其の十二

   †12†

 数日が経った、ある日。

 雅紀まさきは夜中になって担任に送られて帰宅するという状況について、家族や警察からあれこれとかれることとなったが、この日ようやく落ち着き、登校できるようになった。

 だが、クラスメイトたちは気を使ってくれているのか、雅紀が欠席した理由については触れないでくれた。

 有り難い反面、若干の後ろめたさも感じながら、雅紀は放課後を迎え、美術室に顔を出した。

 釈尊しゃくそんが横たわっている隣でサムディ男爵が不敵な笑みを浮かべ、その後ろでは聖ジョージがワイアームと激闘を繰り広げている、相変わらずカオスな空間で、朝倉あさくらが実に不景気な顔をして待っていた。その隣には小豆あずきもいる。


「なんなんです、これ?」

「ああ、大したことじゃねぇ。少しききたいことがあってよ」

「ききたい、こと?」

「雅紀、この本に見覚えあるかしら?」


 小豆が一冊のノベルス本を雅紀の前に差し出した。


「えっと、『GOTHシリーズ・BECKONING』? 作者は、中端煌鷹なかはしこうよう……」

「これは、あの灰の山からあなたが見つけたものよ。恐らく術者が仕掛けを作った時に置いたんでしょう」


 雅紀は本のページをぱらぱらとめくってみた。特におかしな点は見当たらない。


「これが、何か?」

「実はね、八尺様の時も、ヤマノケの時も、まるで煌鷹の小説をなぞるかのような仕掛けが施されていたのよ。ひいな神に至っては煌鷹の弟子が出所でどころだったしね」


 小豆はウンザリした調子で言った。


「それで、今回の事件もこの小説になぞらえてあった、って?」

「ええ、そう。カバーを外してみて」


 言われた通り、カバーを外すと、黒のインクで禍々しい魔法陣が描かれていた。印刷ではなく手書きのようで、一部がタイトルやレーベルロゴの上にかかっている。表紙と裏表紙で描かれている魔法陣はそれぞれ別だが、どちらにしても禍々しい印象を受けた。


「これが、小豆が気にしてた魔法陣……」

「そう。幻影を見せる魔神ビフロンと、殺戮の魔神グラシャラボラス。そんな名前だそうよ」


 小豆が自分のスマートフォンを雅紀に見せた。

 本に書かれているのと同じような魔法陣がずらずらと並んでいる。どうやら、その類の情報を集めたサイトらしい。


黒目様くろめさまじたいは、映画を見た人々が参加させられて生み出した使い魔、一種の人工霊だったのよ。で、それを使役していたのがあの山に古くから棲む火車……つまりあの黒猫だったわけ」

「よくわからないけど、つまりあの事件は二重構造だったのか?」

「そうだ。あの山にはむかし、遠い先祖が火車を封じたって伝承があったんだが、それをその西洋魔法が復活させちまったわけだ。それで今回の事件が起きたんだわな」


 朝倉がそう言って、缶コーヒーを一口飲んだ。


「ま、黒幕はほとんど分かったようなもんだろ。あいつが次に何を企んでるかは分からんし、最終的な狙いも分からん。だが、放っておけば不愉快なことになるのは間違いない」

「そうね。大迷惑だわ」


 小豆が吐き捨てるように言う。


「小豆、さっきから少し置いてけぼりなんだけど」

「あ、そうだったわ。雅紀にも教えておかないと。夏の、八尺様はっしゃくさまの一件から始まる四件の怪事件はね、多分だけど、一人の男がお膳立ぜんだてをしてるのよ」

「一人の、男? ひょっとしてさっきから話題に出てる作家の……」

「中端煌鷹。一昨年に伝奇小説『GOTHシリーズ・SHADOW』でデビューした、気鋭の青年作家で、本名は土田光信つちだみつのぶ

「土田って、まさか……」

「ええ。血を分けた、あたしの兄よ」


 突然のことで、雅紀は継ぐべき言葉が見当たらなかった。

 一方の小豆も、何を言うでもなく立ち尽くしている。

 その、気まずい空気を破ったのは意外にも朝倉だった。


「あいつが何を企んでるのかは、さっき言ったようにオレには分からん。だが、あいつの本には何か、考えをつかむヒントみたいなもんが隠してあるかもしれん」


 そう言って、教卓の上に積んであったノベル本を叩いた。


「今までに煌鷹が書いた小説だ。そこの『BECKONING』も入れて全部で六冊。……オレはもうトシだからこういう細かい字はダメだが、お前らなら余裕で読めるだろ?」


 雅紀は教卓の上の本を一冊一冊、手に取ってみた。

 デビュー作の『SHADOW』に始まり、『SEALED』『PUPPET』『DARKNESS』『INVITATION』そして今回の『BECKONING』。いずれも『GOTHシリーズ』と肩書きがあり、主人公や世界観が共通している。

 今まであまり伝奇小説を読まなかった雅紀には正直、よくわからない。だが、この本の作者が八尺様を杉から解き放ち、ひいな神という儀式を生み出し、不可触であるべきヤマノケの眠りを醒まし、黒目様という仕組みを作ったのなら、そのせいで雅紀や友人たちがひどい目にあったのなら。

 決して許してはいけない、と思う。だが、だからどうした? という気持ちも同時にわき上がっていた。

 いくら腹が立つといっても、相手は法を犯しているわけではないのだ。よしんばなにがしかの法を犯していたとしても、告発するに足る証拠が無くては、警察も相手をしないだろう。


「雅紀、難しいことは期待しないわ。ただ、今回みたいな暴走だけはしないで。正直、手に余るのよ」

「あ、うん……うん? オレ、ひょっとして頭数に入ってるのか?」

「当たり前じゃない。あなたはあたしの助手よ」


 今までは巻き込まれるような形で、なし崩しに小豆に協力してきたわけだが、これからは明確に、自分の意志で小豆の協力者として振る舞うことになる。

 だからと言って何が変わるわけでもないだろう。だが、雅紀は逡巡しゅんじゅんした。自分のような、何の力も知識もない者が味方になって、小豆には重荷にならないのだろうか? 何をいまさら、といえば確かにそうだ。だが、雅紀はそこに引っかかっていた。


「……雅紀?」


 何も返答しない雅紀の顔を、小豆が不安そうにのぞき込んできた。

 赤いオーバルフレーム越しに、とび色の瞳がまっすぐに見据えてくる。


「あっ、うん。……オレでいいのかな、って思って。何もできないし、何も知らないし」


 雅紀の返答を聞くと、小豆ははじめ驚いたような顔をしたが、すぐに笑みを浮かべた。


「そんなこと、大した問題じゃないわ。それに、あなた自身が気付いてないだけで、潜在力はあるはずよ」


 そう言って小豆が差し出した右手を、雅紀は自然に取っていた。

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