其の七
†7†
そんな杉集落に入る、たった一本の細い山道の右側に古びた鳥居と石段がある。
その刹那、ワンボックスの車体が大きく揺れた。
「なっ……何だ!?」
「
後部座席に並んで座っていた
一瞬だが、窓ガラスの向こうに白い影が見えた気がした。
車内から急速に色彩が失われていく。
これまで八尺様が現れた時と同じ
「おい、神さんの
運転する朝倉の声も、心なしうわずっているように感じる。
車体の揺れは一度では収まらず、二度、三度と繰り返される。
「ええ、大丈夫。神社までは一本道よ」
と小豆。
「なあ
「だからって今更引き返すわけにはいかないわ。どういう
そう言って、小豆はそんな雅紀の両肩をつかむと、正面から眼をのぞき込んだ。
赤いオーバルフレームの向こうで吊り目がちの眼が不安げに揺れている。
「いいこと、
「任せろって言われても……」
そんなに不安そうな眼を見せられたらそんな気になれない、そんな言葉が喉まで出かかっていたが、その前に車が止まった。
「着いたぞ、神さんの社だ」
気が付けば、あたりは不気味なほどに静まりかえっていた。
車体の揺れも、完全に収まっている。
小豆が
「俺はできることも無いし、ここで待ってる。必ず戻れよ」
朝倉は車から降りはしたものの、車体に寄りかかるようにして煙草を取り出した。
「保証はできないわ」
小豆は短く答えると、
三年前にも来たことのある集落の鎮守様の社。
以前の雅紀はここに祭られているのがどんな神か知らなかった。
知ってしまったいまは、それだけ緊張しながら、小豆の後について色彩のない境内を進んでいく。
本殿の正面にしつらえられた両開きの格子戸が開き、中の
「歓迎されてるみたいね。ようやく浅井くんが取れると思ってるんでしょうよ」
小豆は一礼すると、本殿の奥に向かって金剛鈴を一打ちした。
ちりん、という金属質の音が境内に響く。
と、本殿の奥にわだかまっていた闇の中から、白い影が現れた。
白いワンピース型の服をまとい、同じ色の帽子を目深にかぶった、髪の長い女。
その女がゆっくりと雅紀たちの方へ近付いてくる。
例の、床を滑るような動き。
「こ、こっちに来るぞ」
うろたえる雅紀。
「顔は見ちゃだめ。とにかく浅井君は何も言わないで身代わりを差し出してればいいから」
雅紀の返事を待たず、小豆は近づいてくる女に体を向ける。
顔は伏せたまま、金剛鈴を打ちつつ
「かけまくも
ちりん。
一度だけ鳴らされた金剛鈴の音はおとといの激しい調子とは正反対の、静かで澄んだ音だった。
「杉の神に
ちりん。
再び金剛鈴を鳴らす。
雅紀は顔を伏せたまま、身代わりを両手で捧げ持つようにして差し出した。
ちりん。
多少の間を置いてもう一度。
ちりん。
雅紀の隣で小豆が息を呑む気配がした。
ぞわり、と背筋に怖気が走る。
女が、八尺様が、雅紀の前に立った。
眼で見なくても、気配で分かる。
見るな、顔を上げるな、と本能が
雅紀はだんだんと息苦しくなってきた。
緊張と恐怖が胸を締め付け、心臓の鼓動を早める。
危険が、
逃げたい。
逃げたい。
逃げたい。
逃げたい。
逃げたい。
逃げたい。
逃げたい。
逃げたい。
逃げたい。
逃げたい。
逃げ――
ちりん。
金剛鈴の音が雅紀の恐怖を和らげた。
次の瞬間、小豆の
「あんたなんかにこいつは勿体ないから諦めろ、ってんの! 仮にも神様だってんなら少しは恥を知りなさいよ、このクソババア――っ!!」
それがきいたのか、ふ、と八尺様の気配が消えた。
さきほどまで雅紀の手の上にはったはずの身代わり。そのフェルトの感触もわずかな重みもなくなっている。
今まで色調補正されたように薄暗かった周囲が、明るくなった。
どこからともなく子供の遊ぶ声が聞こえてくる。
「……助かった、のか?」
「ええ、なんとか」
隣で小豆がうなずく。
「これで、浅井くんが
見れば、小豆の額には玉の汗が浮かんでいた。
暑さが理由でないことは雅紀にも容易にわかる。
「さて、浅井くんが見つかって面倒ごとになる前に帰りましょ」
引き返そうとして、小豆が体勢を崩す。
雅紀はとっさに手を出して小豆を支えた。
「大丈夫か、土田?」
「少しバランスを崩しただけ、大丈夫よ」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます