其の十一
†11†
制服のままベッドに寝かされていたようだ。
窓から月の光が差し込むので、なんとか最低限の視界は確保できている。同時に、今が夜であることもわかる。
「あれ……?」
窓の外には
「うーん……?」
雅紀は体を起こすと、部屋の扉に手をかけた。扉は少しだけ
雅紀はポケットからスマートフォンを取り出した。ライトを作動させようとして、画面隅の電波状況の表示が圏外になっていることに気付いた。どうやら相当な山奥のようだ。
「……それとも、強い力を持つ何かがすぐ近くにいるか、だな」
これまでの経験則として、小豆が教えてくれたことだった。
そんな状況では当然、外に連絡することも、逆に外から連絡を受けることもできない。
雅紀は改めて部屋の中を見回した。
何の変哲もない寝室のようで、ベッドの他、壁際には簡単な机があるが、それだけで、家具や調度のようなものは特にない。
窓の外に見える木々の位置からすると、この部屋は建物の二階らしい。
身一つでの脱出をはかるには難度が高いと言わざるを得なかった。
「あの時、
雅紀はふと、以前に見た映画のワンシーンを思い出した。犯罪組織に拉致されたヒロインが人質として幽閉された部屋から脱出するシーンだ。
あの時は確か、食事を運んできた見張りをノックアウトして脱出し、助けに来た主人公と合流したのだったが、そんな見張りはやって来そうにない。そもそも、人の気配すら感じない。
それならと、雅紀は思い切り扉を蹴りつけた。扉は乾いた音を立てて少しだけたわむが、開くまでには至らない。
雅紀はだが、扉がたわんだことにわずかな手応えを感じた。
一度窓際まで下がると、勢いをつけて肩から扉にぶつかった。
今度はさっきよりも扉のたわみ方が大きくなった気がする。
「あと一歩……っ」
雅紀はさらにもう一度、勢いをつけて突っ込んだ。そうやって二度、三度とぶつかっていくと、ついに硬い音がして扉が開いた。
扉の外は左右に廊下が伸びていて、同じような扉が並んでいる。
その左の奥から足音が近づいてくる。顔を向けると、懐中電灯のものらしい光が近づいてきていた。
雅紀は慌てて周囲を見回し、武器になりそうなものを探すが見つからない。
足音が止まり、懐中電灯の光を向けられた。
小豆だった。
「無事かしら?」
「あっはい……」
「だったら良いわ。ところで雅紀、探し物があるんだけど、手伝ってくれる?」
「探し物? って、
「そうよ。この館に地下室はないみたいだし、あとはこの先だと思うんだけど」
小豆はそれだけ言うと、雅紀のいた部屋の扉に手をかけた。
「……この部屋、わざわざ扉が開きやすいように細工されてるわね」
「細工だって?」
「だとすれば、おそらくあなたが捕まるのも、あたしがここに来るのも黒目様を作った誰かさんには織り込み済みってことかしら。雅紀、
小豆は懐中電灯を雅紀に押しつけると、先に立って歩き出した。
雅紀は遅れまいと後に続く。
廊下はしばらく行った先の突き当たりで右に折れていて、少し広めの空間に上り階段と
雅紀は少し考えて、その甲冑の腰に吊されているロングソードを引き抜いた。冷え切った金属の、ずっしりとした重み。
雅紀は右手に剣を握り、左手に懐中電灯を松明のように掲げながら階段を登った。
その先にあったのは、広い屋根裏部屋だった。
部屋の四隅に
その明かりに浮かび上がるようにして、床に白い塗料で描かれた魔法陣が見える。
その中央には、何か黒いものがわだかまっていた。
「これは……!?」
雅紀が思わず大声を上げる。小豆はほんのわずか、顔をしかめた。
黒い影がゆっくりと起き上がり、こちらを振り返る。
それは、金色の目をした巨大な黒猫だった。
『あなたはだあれ、おまえはだあれ』
黒猫の口から少女の声が出る。
「なんだこの黒猫は!?」
「
小豆が
「気をつけて」
「あ、ああ」
雅紀は慣れない手つきで剣を構えた。黒猫が小豆めがけて飛びかかってくる。
雅紀の目には黒猫が一瞬で移動したように見えた。それほどに素早い一撃だった。
まともにぶつかられた小豆は床に転び、その上に黒猫が覆い被さる。
雅紀は反射的に剣で黒猫を追い払おうとしたが、金色の双眼に
『わたしのじゃまを、するつもり』
黒猫の目が雅紀の顔を見据える。
『だったらきえて、すぐきえて』
黒猫が鋭い牙の生えた口を大きく開いた。猫とはいっても、ここまで大きいと、その迫力は虎や豹と変わらない。
雅紀はなんとか体を動かして黒猫の体に剣を叩きつけたが、
体に力が入らず、剣を持っているのが精一杯なのだ。
だが、雅紀が黒猫の注意を引いたために、組み伏せられていた小豆にわずかの余裕ができたらしい。
「かけまくも
ちりん。
「霧雨の巫女が申し上げます。いま、まさに危難至りし折なれば、あなたの力をお貸しいただきたく、ここに
ちりん。
短い
その光のおかげか、体に力が戻ってくる。
「今よ、雅紀!」
言われるまでもない。雅紀は思い切り黒猫の腹を蹴り上げた。
黒猫は勘の鋭さを見せてその前に飛び退いたが、雅紀は懐中電灯を投げ捨て、両手でしっかりと剣を構えると、眩しそうに目を細める黒猫によく狙いを定め、体ごと黒猫にぶつかっていった。
しかし、黒猫はそれでも跳躍して飛び退き、壁を使った三段跳びで加速しながら再び雅紀に迫ってくる。
雅紀はその黒猫に向けて思いッきり剣を突き出した。
柔らかいものを突き刺す嫌な感触。なま暖かく、粘りけのある液体が飛び散る。
雅紀の剣は、黒猫の体を完全に貫いていた。
『わたしはしぬわ。でもかならずよみがえる』
黒猫の口から声が漏れる。
『ねこのいのちはここのつあるの……』
そう言いながら、黒猫は瞬く間に風化し、灰になって崩れ落ちていく。
「復活なんてさせないわ。あなたはここでおしまい」
ちりん。
小豆が金剛鈴を鳴らす。
周囲の燭台に灯されていた火が、風もないのに揺らぎ、次々と消えていく。
雅紀は急いでさっき捨てた懐中電灯を拾い上げる。
黒猫が風化した灰の山の中に、一冊の本が埋もれていた。
本を引っ張り出してみると、まだ新しいものだとわかった。
『GOTHシリーズ・BECKONING』というタイトルが白抜きで印字された、黒いカバーのノベルズ本。
「これが、黒目様の核になっていたわけね」
小豆が毒づいた。
と、階段が軋む音がした。
雅紀たちが振り返ると、朝倉が登ってくるところだった。
「あの小娘、消えちまったぞ」
「やっぱりね。目的が読めないのが不気味だけど、『黒目様の噂』の仕組みははっきりしたわ」
「そりゃあ良かったな。
小豆はそれには答えないで雅紀の隣まで歩いてくると、足元の灰に目を落とした。
「後はこの灰を川に流さないと、またすぐ復活して面倒になるわ。だから……」
話の途中で、小豆は壁に寄りかかった。
「お、おいっ!」
「はぁ……疲れた。神様にお願いするのって結構体力使うのよ。そういうわけだから雅紀、あとはお願い。あたしは一足先に車に戻ってるわ」
小豆は一人、よたよたと引き返していく。その足元にはいつの間にか、白蛇が寄り添っていた。
「えっと……」
「少々面倒だが、そういうわけだ。とりあえずは小豆を車まで連れて行くから、灰はお前がやれ。あぁ、運ぶための袋は……そういえば車にゴミ袋が入ってたか。ちょっと取ってくるから待ってろ」
朝倉がくわえていた煙草を携帯灰皿に押し込んだ。
「わ、分かりました」
雅紀はうなづいた。
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