其の四

   †4†


 次の日、珍しく寝坊したじゅんは慌てて家を飛び出した。

 なんだか嫌な夢を見たような気がするが思い出せない。それよりも学校に遅刻しないことの方が大事だった。

 自転車を立ち漕ぎして霧雨きりさめ市の街中を走っていると、学校に近づくにつれて大徳だいとくの生徒が増えてくる。

 なんとか間に合いそうだ。

 純はようやく落ち着いて腰をサドルに落ち着けた。


「はう、間に合った……」


 一息ついた瞬間だった。

 目の前の曲がり角から急に猫が飛び出してきたのだ。


「はわっ!?」


 猫を避けようとした純は急いでハンドルを切った。

 スピードが乗っている状態での急ハンドルだったため、自転車は盛大にバランスを崩し、純は地面に投げ出されてしまった。


「痛たた……」


 純はゆっくり体を起こす。そこに一人の男子生徒が駆け寄ってきた。


「君、大丈夫かい?」

「え? は……はわっ!? ひょ、ひょっとして男子バスケット部の朽木くつき先輩?」


 アイドルとまでは言わないが、なかなかの二枚目。切れ長の目が涼しさをたたえている。男子バスケット部の次期キャプテンと期待される、二年生の朽木元くつきはじめだった。


「オレのことはいいから。君は大丈夫? 歩ける?」

「はい……あ痛っ」


 立ち上がろうとした瞬間、右足に痛みが走った。どうやら転んだ拍子にひねるかくじくかしたらしい。


「無理はしない方がいい。肩を貸そう。おーい、自転車を頼む」


 彼が呼ぶと、周囲の野次馬の中から部員らしい男子が出てきた。

 朽木は純の腕を自分の肩に回して立ち上がらせると、無理のない、ゆっくりしたペースで歩き出した。

 バスケット部員が純の自転車を押しながら後に続く。


「はわわわわっ、恥ずかしいです……」

「それじゃあもっと部員を呼んで周りを囲んでみるか」

「それはもっと恥ずかしいです……」


 純は恥ずかしさのあまり、顔を下に向けてしまった。

 なにしろ、今肩を借りている相手はバスケット部の新キャプテンと見込まれ、新聞部の発行する学級新聞でも取り上げられている有名人なのだ。

 こんなところを知り合いに見られたりしたら、恥ずかしさで死ねる。

 どうか、どうか知り合いの誰にも見つかりませんように……。


「あれー? 誰かと思えば筒井さんじゃない。なんなん、この状況?」


 そんな純の思いを裏切るように、智明ちあきがひょっこりと現れた。


「はうぅぅぅ……。その、にゃんが飛び出してきて、足を捻って、肩を借りて……」

「ふむふむ。つまりはわかりやすいラブコメ展開になった、と。ご愁傷様しゅうしょうさまー。バスケ部のお二方も市中しちゅう引き回しご苦労さん。んじゃ、あたしはこれで」

「はわっ!? 松永まつなが先輩、ちょっと待って!」

「や」


 智明はにやにやと笑いながら跳ぶように学校の方へ走っていく。

 足を痛めている今の純には追いかけることもできない速さで。


「はう……打ち首獄門だ……」


 かーっと顔が熱くなって、純はまた顔を下に向けた。


「松永さんと知り合いなのか?」

「ええ、まあ……」

「そうか。魔女なんて言って、あまり評判良くないけど、結構親しみやすそうな性格してるんだな」

「え、ええ……」


 恥ずかしくて言葉が出ない。

 智明は人にあれこれ言いふらすようなタイプではないと思うが、保証はできない。

 もしかするとなんらかの方法で拡散してくるかもしれない。もしそんなことをされたら……。

 嫌な予想が重なって、同時に純の胸中に薄寒い感情がわき上がってきた。


 ――そうだ、だったら松永先輩に黙ってもらえばいいんだ。


 あのおまじないを使えばきっと可能だ。

 純はそんなことを考えて、そしてすぐに我に返った。


 ――やっぱりだめだ。おまじないを教えてくれたのは松永先輩なのに、それを先輩を不幸にするためには使えない。


 慌ててそう思い直す。

 そのあたりの心の動きが顔に出たのだろう、朽木が心配そうにのぞいてきた。


「足、痛む?」

「はわ、だ、大丈夫デス! 結構だいぶ痛みも引いてきました! あ痛たたた……」

「やっぱり無理はしない方がいいよ。学校に着いたら保健室でシップを貼ってもらおう」

「は、はひ……」


 純は嬉しさと恥ずかしさで今にも爆発しそうだった。

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