第五章 ヒサルキ

其の一

   †1†

 懐中電灯のわずかな明かりだけが頼りだった。

 壁にどす黒いペンキで殴り書きされた矢印を頼りに、雨森誠あまもりまことは、周囲に気を配りながらも、しかし最大限の早足で真っ暗な廊下を進んでいく。

 解体が決まった廃校を舞台に開催された肝試しイベント『フライトナイト・オブ・スクール』。

 そのイベントに参加した誠は、一緒に参加した遠藤京えんどうみやこと共にひっそりとした校舎内を歩き続けていた。

 時折、他の参加者のものらしい悲鳴が聞こえてくる。チェックポイントに至るまでに仕掛けられたびっくりトラップや幽霊役のスタッフに遭遇したのだろう。

 中には空中に散布した霧にプロジェクターを投影するような、った仕掛けもあるのであなどれない。だが、今のところ、誠は一度も悲鳴を上げていなかった。

 一人だったらどうかわからない。だが、京の見ている前でそんなみっともない真似まねをするわけにはいかない。


「ねえ、誠。チェックポイントって今いくつ通過したっけ?」

「六つ。次で最後だったはず」


 誠は立ち止まってパンフレットを見た。

 チェックポイントは全部で七つ。いずれも学校の怪談でよく登場する場所だ。


「えーと、最後は……校長室だな」

「そっか。よーし、どんどんいこーっ」


 京は誠から懐中電灯を奪い取ると、とっとと先へ行ってしまう。


「あっ、待てよ京! それないと足下が見えないだろ」


 誠は急いで京の後を追った。

 校長室は、スタート地点である職員室の隣にある。つまりは校内を一周して戻ってくる形になっているわけだ。

 二人はその校長室の前に立つと、どちらからともなく深呼吸した。

 やはり、校長室というだけで緊張するもの、なのだ。

 おそるおそる扉を開けると、中からランタンの灯りがれだしてきた。

 薄暗くてよくわからないが、校長の机に一人の人間が座っている。

 室内だというのに外套マントと帽子を身につけ、顔には上半分だけの白い仮面を付けている。まるで『オペラ座の怪人』のようだ、と誠は思った。人形でない証拠に、仮面の下に見えている口がにやりと笑った。


「ようこそ参られた。私が当校の校長である」


 その人間が口を開いた。その声で若い男とわかるが、仮面のせいで人相がわからない。


「一つ、手妻たづまをお目にかけよう。この夜の土産にでもしてくれたまえ」


 男は机の上にカードを並べた。一般的なものより一回り大きいが普通のトランプのようだ。それぞれ、スペードの四とクラブの八、ハートの十、ダイヤの三。


「好きなものを選びたまえ」


 誠と京は互いの顔を見合わせた。


「ど、どうする?」

「じゃあ……クラブで」


 誠がカードを選ぶと、男は何も言わず、人差し指で誠を指さした。


左様さよう……高校生、だな。霧雨きりさめ市内の出身か」


 男は思案するように言った。


「部活動は何か、武道をやっているな。剣か、やわらか、それとも他の何か……いや、剣だな」

「ど、どうしてわかるんですか? オレは何も教えてないのに……」


 誠が訪ねると、男は口元をつり上げた。


「なに、こんなものは初歩中の初歩だ。そちらのお嬢さんは同級生だろう。部活動は……球技ではないかな? たとえば、蹴球しゅうきゅう庭球ていきゅうのような」

「え、はい。あたし、テニス部です。でもどうしてわかるんですか?」


 京も不思議そうな顔をするが、それについて男は特に答えない。


「付き合いはそう長くはないだろう。まだ一年にも満たないようだが、その割には気安い仲に見える。共通の何かがあるようだな。おそらくは絵か文字に関するものだと思うが」

「ええ。漫画の趣味が似ていて、それで気が合うねってことで」

「なるほど。得難えがたい相手だ、大切にしたまえよ。さて、まあこんなものは手妻の内にも入らぬが……」


 仮面の男が指を鳴らすと、部屋の四隅から黒衣の影が現れた。

 正確には、合図があるまで隅のくらがりにうずくまっていたのだろう。フードを目深まぶかにかぶり、さらに顔全体を覆う仮面を着けているので、素顔はまったく見えない。

 その影たちは音もなく、滑るように動いて男の後ろに並んだ。

 もう一度指を鳴らすと、中の人間が突如消失したかのように、四枚のローブが床に崩れた。

 男はさらに、頭上に指を向けた。

 誠たちがその先を目で追うと、そこには仮面をつけた生首が四つ、天井から吊り下げられていた。


「うぁっ……!」


 思わず変な声を出してしまう。

 だが、よくよく見ればそれはマネキンの首だった。


「びっくりした……」


 誠が男のいた方に目を戻すと、そこには誰もいなかった。


「え……? どういうこと?」


 京も怪訝けげんな顔で机を見ている。


「これ、行っていい、のか?」

「かな……?」


 二人は釈然しゃくぜんとしないまま、校長室を後にしたのだった。

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