界観の根幹に円環をなす、原始自然信仰に端を発するというその動き。

 笛と太鼓の旋律に鈴を合わせながら、小豆は幾重にも円を描く。

 まるで、そこに何者かを閉じ込めようとするかのように。

 やがて、小豆は自分が描いた円陣の中央でふっ、と足を止めた。

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